八、予期せぬ贈り物

文字数 4,884文字

 騒動から一ヵ月半が過ぎたころに、二条元家の久遠は改めて作り直された。彦根の攻撃を受けたとはいえ大きな損害はなかったこと、刑部姫が身を賭して部品を提供したことなどから、予定より順調に事は進んだ。久遠研究所は元の場所で再建を進めている間、仮の施設を利用している。狭いので大量製造は出来ないが、むしろ久遠の一体一体へじっくり向き合えると多くの職員たちは語っていた。
 姫路も二条の製造に際して、研究所を時々訪れるようになった。まだ元の職場へ完全復帰する手はずは整っていない。だが近いうちに久遠の問題を考える上で重要な人物として彼を迎えることを、深志は検討していた。
「彦根君、二条さんへの思いは整理できた?」
 机の並ぶ部屋の片隅で作業をしていた部下に、深志は呼び掛ける。彦根はパソコンに向き合っていた顔を上げると頷き、あの出来事で気分が晴れたことを明かした。再び起動した二条の久遠へも謝罪を済ませ、気にしなくて良いと言われた。
「その時の二条さん、笑っていたように見えたんですけど……気のせいですかね?」
「最近は表情の豊かな久遠もいると聞いています。――久遠には、まだ多くの課題が山積しているようですね。今回の件以外にも」
 表情を消した深志の脳裏に浮かんだのは、故郷での一大事だった。あの事件を起こした首謀者は、警察へ逮捕される前に自ら命を絶った。彦根もその情報を得ていた「新世界ワイド」は、報道に対する意見を書き込む欄が大変な騒ぎとなっているらしい。
「あの首謀者のように、今後久遠を過剰に信奉する者が現れないこともないでしょう」
 二月の曇り空を窓から眺め、深志は懸念を述べる。「正しい」久遠の在り方を、ゆくゆくは考えていく必要がある。久遠と人間の在り方は、これからの自分たちが決めるのだ。――今の段階では、どこからが「正しい」のかも分からないが。
「それで所長、林のことはどうするんですか? まだわたしにしか、ほぼ久遠だってことは言ってないんですよね?」
 彦根の問いに、深志は夫の現状を伝える。彼はまだ、その正体を所内へ公表することを躊躇っている。そこはまだ無理をさせなくて良いだろうと、深志は考えていた。自分でさえ、彼がどんな反応を受けるか密かに恐れているのだから。
「所長、林といて幸せですか?」
 何の脈絡もない唐突な言葉に、深志は咄嗟に部下へ背を向ける。少し答えに悩んだ末、肯定を口にした。
「結婚式、まだでしたよね? 早くやれば良いんじゃないですか?」
「あんなもの、何の意味があるんです? 祝いの言葉なら貰いましたし、十分ですよ」
 わざわざ重そうな衣装を着て長時間に渡る儀式や宴会を行うなど、結婚の誓約をするには非合理で無駄が多い。そう思うのは、自分がここにいる大多数とは違う世界の出身だからか。加えて今の時期は、人が大勢集まれる状況ではないだろうに。そういえば生前の二条にも、式をやらないのか言われたものだった。夫の特殊な事情もあって、籍を入れた時は慌ただしかったのだ。
「……あの人の存在が認められれば、もっと大っぴらに祝福されるかもしれないけど。まぁ、今考えたところでどうしようもないことです」
 すっぱり言い切って、深志は思考を切り替える。それにしても、彦根がやけにさっぱりしている気がする。以前は喧嘩っ早い面もあったが、態度も雰囲気も落ち着きつつある。久遠を好意的に見ていない彼へ、本当に研究所へ留まったままで良かったのか深志は尋ねた。
「はい、所長も心配している問題を解決するために動きますよ。やはり見逃せないことですからね。久遠がこの世界で完全に受け入れられるようになるとは、まだ到底思えません。それに少しは、反対の意見を言う立場の人間もいた方が、組織としては良いんじゃないですか?」
 どうやら久遠に対する根の部分は変わっていないようだ。呆れやら安堵やらを覚えて、深志は息をつく。この世界に久遠が広がるのも、時間が掛かりそうだ。
