七、起動開始

文字数 3,629文字

 ぼんやりと、椛は向き合う「親子」の姿を眺めていた。父と呼んだ存在をじっと見上げる刑部姫に、姫路は反応を示さない。静けさに満たされていた部屋の空気を、突如真木が打ち破った。
「刑部姫さん、わたし達を監視していたんですか?」
 真木が強く足を踏み込んで掴み掛ろうとするのを、椛は咄嗟に止めた。友の手首をこちらへ引き、ここ二週間ほどを過ごしてきた久遠が何を言うか待つ。刑部姫はあっさりと、真木の問いに肯定した。「七分咲き」の外で彦根の依頼を聞いていたとも、真木がどことなく疑っていることに勘付いていたとも語る。
「しかし屋久島さんがわたしを警戒して壊したところで、意味はなかったでしょう。また修理して動けば良いのですから。いや、脳にあたる記憶部分を破壊すれば、結果は違ったかもしれませんね。ああ、富岡さん、ちゃんとお務めは果たしましたよ」
 頭の部分を指先でつついていた刑部姫が、思い出したように椛へエコバッグを差し出してきた。頼んでいた商品だけでなく、財布の入った小さな鞄もまとめて入っている。中身を確認して椛は顔を上げ、ふと浮かんだ疑問を口にした。
「姫路さんがおとうさんって……どういうこと?」
「言葉通りの意味です。わたしは姫路好古によって製造されました」
 まだ姫路が久遠研究所で働いていたころ、刑部姫は彼によって独自に作られた。主に姫路の手伝いをするのが目的で、今回も「早二野」を知るべく動いていたという。「楽土蒐集会」の件を経て貴重な文化財を保護していることに、姫路は注目したのだった。
「皆さんの活動が、わたしは興味深かったのです。わたしも文化を守りたくて、久遠を作っていますから」
 わずかにこちらへ歩み寄って、姫路は言う。彼は後継者不足で危機に陥っている伝統工芸の世界を、どうにかしたいと思っていた。人と同じ繊細な作業の出来る久遠なら、その問題を解決できる。若者が伝統に触れる機会の乏しい中、久遠は苦しむ業界を救ってくれるだろう。
「『楽土蒐集会』の熊野さんも、賛同してくれてました。あの人は平泉さんと一緒に研究所へ来て、わたしの案に期待しているみたいでしたよ」
 過去を懐かしむように、姫路は目を細める。久遠発祥の国でも同じ思いを抱いている人がいると聞いているが、いまだ会えていない。そう呟いて姫路は、治と白神が苦労して椅子から下ろした二条の前へ移った。
「『早二野』の皆さんには伝統を守るために手を貸してほしいと思っていましたが、こんな形で会うとは。……二条さんは、渡しません」
 それまで穏やかだった姫路の瞳に、静かな激しさが宿った。いくら好意的な思いを抱いている人々とはいえ、容赦はしないというのか。床の上で固まる久遠の二条を守るように立つ姿も相まって、彼の言葉は本当だと突き付けられる。
 姫路の脚に隠れ気味な二条元家の久遠へ視線を向け、椛は深呼吸を一つした。自分たちの目的は、二条の蒐集だ。怪しむ様子を見せながら、自分たちへ依頼をしてきた彦根の姿が浮かぶ。彼が困っていると思って、盗まれたとはいえない品を手に入れようと決めたのだ。普段とは少し違う蒐集も、諦めてはいけない。素早く顔を上げ、椛は姫路の顔を正面に捉えた。
「あたしたちはこの蒐集をやらなくちゃ! 困ってる人が待ってるんだから!」
 すかさず椛は姫路の横を回り込み、座る二条の片腕を引っ張った。久遠は自分で立ち上がろうともせず、ただ重みが椛へ疲労を与えてくる。今度は両脇の下から手を入れて持ち上げようとしたが、失敗した。
「富岡、そいつは男二人がかりでも長時間運ぶのは厳しいはずだぞ。きみ一人じゃ無理だ」
 既に久遠の重みを知っていた白神の声が、すっかり諦めているように聞こえた。それに言い返そうとして、椛は姫路の問いに阻まれる。
「彦根さんのもとに渡ったところで、二条さんはどうなるのですか? ただの人形として放置しておくのも、惨いことでしょう。それは生きていた二条さんにも失礼になります」
「その二条元家という久遠は、若い時の姿で作っていた? 当時の彼をちゃんと見た上で?」
 尋ねてきた治に、姫路は否定する。ただ二条の望みを叶えるため、昔の写真などを参考に作った。それしか言わずにいた男の手に、いつの間にか細身のナイフが握られていた。椛が視覚で判断できないうちに、服の中からか取り出されたらしい。
「二条さんの願いを、ここで止められるわけにはいきません。どうかご容赦を」
