通称、おねえちゃん

文字数 1,342文字

 娘たちが幼いころのDVDを、整理しながら見直していたときのこと。
 じっくり見たことなかったなぁ、と言いながら見ていた長女がふと「ちゃんと、姉、してたんだ」とつぶやいた。
「姉なんて自覚なく育てられたのにね」と。

 私の姉が中高生の頃、とびっきり派手な反抗期を迎えていた。親子喧嘩を見て見ぬ振りをしながら、飛び火が降りかからないように気をつけて過ごしていたある日。姉が、親に叱られて言い放った言葉を今も覚えている。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんって、あんた(父母)のお姉ちゃんじゃないしっ!好きでお姉ちゃんに生まれてきたんじゃないっ!」
 まあ確かに私の姉であって、父や母の姉ではない。でもただの呼びかただ。そんなふうに感じるのかと印象に残り、この言葉は自分が子育てするときに何度も思い返すことになる。

 私はふたりの娘を産んだ。
 ふたりとも名前で呼び、遊ぶときも喧嘩のときも「姉」「妹」という言葉を使わないようにしていたのは、あの時の姉の言葉が常に頭の片隅から離れなかったから。

 成長したふたりの娘は、次女が姉のように落ち着いたしっかり者のキャラに、長女がギャル系でコミカルでマイペースなキャラへと育った。
 長女からは「お姉ちゃんだから、と言わずに育ててくれてよかった」と言われたことがある。
 次女からは「なんでこんな姉なの?」と言われたことがある。
 姉には良くても妹には良くなかったということなのか、と考えたときには娘は成人しており時すでに遅し。

 そんなこんなを経て、今回言われた「ちゃんと姉してた」の言葉。
 一緒にDVDを眺めてみると。
 ホントだ。
 そこに映っているのは、次女が長女を追いかけて手を繋ぎたがっていたり、長女のまねをして遊んでいたり、長女が次女へ絵本の読み聞かせをしている姿。

 親が何を思おうと、どう育てようと、この時期は自分に引っ付いてくる小さいものを無下に扱わない本能がはたらいて「姉」と自覚している行動をとっているのだった。見ていると、とっても面白い。
 実は私は、上記のように とらえられているふたりの娘を、根本では違った感じ方をしている。長女は一本芯の通った強さがあり、次女は感受性が強く繊細だと。
 結局、その言葉を使って、したくない役割を押し付けられていると感じるから反発するのであって、呼び方なんて関係ないのではないだろうか。なんて言ったら今も姉は反論するだろうけれど。

 関係ないと結論付けておいて、書いているうちにひとつ思い出したことがある。
 中高生時代、姉が同じ学校にいると先生や先輩に「紫さんの妹」と言われるのが嫌だった。だって「紫さん」だもの私も。妹いらないでしょ、と常々思っていた。
 次女も中学生時代に同じことを言っていて、わかるよーと共感したことがある。苗字ではなく名前、たとえば「りえさんの妹」と言われるのは理解できる。小さなことだけど、ひっかかっていた。
 呼びかた、か。
 姉の気持ちがほんの少しだけ理解できた気分になる。でも。

 あれからウン十年。
 年老いた父母は今も、姉のことを「お姉ちゃん」と呼ぶ。いろいろあったけれど、それでいい。それがいい。
 だって、おねえちゃん、ってホッとする言葉だ。

「なに言ってんの」と一蹴する姉の声が聞こえてきそうだけど。


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