 引き戸の開く音がして振り返り、林が手に小さな紙の袋を持って入ってくるのを認めた。久遠の二条が、手ずから作った雑貨を郵送したいという。
「それでメッセージも書きたいとのことでカードを探しているんですけど……そもそも、ここにありましたっけ?」
 林に答えようとする思いより先に、手で文字を書くことの難しさが深志に浮かんだ。手書きというのは、文字を入力する機械も持てない貧しい者がすることだと思っていた。この世界に来て学んではいるが、なかなか上手くいかない。人は手で書くことに味があると言うが、深志にはまだ理解し難かった。そのうちに彦根が立ち上がってパソコンを畳み、林に歩み寄る。
「そんな洒落たもの、うちにはないだろう。外へ買いに行かないか?」
「あ、それなら二条さんも連れて行きましょうよ! きっとぴったりなものを選んでくれるはずです!」
 前と変わらぬ二人の姿に、ふと深志は口元を緩める。たとえ大きな違いを抱えていようと、その友情は壊れず続いてほしかった。
「そうだ、彦根さん。この近くにも猫の集会場を見つけましたよ! ちょっと行ってみます?」
「そりゃ行くに決まってるだろう! どこにあったんだ?」
 興奮して話に食い付く彦根が、林に続いて部屋を出る。今の調子では、長く道草を食って仕事へ支障を与えそうだ。まだ開いていた扉から急いで顔を出し、深志は真面目に課題を果たすよう注意した。


 いつものように「七分咲き」のカウンターでオレンジジュースを啜り、椛は一ヵ月半ほど前に別れた二条を思い返していた。あの久遠は、もう作り直されているだろうか。もし修理されているなら、姫路たちのもとで仲良くやっていてほしいものだが。既に二条と過ごした日々の記憶が、あやふやになりかけている。ただ確実に言えるのは、雑貨屋が再びがらがらになったことだ。ここ一週間は客も来ず、店の今後が危ぶまれる。
「富岡、聞いているか? おれの家にあった名物のこと、心配していただろう?」
 白神に声を掛けられ、椛は真木と治の先に座る彼へ手を振る。国蒐構から、無事に「楽土蒐集会」にあった品を返却してもらったらしい。とはいえ、まだ手元にないものもあるそうだ。
「そこで今度は、『蓬莱継承会』に目を付けたいと思っているんだが、何か言いたいことはあるか?」
「『蓬莱継承会』といえば、前に茶運び人形を蒐集した所ですね?」
 確認した真木が調べたところによれば、その蒐集団体はかつて「ライニア博物館」の展示品となる予定だったものを保管している他、「楽土蒐集会」のように様々な文化財を蒐集しているという。
「つまり、そのなんとか会のせいで困っている人がいるってことだね!?」
 椅子を蹴倒さんばかりに椛が立ち上がると、すぐに治が座るよう促してきた。仕方なく腰を下ろす中、仲間であるはずの男が心ないことを言う。
「いつまでも人を助けていたら、きりがないよ。久遠にまつわることだって、君がどうにかしようとして余計混乱させたじゃないか。いっそ活動を停止したらどう?」
「そんなこと、できないよ!」
 迷わず椛は訴える。困っている人がいると聞いただけで、こちらは動かずにはいられないのだ。そういう治はどうなのか尋ね、彼が椛の方を見ず静かに零す。
「俺は君に、厄介事に巻き込まれてほしくないだけなんだよ」
 どこか寂しげな感じも含んだような声に、椛は体の力が抜けそうになるのを覚える。彼は自分を心配してくれて、敢えて厳しいことを言っているのか。
「だから君には、早々に逮捕されてほしいね。大人しくさせるためには、もうこれしか手がないんじゃない? ……それでもっと苦しむことになるかもしれないけど」
 すぐに聞き捨てならない言葉がして、椛は思わず腕を上げかけた。真木に止められて引っ込めるも、自分がいなくなったら「早二野」はどうなるのか訴える。
「その時はもちろん、解散だね」
 そうすっぱり告げた治に、烏龍茶を飲んでいた白神が咳き込んだ。
「待て、解散なんて言わないでくれ。そうなったらおれが名物を回収できなくなるじゃないか」
