六、思わぬ違い

文字数 3,388文字

 日は流れて十二月二十五日となったが、クリスマスを楽しんでいる余裕はなかった。夕方に、椛は小さな鞄を手にした刑部姫を玄関で見送った。財布や折り畳み式のエコバッグも預け、今日は買い物を頼んでいる。刑部姫との生活もすっかり馴染んできた。もはや食器洗いや洗濯、軽い掃除を任せてもらわない日は考えられない。久遠とはこれほど便利なものだったのか。もっと広まれば、人々は楽が出来るだろうに。
 居間に戻って支度をしつつ、椛はふと二条元家のことを考えた。今日蒐集する予定の久遠も、刑部姫のように人間そっくりなのだろうか。生きていた人を模しているというが、どれほど似ているのか。割と近いはずの店から帰ってこない刑部姫が心配になりながら、椛は蒐集を為すべく家を出ることにした。適当なチラシの裏に、荷物は玄関へ置くよう書き付ける。
 刑部姫の教えてくれた目的地の最寄り駅で「早二野」の仲間と待ち合わせ、日のすっかり暮れた中を歩く。都心から離れた住宅街の一角に、姫路が一人で久遠を製造するアパートはあるという。ぽつぽつと部屋の灯りが見える夜道で、真木が久遠研究所を気になって調べていたことを明かした。
「彦根さんも言っていた通り、久遠研究所は人造人間である久遠を製造・研究し、世の中へ普及するために動いている組織です。表向きは人工知能やロボットを研究する機関として伝えているようですが。二条元家はここの設立にも携わっていて、割と早いうちから久遠に親しんでいたと聞いています」
「二条元家が亡くなったのが、今年の誕生日より前で五十七歳だろう? その人が若い時から久遠を知っていたというのかい? それなのに俺たちは、つい最近まで知らなかったなんてね」
 治が驚く横で、白神は小さく俯いている。何かあったか椛が尋ねると、年下の青年は大きく溜息を漏らした。
「ここじゃ異世界の技術をそう広められないから、研究所とやらも手間取っているんだろう。この世界は異世界に関して知ることも接触することも禁止しているからな。おれたちを追っかけている国蒐構だってそうだ。蒐集家が異世界を広めかねない存在とか言って危険視している」
「国蒐構って、あの国蒐構!?」
 最近会っていないとはいえ警戒すべき茶色い制服姿の女が浮かび、椛は体を震えさせる。そして真木も、国際蒐集取締機構が白神の言うような役割を本当に持っているのか戸惑いを示した。
「でもなぜ、蒐集家という存在に特化する必要があったのですか?」
「どうも蒐集家は、異世界を行き来して当然と見做されているものらしい。実際に移動しているやつもいるし、だからこそ厳しく取り締まろうとしているんだろう。なぁ、端も当然知っているよな? きみも昔に蒐集家をやっていたんだから」
 意地悪く笑う白神の方を、治は見ようともしない。椛からも顔を背ける形となり、彼が何を考えているか判断することは出来なかった。やがて白神は笑みを収め、星の出る空を軽く仰ぐ。
「あの刑部姫ってやつ、おれの代わりに国蒐構から名物を取ってきてくれないかなぁ……。あいつなら蒐集家でもないし、向こうに行っても逮捕されないだろう」
 やはり白神はまだ、実家の品を集め切ることに意欲を見せている。彼に刑部姫はどうしているか問われ、いつも通りだと椛は話す。今日は買い物を任せていて、さすがにこの時間は自宅へ戻っているはずだ。そこに真木が刑部姫の語に反応して、わずかに顔をしかめる。またあの久遠が勝手なことをしないか、ぶつぶつ言っていた。
「椛が言っていなかったのに場所まで探り当てていたとは、どう考えても奇妙よ。今回も――」
「前は助けてくれたからいいじゃん! もしかしたら今日も助けてくれるかもしれないよ!」
「警戒はすべきでしょう。刑部姫と姫路好古は親しいみたいだけど、それについて思うところはある?」
 慌てて反論した椛は、真木の厳しい声に押されて黙る。前の蒐集に介入した後、刑部姫は一言も姫路について口にしなかった。二人は知り合いという仲ではなかったか問う治を、真木は簡単に認めない。彼女は刑部姫と姫路がどのように接近したかが問題だと呟く。
「これはわたしの勝手な推測ですが――『親子』というのは考えられないでしょうか?」
