第八話

文字数 1,162文字

 昼休み、旧休憩室。名前の通り、旧い休憩室である。
 『従業員満足度の高い企業』を喧伝する為に作られた、洒落た内装の新休憩室は人が多すぎて落ち着かず、結局私はいつも誰もいない旧休憩室に来てしまうのだった。
 人気の無いこの部屋で、私はいつも古くなったコーヒーマシンがノロノロとカップに液体を滴らせるのをぼんやりと見つめる。黒く零れ落ちてゆくその雫が透明に戻る事は無い。私の人生も。
 と、珍しく旧休憩室に人が入ってくるのが見えた。
 三阪(みさか)さんだ。
 三阪さんは私を見つけると笑顔で近付いて来る。誰も居ないのを良い事にだらけ切った格好をしていた私は、慌てて居直り笑顔を作った。
「お疲れ様です。コーヒー、飲みます?」
「いえ、大丈夫、ありがとう。私今カフェイン断ちしてるのよ」と彼女は自前の水筒を軽く振って見せた。赤っぽく透き通った液体が中で揺れる。
「それより、ねぇ……婚活パーティー、どうだった?」
 ――やっぱりその話か。
 連絡先を交換した、等と言えば根掘り葉掘り聞かれるに違いない。それが面倒で三阪さんを少し避けていたのだが、まさかわざわざ旧休憩室にまで来るとは思わなかった。
「まぁ、まぁ……って感じです」
 何となく話を濁してみたが、勿論彼女はそんな曖昧な表現では逃してなどくれない。
 仕方無く私は、里部(さとべ)との出会いを掻い摘んで打ち明けた。三阪さんは少女のように目を輝かせながら頷き、私の話を食い入るように聴いていた。
「――ってぐらい、ですかねぇ」
「えー、良いじゃない! 大帝(だいてい)商事の若き出世頭に気に入られて、なんて凄いわね。まぁ勿論貴女が彼に興味があればの話だけど……でも素敵じゃない!」
 彼女は私以上に(はしゃ)いでいた。その表情に嫉妬や悋気(りんき)が覗く事は無く、彼女が善い人である事を裏付ける。
「……そう言う三阪さんはどうだったんですか?」
 自分の話がこれ以上続くのも何だか居心地が悪く、私は半ば社交辞令的に質問を返した。本心から彼女の婚活の動向を心配出来ない辺り、私は彼女のような善人には到底なれそうに無い、と内心で自分を嘲笑する。
「全然ダメね!」
 あっけらかんとした顔で彼女は笑った。
「色んな人と話したけど、この人私より仕事が出来なさそうって思っちゃうと、ドヤ顔で仕事自慢される事にイラッとしちゃって。かと言って趣味の話されてもよく分かんないしさ」
「三阪さんより仕事出来る人なんてそういないですよ」
「ふふ、ありがと」
 彼女は適当にいなすように微笑んだ。お世辞では無く本心だったのだが、上手く伝わらなかったようだ。
「どちらにせよ私の方は前途多難な婚活になりそうだけど、貴女はその彼と上手く行くといいわね。また進捗報告宜しく」
 そう言うと彼女はひらひらと片手を振り、旧休憩室を後にした。私は独り、冷めてしまったブラックコーヒーをごくりと飲み干した。
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