「別の団体でも、君の目的は果たせるんじゃない?」
 冷静に治が言い、白神がグラスを置いて考え込む。その姿が真面目に思えて、椛は必死に懇願した。
「お願い、お願い! ほかのとこへ行かないで! さみしいよぉ!」
 目が涙で覆われかけていると椛が実感していた時、背後の引き戸でインターホンが鳴った。奥の部屋にいた苫小牧が応じ、荷物を受け取る。女将の抱える少し厚めの封筒に、何が入っているのか。とりあえず今日は誰かの誕生日だったか椛が問い、全員が否定した。カウンターに荷物を置いていた女将が不意に封筒の表部分を凝視し、「早二野」の皆へすぐ来るよう手招きする。
「喜ばしい知らせよ。特に富岡さんは、嬉しいんじゃないかしら」
 苫小牧につられて封筒にあった送り主の名を見て、椛は声を上げた。二条元家というのは、あの二条か。
 封を開けると、中には小さな紙袋が一つとメッセージカードがあった。袋からヘアピンの先にちりめんで出来た花が連なっているものが現れ、ややあって二条の作りたかった髪飾りだと思い至る。そしてカードには手書きの字で、二条が久遠研究所で改めて作り直されたこと、趣味で雑貨作りをしていることが記されていた。もう昔の「二条元家」として生きるつもりはないようだ。
 人はかつての二条を求めるかもしれないし、その時の記憶はまだ保持されている。それでも、新しい自分を生きたい――。そう決めた久遠の字は、一画ごとにしっかりと書かれていた。
「二条くん、またあたしのお店に来てくれるかなぁ」
 カードを持ちながら、椛は笑みが止まらずにいた。もし二条が来た時には、この貰った髪飾りを付けよう。そう呟いていると、普段髪をまとめさえしないことを真木に突っ込まれた。いざ二条が現れたとなって、自分が髪飾りの存在自体を忘れているかもしれないだろうとも。
「……そもそもこれ、富岡さんのために作られたのかな? 個人名は書いてないみたいだけど」
 治の声で我に返り、椛は慌てて封筒とメッセージカードの宛名を確かめる。双方とも、「早二野」宛てとしか書かれていなかった。なら髪飾りは一体誰用のものなのか。四人が顔を見合わせ、まず椛が口火を切った。
「一個しかないならさ、あと三人分作ってもらおうよ! 二条くんに手紙書いてさ!」
「二条さんに手間を掛けさせるつもり? いつも雑貨を作っている暇もないでしょう」
 真木が呆れる中、白神がテーブルに置かれた髪飾りを奥へやろうとする。
「おれはいらないぞ。髪飾りなんて付ける気はないからな」
「いや、意外と白神君にも似合うんじゃない? ほら、秘書の林さんだっておしゃれだったし」
「ばかなことを言うな、端! からかっているのか!?」
 白神が耳を赤くして叫ぶ中、苫小牧がカウンターの奥から身を乗り出した。ちょうど自分も新しいものが欲しかったと呟く彼女が、とりあえず誰がこれを預かるのか尋ねる。すぐさま構成員たちの口論が、小料理屋の店内に響いた。
「二条くんと長く一緒にいたのはあたしなんだよ! あたしが持っておかなきゃ!」
「富岡さんなら、すぐなくすんじゃない? それでまた作ってとか頼むんだよ」
「わたしにもそうとしか思えません。ものの丁重な扱いには自信があるので、ここはわたしが――」
「それならおれだって、家に環境の整った保管室があるぞ。壺とか茶器とか、入っていたっけな。――しかしこの髪飾り、どのくらいの価値があるんだ?」
 各々が意見を主張し、閉店間近までそれがやむことはなかった。時計を気にしていた苫小牧が、やがて卓上の髪飾りをそっと手にする。
「ここは一旦、私が預かっても良いかしら。『早二野』の一員ではないけれど、責任なら持てるわ」
 しばらく女将を眺めていた四人が、互いを見合ってから案を受け入れる。そして翌日に椛がバイトへ赴いた時、誰のものとも知れない髪飾りはカウンターを前にした壁に、画鋲で止めた透明な袋の中でひっそりと収まっていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み