3.偶然の帰り道(1)

文字数 1,572文字


 購買部で働き始めて二週間が過ぎた。

 早く仕事を覚えなきゃと前向きに頑張っていると、商品の値段も早い段階で覚えられ、レジも使いこなせるようになった。

 九時に始まり、十八時半で退勤となるので、労働時間はやや長めだが、慣れると楽な仕事だと感じるようになった。

 ーーあと三十分早く上がれると助かるんだけど……。

 最終のお店時間を終え、休憩室で私服に着替えてから「お疲れ様でした」と祥子さんに挨拶をする。

 階段に足を掛けると、事務局の男性職員、津島さんに声を掛けられた。

「水嶋ちゃん今帰り?」

「あ、はい。お疲れ様です」

 津島さんはスラッと背が高く、スーツの似合う中々のイケメンさんだ。サラサラの黒髪をいつも感じ良く整えていて清潔感もある。

 推定年齢は、祥子さんと同じぐらいのアラサーだろう。

 お疲れ、と挨拶を軽く受け流し、津島さんが二の句をついだ。

「今度さ。先生方も交えて飲みに行こうって話が有るんだけど、水嶋ちゃんもどう? 屋島さんと一緒に」

「え……」

 ーーどう、と言われても。

 私は瞬時に颯太の事を考え、飲み会なんてとても無理だなぁとぎこちない笑みを浮かべた。

「あ。彼氏にうるさく言われちゃうかな?」

「あ、いえ。そういうわけじゃ無いんですけど……」

 私に子供がいる事は、今のところ本店の従業員の人と祥子さん、そして学生の鳴海くんしか知らない。

 学生の子に打ち明けるのは、あれこれ要らない詮索をされると困るから言えない。でも、事務局の人なら、分別のある大人だし言っておいても良いんじゃないかと思った。

「あの……、津島さん」

「はい」

「私。……その。四歳の子供がいるので、飲み会などには参加出来ないんです」

「……え」

「だから、お気持ちだけ有り難く受け取っておきますね。今日もお疲れ様でした」

 言いたい事だけ言って、ペコリとお辞儀をし、私は外に出るため階段を昇った。

 学校のガラス扉を抜けると風の冷たさに身震いする。帰り道はすっかり闇に包まれていた。

「早く帰らなきゃっ」

 左手首の腕時計に目を落とし、最寄り駅までの道を駆けた。この時間だと、いつもの電車には乗れない。どれだけ急いでも家に着くのは七時十五分過ぎだ。

 駅に着いたら母にメッセージを送っておこう。母の事だから、颯太の晩御飯はもう済ませているだろう。

 購買部の仕事を始めてから、颯太の保育園のお迎えは母に任せっきりだ。

 駅の改札を通り、数本停まった電車の中から早めに着くそれに飛び乗った。

 ーーふぅ。

 駅に停めた自転車を飛ばせば、七時過ぎには家に着くかもしれないな。

 私は一度取り出したスマートフォンを、また鞄の中に仕舞い込んだ。

 程なくして、プラットホームに発車ベルが鳴り響き、車内に扉が閉まるガイダンスが流れた。

 その時だ。プシューッと音を立てて閉まる扉をすり抜けて、男の子が一人乗車する。

 ーーえ。

 突然乗り込んだのは、息を切らした鳴海くんだった。時間にして数秒、私は目を丸くして彼と見つめ合う。

『駆け込み乗車は、大変危険ですのでおやめ下さい』

「……あ」

 車内ガイダンスを聞き、鳴海くんが「すみません」と誰にともなく謝った。

 周りの乗客、特にOLさんからだろう、クスクスと忍び笑いが漏れる。私もついぷっ、と吹き出してしまった。

「鳴海くん、危ないよ?」

「……うん。だよね〜」

 学校で毎日顔を合わせているせいか、お互いに敬語で話すのをやめていた。

 ーー全く、この子は。

 初めて会った時と言い、どうも駆け込むのが得意みたいだ。

「今日遅くまで残ってたんだね?」

「……あ、うん。課題やったりしてて…それで」
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