同じ名前の女たち

文字数 2,564文字

 物心ついた時には、常に周りに同じ名前の人がいた。
 家の道路向かいには、同い年のりえこちゃんが、三軒向こうには、これまた同い年のりえちゃん、というように。
 私の名前は他の人の名前でもあった。

 田舎の同じ町内だから当然小学校は同じ。
 お向かいの利江子ちゃん。なぜか近所の母たちには「りえちゃん」と呼ばれていた。「Sさん家のりえちゃん」と。私より頭ひとつぶん背が高くて、一緒に並んで登校するときはいつも見上げなければならなくて、自分が小人になったみたいに感じていた。同級生には「Sさん」とか「りえこちゃん」と呼ばれていて、私は「Sさん」と呼ぶことを選んだ。登校のみで、学校ではほとんど一緒にいなかった。

 三軒向こうの里恵ちゃん。近所の母たちには「Aさん家のお姉ちゃん」
 頭がよくていつもクラス委員をしていたリーダーシップのある子。同級生からの呼び名は「Aっぺ」同じく小学校時代はほとんど一緒にいなかった。彼女は中学時代、近所の先輩に懇願されて同じ卓球部に一時在籍していたことがあるから(お勉強のために後に退部)その間だけ多少は仲良しだったけれど。

 私は近所では「紫さんちの妹ちゃん」と呼ばれ、同級生には苗字の頭文字「M」で呼ばれていた。前ならえのいらないチビッ子で、人の輪が苦手で、教室の隅でぼんやりしているタイプだった。

 漢字はそれぞれ違った。よくこんなに違う漢字の組み合わせがあるものだと感心するほどに。
そしてそれが個性を表す ほんの少しの拠り所だと感じていた。
 実際には三者三様で、当然名前ではない個性があったのに。あの頃の私は、同じ名前の人と行動を共にしたら自分が消えてしまうような訳のわからない意識にとりつかれていた。

 中学校はふたつの小学校が合流し集まってきて、そこで更に一人増えた。同じ名前の人に会うたびげんなりする私。
 その中学校で避けられない事象にぶつかる。
 私の小学生時代は苗字で呼び合うことが多かったけれど、隣のR小学校から入ってきた子たちは名前で呼び合っていて、そのR小から入学してきた彼女は「りえ」と呼ばれていた。他の選択肢はなかった。

 中学から一緒になった理絵ちゃんは、面白くて優しくて当時花形のテニス部所属。地味な卓球部員の私となぜか気が合い、学年が進むにつれて一緒に過ごす時間が増えていく。
 他人に「りえ」と呼び掛けることに最初は抵抗を感じていた。それは私の名前でもあるのに、と。でも、学校での私は「りえ」ではなく「M」だった。
 自分の名前を呼ばれると隣の友達が返事をするような、そして私自身も彼女に「りえ」と呼びかける環境に、最初は戸惑っていた。私もりえなんですけど、と内心のモヤモヤを消せぬまま半年は過ごしただろうか。
 次第に、自分の名前を呼ばれても、返事もしないし振り向きもしないということが身に付いていく。名前がよりいっそう遠ざかる。
 そんな思春期、私についている「りえ」という名前はいったい何なんだろうという強い違和感を抱いていた。どうしてこんなに溢れている名前をつけたのだろう、という親のセンスを疑った時期。

 頭のいい里恵ちゃん以外の、三人の「りえ」は同じ高校に進んだ。別のクラスにも「りえ」は存在した。ただ、十クラスあったので、高校からの「りえ」とは、ほとんど交流する機会は訪れなかった。ただ、周りの「りえ」が増えるたびに分割されて、私の中の「りえ」はどんどん存在感が薄れていった。一番りえが遠くにあった頃。どこにでもありすぎる名前が好きにはなれなかった頃。

 名づけの話を聞いたのは、そんな高校生のとき。
 母から「本当は違う名前だった。当日父が勝手に別の名前で戸籍を提出した」と聞かされたときは衝撃がはしった。もともとつけられていた名前のほうが良かった、とすら思い、ほんの少し父の行動を恨んだ。

 地元でそのまま成長した私たちは、高校卒業後、地元を出てそれぞれの道へ進む。
 私は看護学校へ。見知った顔のいない場所で、友人が大きく変化した年。

 看護学校にも理恵子ちゃんがいて、同じ名前の誰かが近くにいる人生は避けられないのだろうと覚悟する。名前への思い入れはないまま「りえ」は他人のような顔をして私の中に沈んでいた。
 しかし友人環境の変化は、そんな沈んでいた名前に浮き輪を投げ掛けることとなる。理恵子は「りえこ」と呼ばれ、私は「りえ」と呼ばれた。
 十八歳。初めて私は友人から名前で呼ばれる環境に身をおくこととなる。友を呼びかける言葉であった「りえ」が、いきなり自分へ向けられる言葉になった瞬間だった。

 徐々に「りえ」が私に馴染み始める。それにより不思議と名前が好きになっていく。名前は呼ばれることで、その人となり、人に染み込んでいくのかもしれない。いや、名前で呼ばれていたりえたちが、単純に羨ましかったのかもしれない。
 大人になってから同じ名前の人と出会っても、もう「りえ」は小さく分割されることはなかった。私はちゃんと一人だし、実際には名前の数だけ増えていくのだから。

 今も職場に莉枝さんがいる。
 スラッと長身でスタイルが良くて仕事のできる気さくな女性だ。自ら進んで仲良くなった。
 私より古くから在籍しているので、時に名前で呼ばれている。私は職場では苗字オンリーだ。それでも今私はこの名前が気に入っているし、あえて名前で呼ばれたいとも思わない。
 それは呼んでくれる友がいるからではないだろうか。そして名前がしっかりと私に根付いたからだと感じている。
 りえ、としての居場所がある。

 名前は親からの最初のギフトだ。たとえその場で変更されたものであったとしても。その決めた瞬間名前にこめた気持ちが親にはあったはずだから。
 人生を寄り添い歩く名前。どんな名でもそれは自分のものであるし、近くに感じられるようこれからも感謝の気持ちで向き合いたい。だからこそ筆名にもしている。
 こう感じられるようになったのは、分割されたり沈んだり、名前についていろいろ感じさせてくれた、たくさんのりえたちのおかげだとも言える。
 彼女たちがどんな想いで名前と付き合ってきたのか聞いてみたいとふと思う。
 今は新たな同じ名前の人に会うのは楽しみのひとつ。会えたときには、こう言うだろう。
 わあ、同じ名前ですね。嬉しい!と。

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