第五話

文字数 2,121文字



「ねぇ、婚活パーティーって興味ある?」
 昼休み。相も変わらずコンビニ弁当を食べている私に、唐突に三阪(みさか)さんが声を掛けてきた。
 まさか三阪さんから婚活などという単語が出てくるとは思わず、呆気に取られた表情をしてしまう。彼女も三十路手前、確かに結婚適齢期といえばそうなのだが。
「えー? 三阪さんって婚活とかしてたんですっけ?」
 (とぼ)けて訊ねると、彼女は困ったように微笑み、眼鏡をくいと上げた。
「いや、つい最近までは全然興味無かったんだけどね……」
 男達と肩を並べ仕事に奔走する、総合職の出世頭。所謂働く女。女性達の希望。それが三阪さんだ。男女共同参画が叫ばれて久しい今の世に、尚立ち塞がる大きな性別の壁と常に戦い続けている、そんな女性では無かったか。
「疲れちゃったのよね、結局。勿論仕事にはやり甲斐を感じてるし、結婚も子供もいいやってずっと思ってたけど、このまま私一人で男社会の中で戦い続けていった先の事をふと考えちゃったのよ」
 細く吊り上げられた彼女の眉尻が哀しく下がるのを見た。
「彼等は出世コースを走っていても、奥さんが出来て子供も出来て……幸せな老後を迎えられる。私はその全部をかなぐり捨てて、他にも沢山沢山戦って、それでやっと同じ土俵に立てるのにさ。それで走り切った後は孤独に死ぬしかないんだなぁって……」
 何も言えなかった。こういう時、ちゃんとした大人ならどんな言葉を返すのだろうか。他人との会話に失敗を重ねる度、私は無駄に歳だけを重ねてしまったのだと思い知らされる。
「――なんて、ごめんなさいね、重たい話しちゃったわ」
「あ、いえ……すみません」
「謝らないで、余計申し訳無くなっちゃう! いやまぁ要は人生経験の一つとして行ってみてもいいかなって思っただけなんだけど、一人で行くのはちょっと怖いじゃない?」
 一緒に来てくれるのが貴女なら安心だから、と彼女は笑った。その言葉の真意が掴み切れず曖昧に微笑む。返す言葉に悩んでいる間に、彼女は他部署の男性に呼ばれ去って行ってしまった。
「……人生経験、ねぇ」
 一人残された私は、彼女の凛とした背中を見つめながら小さく呟いた。

 会場は銀座のとあるビルの一フロアだった。見渡せば参加者は男女問わず質の良いスーツやドレスを身に纏っている。立食パーティーのようにオードブルやドリンクが並び、参加者は談笑を交わす。見込みが無いと思えば早々に話を切り上げ次の相手を探す様は、まるで花から花へと移る蜜蜂のようだ。
 私はと言えば他人と会話する事にほとほと疲れ果てていた。パーティーの中にいれば、例に漏れず次から次へと男が話し掛けて来る。横文字ばかりの仕事自慢を愛想笑いで(かわ)したと思えば家族構成や人生設計について質問攻めに遭う。誰も彼も、結婚というゴールに向かい全力で駆け抜ける事しか頭に無いようだった。勿論こういった場なのだから当然と言えば当然だ。寧ろ無気力な私の方が、この場においては余程異物であろう。
 八人目の男から、【アジャイルソフトウェア開発における新たな起業プランとコアコンピタンス】について延々と聞かされた後――勿論、何一つ理解する事は出来なかった――私はパーティー会場をそっと抜け出した。
 非常階段の踊り場に溜息を一つ落とす。外の冷やりとした風が、きつい暖房で火照った頬に心地好かった。
 ガチャリ。
 ドアの開く音に振り返ると、スーツ姿の若い男性が立っていた。緩く固めた七三分けに細身の眼鏡。しかしその地味な見た目に似合わず肩幅は広く、適度な筋肉質の身体にスーツが良く似合う。胸元の番号札は婚活パーティーの参加者に配られた物だ。
 あのカッチリとしたスーツは線の細い白夜には到底似合わないだろうな、と私は思った。
 男は私を見つけるや否やこちらに話し掛けてきた。
「あれ、先客だ。パーティー、出なくて良いんですか?」
「その言葉、そのままお返しします」
「はは、確かにそうですね……すみません、僕もここで休ませてください」
 彼は喋りながらゆっくりと階段を降りると、二人分ほどの距離を空けて私の隣に並び、ふうと溜息を吐いた。
 無言の時間が続く。
「……初対面の人達と話すの、疲れますよね」
 気まずさのあまり自分から話し掛けてしまった。言い終わった直後、私も初対面なのに、と心の中の自分が指摘する。
 そんな胸中など知らず、男はニッコリと笑った。
「えぇ、疲れますね。自分は同僚に誘われただけだから他の人達ほど熱心になれなくて」
「分かります。私も似たようなものです」
「あぁ、やっぱり。そんな気がしました。あ、いや、変な意味では無く」
 男は眼鏡をくいと上げた。
「こんな所にいるのだからそれ程熱意は無いのだろうな、でも一人で来たなら帰ってしまえば良いだけだから、誰か同行者がいるのだろうな、という経験に基づいた名推理です」
「もしかして探偵とかやってます?」
「あぁ、バレましたか? ……いや、冗談です。只のサラリーマンです」
「やっぱり。そんな気がしました」
「ちょっと、それどういう意味ですか!」
 どうせ二度と会う事も無いと思うと、会話の善し悪しをそれ程深く考えずに済む。そんな程度の気持ちで私が軽口を叩くと男は楽しそうに笑った。
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