やっぱり紫!
文字数 1,532文字
久しぶりに帰ってきた娘が大人のぬり絵を購入してきたと聞いて、そういえば、と押し入れから古い色鉛筆を出した。
懐かしい!と感嘆する娘。
そして、それをすべて削るのは何故か私で、意外と大変な作業。
ほとんど使ってない色もあり、もう持てないくらい短い色もあり。
私が生まれて初めて好きになった色は「赤紫」だった。
紫でも赤でもないこの色は、どちらかというと紫に分類されると思う。
子どものころの「ぬり絵」
一度は経験ありませんか。自分の好きな色、1色で塗りつぶした経験が。
もしくはお子さんにいませんか?
好きな色1色で塗りつぶした子。
私もその1人だった。
そして我が次女もその1人。
娘は「緑」だった。
娘は私よりも壮大な心の持ち主で、ぬり絵にとどまらず、人形の体から腕時計(本物)に至るまで、次々と緑色の油性ペンで塗りつぶしていった。
その情熱は、私の想像を越えていて、叱る気すら起こらないほど。
そこで、なぜ緑なのか、
あまりの情熱に私はふと疑問に思った。
身の回りに、緑、のものがあまりなかったから。どちらかというと、女の子2人だったので、洋服や雑貨は赤やピンクが多かったし、私の好み上、室内は茶系で統一されていた。
なぜか?
私がそこで感じたのは、最初に好きになった色は、その人の本能で選んでいるのではないかということ。
遺伝子レベルの存在色。
成長とともに、周りの環境や体験に影響を受けて、その時々で好きな色は変わっていくのだろう。でも、本能で選んだその色は、きっとその人のラッキーカラーかもしれない。
そんな気がする。
私の母は、娘である私が、赤紫を選んだことを不本意に思ったのか「紫は気ちがいの色」だと私によく言っていたのを覚えている。今思えば、言っている内容も言葉そのものも、ひどいものだ。だけど、その言葉で私は、紫はあまり良い色ではないのだと思い込み、徐々に私の好きな色からは外れていった。
かわいそうな紫。
その後、成長した思春期の私は、自分の星座のラッキーカラーが紫であると雑誌で見たときに
「やっぱりね」と妙に納得したものだ。好きだったことを忘れていたのに。
頭の片隅、いや、やっぱり遺伝子のどこかに住みついていた、そんな気がした。
しかし、1度外された可哀想な色にスポットライトが当たることはなく、紫を表面に出すことはなかった。トラウマになったのだと思う。
その後、私は更に年を重ねて子育てをするようになり、子どもを連れてあちらこちらへとドライブにも出かけた。花を愛でる年になったということもあるのかもしれない。
北海道の五月は、たくさんの花が一斉に咲き始め、それはもう見事なほど。
クロッカスに始まり、梅、桜、チューリップと同時に咲いていく。なので五月が来るとわくわくする。
赤や黄、薄紅。いろいろと咲き乱れる中で、私の心をつかむもの。それは紫の花なのだ。
ライラックに藤、夏にはラベンダー。なんと美しく、愛らしい。そして品がある。緑の葉によく映えて、私の本能を揺さぶる色。
それは、やっぱり紫!
今では紫好きですが何か、と言えるくらいに年もとった。筆名として選ぶほどにも。
そんな年を経たつい先日、眼鏡を変えるためにパーソナル診断カラーを受けた。結果は、紫や青紫のパステルカラーがよくお似合いです、とのこと。
なんと!
さすがに紫の眼鏡をこの年でかける勇気はないが、店員さんのお勧めもありサイドに少しだけ薄紫色の入ったものにしてみた。髪の毛で隠れて全く見えない場所だけども。
その夜、仕舞ったままだった新しいラベンダー色のストールを押し入れから引っ張りだし、ここ数日愛用している単純な私である。
そして心の中で思っている。
やっぱり紫!
懐かしい!と感嘆する娘。
そして、それをすべて削るのは何故か私で、意外と大変な作業。
ほとんど使ってない色もあり、もう持てないくらい短い色もあり。
私が生まれて初めて好きになった色は「赤紫」だった。
紫でも赤でもないこの色は、どちらかというと紫に分類されると思う。
子どものころの「ぬり絵」
一度は経験ありませんか。自分の好きな色、1色で塗りつぶした経験が。
もしくはお子さんにいませんか?
好きな色1色で塗りつぶした子。
私もその1人だった。
そして我が次女もその1人。
娘は「緑」だった。
娘は私よりも壮大な心の持ち主で、ぬり絵にとどまらず、人形の体から腕時計(本物)に至るまで、次々と緑色の油性ペンで塗りつぶしていった。
その情熱は、私の想像を越えていて、叱る気すら起こらないほど。
そこで、なぜ緑なのか、
あまりの情熱に私はふと疑問に思った。
身の回りに、緑、のものがあまりなかったから。どちらかというと、女の子2人だったので、洋服や雑貨は赤やピンクが多かったし、私の好み上、室内は茶系で統一されていた。
なぜか?
私がそこで感じたのは、最初に好きになった色は、その人の本能で選んでいるのではないかということ。
遺伝子レベルの存在色。
成長とともに、周りの環境や体験に影響を受けて、その時々で好きな色は変わっていくのだろう。でも、本能で選んだその色は、きっとその人のラッキーカラーかもしれない。
そんな気がする。
私の母は、娘である私が、赤紫を選んだことを不本意に思ったのか「紫は気ちがいの色」だと私によく言っていたのを覚えている。今思えば、言っている内容も言葉そのものも、ひどいものだ。だけど、その言葉で私は、紫はあまり良い色ではないのだと思い込み、徐々に私の好きな色からは外れていった。
かわいそうな紫。
その後、成長した思春期の私は、自分の星座のラッキーカラーが紫であると雑誌で見たときに
「やっぱりね」と妙に納得したものだ。好きだったことを忘れていたのに。
頭の片隅、いや、やっぱり遺伝子のどこかに住みついていた、そんな気がした。
しかし、1度外された可哀想な色にスポットライトが当たることはなく、紫を表面に出すことはなかった。トラウマになったのだと思う。
その後、私は更に年を重ねて子育てをするようになり、子どもを連れてあちらこちらへとドライブにも出かけた。花を愛でる年になったということもあるのかもしれない。
北海道の五月は、たくさんの花が一斉に咲き始め、それはもう見事なほど。
クロッカスに始まり、梅、桜、チューリップと同時に咲いていく。なので五月が来るとわくわくする。
赤や黄、薄紅。いろいろと咲き乱れる中で、私の心をつかむもの。それは紫の花なのだ。
ライラックに藤、夏にはラベンダー。なんと美しく、愛らしい。そして品がある。緑の葉によく映えて、私の本能を揺さぶる色。
それは、やっぱり紫!
今では紫好きですが何か、と言えるくらいに年もとった。筆名として選ぶほどにも。
そんな年を経たつい先日、眼鏡を変えるためにパーソナル診断カラーを受けた。結果は、紫や青紫のパステルカラーがよくお似合いです、とのこと。
なんと!
さすがに紫の眼鏡をこの年でかける勇気はないが、店員さんのお勧めもありサイドに少しだけ薄紫色の入ったものにしてみた。髪の毛で隠れて全く見えない場所だけども。
その夜、仕舞ったままだった新しいラベンダー色のストールを押し入れから引っ張りだし、ここ数日愛用している単純な私である。
そして心の中で思っている。
やっぱり紫!