 真木はそう言った後、道の突き当たりにあったアパートの前で足を止めた。クリーム色の外壁が目を引くこの小さな建物で、本当に人造人間が作られているのか。少し信じ難い気持ちに襲われつつ、椛は先に真木が一階の部屋で鍵を開けるのを見守った。合図を受けて場所を移り、こちらから見て最も右にある扉の前で息を整える。取っ手を握っていた真木が一気に引き開け、全員で部屋へ入り込んだ。
 真っ暗で何も見えないと思ったのも一瞬で、後ろにいた仲間が電気を付けると椛は不意に小さく叫んだ。腰から力が抜け、尻餅を突いた挙句ひっくり返りそうになる。上がり框の先に、入り口から狭い部屋に並ぶ様々な器具が見える。知識がないため上手く説明できそうにない機械類や天井に届きそうな円柱の水槽が奥にある中、手前の椅子に人間らしきものが腰掛けていた。
 少しよれ気味のシャツとズボンに身を包む姿は、若い青年に似ていた。細い眉と目の間は広めで、瞳は閉じられている。体はぴくりとも動かず、何かを待っているようにも見えた。これが探していた久遠だろうか。刑部姫と同じく、機械を思わせる要素はない。
 真木がレッグポーチから写真を取り出し、慌てた声で椛たちを呼んだ。彼女の持つものを覗き込み、椛は座っている久遠と比べて首を捻った。写真の二条元家は、六十近い年相応の顔をしており、皺もいくらか見えた。だが彼を模したという久遠の方は、輪郭やパーツの位置などは変わっていないものの、明らかに若い。写真より顔がいくらかふっくらしており、皺は一切なかった。二十代と言われても疑えない。あの久遠を蒐集したとして、依頼した彦根が困惑しないか心配だ。
「ここで迷っているわけにもいかないだろう。あれが二条ってことで、とっとと蒐集して帰るぞ」
 白神に急かされ、真木が素早く写真を片付けた。事前にいくつか立てていた作戦の中で、久遠がほぼ出来上がっていた場合に予定していたものを行うことになる。まず久遠に近寄り、椅子から立ち上がって歩くよう求めたが反応はなかった。耳が聞こえないのか無視しているのか分からず、自分で移動してもらう案は諦めざるを得なかった。
 次いで二手に分かれ、治と白神が久遠の両手足を畳んで箱に入れる作業を、椛と真木は彦根にもう一つ求められていた久遠製造用の部品をまとめることにした。しかしどれが久遠を作るために必要なものなのか、椛には分からない。床に転がっているねじや金属片も、持っていって良いのだろうか。
 適当に蒐集を行おうとした中、たまたま奥へ入り込んだ椛は机の上に古そうな本があるのを見つけた。何気なく手に取ると紙にはいくらか柔らかみがあり、開いて手書きの字がつらつらと並んでいると認められた。行の先頭に日付が記されており、これが日記だと理解する。よく紙面に顔を近付けようとした時、目の前から本が消えた。
「こら椛、人のものを勝手に読むなんて――」
 日記を取り上げた真木が、入り口からの物音に振り向く。扉が開けられ、白神が床に座らせていた二条の手を離し、入ってきた相手へ銃口を向けた。天井の灯りに照らされる男は、異様に肌が白かった。ぼんやりと椛の記憶にある「楽土蒐集会」の会長にも近い色で、日焼けを知らないように見える。さらに髪さえ色素が抜けており、細い金色のカチューシャが目立っている。男は床に下ろされた久遠へゆっくりと歩み寄り、長袖の先から伸びる黒い穴開き手袋を嵌めた手でその髪を撫でた。
「彦根さんの思い通りにはなりません。二条さんはほとんど完成していますよ」
 カラーコンタクトでも入れているのか、やはり白い瞳を椛へ向けて男は告げる。それに真木が何か言おうとした時、再び扉が開いた。椛が驚く暇もなく、現れた久遠は親しみ深い声を出す。
「急に出てきてごめんなさい、皆さん。しかしこうなるのは必然だったのです。わたしがこの姫路さんに、色々と教えていたのですから」
 荷物の入ったエコバッグを持ち、刑部姫は姫路と呼んだ男の隣に移る。そして姫路へ確認するように言った。
「そうですよね、お父様?」
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