 武器を持った相手と距離を保ち、周りの仲間も動いた。真木は常に携帯しているスタンガンを手に一度電流を流し、白神も再び拳銃を姫路へ向け直した。冷たいような緊張感が、狭い一室に張り詰める。そこで治が、こちらへ振り返った。
「ここは引き返そう、三人とも。深夜のアパートで騒いだら、周りに住んでいる人にも迷惑が掛かる」
「そんな、蒐集がまだ――」
 心臓が騒ぐ中で止めようとする椛へ、治は顔を険しくさせる。
「もう計画は、彦根さんの望んでいない所まで進んでいたんだ。彼は二条元家の製造がまだ途中だと思っていたかもしれない。でも現実は、こうだろう?」
 治は完全な人の姿をした二条の久遠を示す。これで完成なのか問う彼に、姫路は軽く首を振った。後はプログラムを起動させるだけで、そうすれば大きな損害を受けない限り、今後は人間のように動き続ける。
「……本当に、久遠の二条元家を完成させて動かすことに、問題はないと言うんですね?」
 白神と共に武器を下ろしていた真木が、冷静に問い掛ける。二条元家という人間には、彼の人生があっただろう。同じ名前と姿を持つ久遠がこの世にいれば、生きていたころの二条はどうなるのか。以前にも話していた懸念を、真木は改めて持ち出していた。対する姫路は、何も不安を覚えていないようだった。
「久遠の彼が動けば、二条さんが生きられなかった第二の生を全うすることができます。あの人はもっと長生きするはずでした――あんなことにさえならなければ」
 姫路は顔を曇らせ、わずかに俯く。二条は今年の春、ちょうど流行の進んでいた新たなウイルスによって命を落とした。感染を防ぐため、親しい者であっても火葬に立ち会うことは許されなかった。次第に声を震わせる姫路は、やがてまっすぐこちらを見る。
「彼のやりたかったことを、わたしは果たさなければならないのです! この久遠を使えば――」
「それで本当に、二条さんは満足すると言うのですか!? 人は死んだらもう――」
「やめておけ、屋久島。何を言っても無駄だ」
 声を上げた真木の後ろで、白神が低く制する。拳銃も仕舞われ、これ以上立ち向かう心はないようだった。
「ここはとっとと立ち去るべきだろう。頼まれていたものも、重くて運ぶのに厄介だしな。富岡もいいか?」
 白神に目を向けられ、椛は考える。再び、依頼を懇願してきた彦根の様が脳内にぼんやり再生される。知らない自分たちに頼んでまで、怪しそうな広告を開いてまで姫路を止めたかったのだ。確かに彦根が予想していなかったように、完成間近とはなっている。しかしどんな状態であれ、目当ての品を蒐集して彦根へ渡すことが大事なのではないか――?
 移動を諦めかけていた二条へ、椛は向き直る。組み立てて床に置いていた箱へどう入れようか、四人なら持ち上げることが出来るか。ひとまず二条の両手を握って引き寄せようとし、ふと椛はその感覚が先ほどよりずっと軽いことに気付いた。
 呆気なく立ち上がった久遠は、うっすらと目を開けている。寝ぼけ眼に近い眼差しは、どこを見ているのか分からない。ゆっくりと片足が一歩ずつ踏み出され、椛もつられて後ずさる。途中で相手が転びそうになったのを見て、椛は慌てて支えた。身長の近い久遠の頭が左肩に載り、少しずつ温かい温度が伝わってくる。ふと視線を上げた先にあった時計は、午前零時を少し過ぎていた。
「時間通りですね。誕生日に合わせておきましたよ、二条さん」
 姫路の言う通り、久遠は日付が変わると同時にきっかりと動きだしていた。やがて二条元家は椛から体を離し、しっかりと二本の脚で床を踏み締める。今ならわざわざ箱に入れなくても、二条を歩かせて彦根のもとへ連れ帰ることが出来るかもしれない。椛は声を掛けようとしたが、久遠は黙って姫路の方へ向きを転じ、足を進めだした。まだ動くことに慣れていないのか、少しふらつきながら創造主の前へ行く。
「歩けますか? なら今度は、これを持って自分の名前を書いてみてください」
 ズボンのポケットからペンと皺の入った紙を取り出し、姫路は二条へ渡す。活動を始めたばかりの久遠は、虚ろな表情のままぎこちなくペンを用い、やがて「二条元家」と記した紙を姫路へ返した。それまでいくらか強張っていた姫路の顔が緩む。
「お帰りなさい、二条さん」
 願いを叶えた男は、安堵と喜びの混じった声を漏らす。目の前の出来事を、椛はただ仲間と共に呆然と見つめることしか出来なかった。
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