第六話
文字数 1,260文字
その男はサトべと名乗った。どんな字を書くのか訊ねると、里部 京敬 と書かれた名刺を差し出した。
「『里』なのか『京 』なのか、イマイチはっきりしない名前ですよねぇ」
受け取った名刺の上に視線を滑らせる。
大帝 商事……デジタル戦略部……企画課長……錚々 たる単語の羅列に茫然とした。大帝といえば、その名を知らぬ者はいない大企業である。そんな会社で課長を勤めているというのか。三十代前半、下手をすればまだ二十代にも見えるのに。
とはいえ、企業名や役職を話題にするのも何だか浅ましい気がして、私はぼんやり微笑んだ。
「確か、『部』も村とか集落とかって意味ですもんね」
「えぇ? それは知らなかった。自己紹介の鉄板ネタにしようかな」
「記憶が曖昧なのできちんと裏を取ってから使って下さいね」
「勿論、そのナレッジのエビデンスをコミットメントしておくよ」
横文字の羅列に思わず顔を顰める。先程までパーティー会場で散々その手の話を聞かされていた、拒否反応のような物かもしれない。
「やめてくださいよ、私そういうビジネス横文字みたいなの、もうコリゴリなんです」
眉を寄せて抗議すると、彼は悪戯っぽくニヤリと笑った。どうやら揶揄 っているだけらしい。
「さっき大変そうでしたもんね。何だっけ、アジャイルソフトウェア開発とコアコンピタンス?」
「そうそう――って、どうして知ってるんですか?」
「あっ……えぇっと……」
里部は首の後ろに手を当て、決まりの悪そうな顔をした。
「すみません、実はその会話、聞いてたんです」
「いえ、謝る程の事では……でもどうして?」
里部は少し言い淀んでから訥々 と話し始めた。
「自分と同じような、何と言うか……会話に飽き飽きしている人はいないかな、と思って。それでキョロキョロしてたら、貴女を見つけて」
キョロキョロというオノマトペとガタイの良い里部の取り合わせが少し滑稽に思える。
「それで、貴女がフリーになるのを待ってたら、他の人に話し掛けられてしまって……その間に貴女は出て行ってしまうし。だから、探してたんです」
「はぁ」
「見つけ出して話してみたら思っていた以上に……興味深い女性だった。だから……まぁ端的に言ってしまえば、もっと親しくなりたいと思っているんです」
里部は照れ臭そうではありながら、しかし真っ直ぐ私の目を見ている。
白夜とは違った輝きを放つ瞳だ、と思った。白夜の瞳に映る自信は時々儚げに揺れるが、里部のそれは揺らぐ事を知らないのかもしれない。
その真っ直ぐさに気圧され、私はそっと自分の連絡先を差し出した。早速、個性的にデフォルメされた三毛猫のスタンプが送られてくる。私は当たり障り無く、熊がお辞儀をしているだけの物を送り返した。
里部は相好を崩し、何かを思い出したように「そうだ」と言った。
「嫌いな物や食べられない物、あります?」
「わたあめ」
「へぇ?」
何故、と問いたげな口元を見つめながら、私は人生で何百回も繰り返した理由を告げた。
「雲みたいで嫌」
彼は一瞬目を見張り、すぐに微笑んだ。
「やっぱり貴女は面白い女 だ」
「『里』なのか『
受け取った名刺の上に視線を滑らせる。
とはいえ、企業名や役職を話題にするのも何だか浅ましい気がして、私はぼんやり微笑んだ。
「確か、『部』も村とか集落とかって意味ですもんね」
「えぇ? それは知らなかった。自己紹介の鉄板ネタにしようかな」
「記憶が曖昧なのできちんと裏を取ってから使って下さいね」
「勿論、そのナレッジのエビデンスをコミットメントしておくよ」
横文字の羅列に思わず顔を顰める。先程までパーティー会場で散々その手の話を聞かされていた、拒否反応のような物かもしれない。
「やめてくださいよ、私そういうビジネス横文字みたいなの、もうコリゴリなんです」
眉を寄せて抗議すると、彼は悪戯っぽくニヤリと笑った。どうやら
「さっき大変そうでしたもんね。何だっけ、アジャイルソフトウェア開発とコアコンピタンス?」
「そうそう――って、どうして知ってるんですか?」
「あっ……えぇっと……」
里部は首の後ろに手を当て、決まりの悪そうな顔をした。
「すみません、実はその会話、聞いてたんです」
「いえ、謝る程の事では……でもどうして?」
里部は少し言い淀んでから
「自分と同じような、何と言うか……会話に飽き飽きしている人はいないかな、と思って。それでキョロキョロしてたら、貴女を見つけて」
キョロキョロというオノマトペとガタイの良い里部の取り合わせが少し滑稽に思える。
「それで、貴女がフリーになるのを待ってたら、他の人に話し掛けられてしまって……その間に貴女は出て行ってしまうし。だから、探してたんです」
「はぁ」
「見つけ出して話してみたら思っていた以上に……興味深い女性だった。だから……まぁ端的に言ってしまえば、もっと親しくなりたいと思っているんです」
里部は照れ臭そうではありながら、しかし真っ直ぐ私の目を見ている。
白夜とは違った輝きを放つ瞳だ、と思った。白夜の瞳に映る自信は時々儚げに揺れるが、里部のそれは揺らぐ事を知らないのかもしれない。
その真っ直ぐさに気圧され、私はそっと自分の連絡先を差し出した。早速、個性的にデフォルメされた三毛猫のスタンプが送られてくる。私は当たり障り無く、熊がお辞儀をしているだけの物を送り返した。
里部は相好を崩し、何かを思い出したように「そうだ」と言った。
「嫌いな物や食べられない物、あります?」
「わたあめ」
「へぇ?」
何故、と問いたげな口元を見つめながら、私は人生で何百回も繰り返した理由を告げた。
「雲みたいで嫌」
彼は一瞬目を見張り、すぐに微笑んだ。
「やっぱり貴女は面白い