美しい青年

文字数 650文字

 六月二日、辺りは闇に呑まれ、何も動くものは無いと思われる時分であった。私は電車に揺られ、帰路を辿っていた。この路線は利用者が至極僅かで、お月様が顔を見せる時間帯となると、片手の指に収まる者しか乗車しなくなるのだ。車両に自分一人、寂しい帰りとなる事の方が多いのであるが、その日は私の他にも客がいた。
 青年であった。頬はこけ、手足は棒きれのように細かった。色が白く、唇が紅い。女性的と言うと失礼であろうか……。彼からは、男性が持つ猛々(たけだけ)しさよりも、女性が持つたおやかさが濃く蒸発していた。
 彼は、美しい顔に微笑をたたえていた。何やら嬉しい出来事があって、あまりにもそれが嬉しいから、電車内にまで喜びを持ち込んだと見えた。私は、彼の笑みの根っこにあるものを掘り出したくなり、声を掛けた。
「アノ……」
「ハイ。僕に何か……」
「アノウ……何か良い事があったのですか……。随分、嬉しそうに笑ってらっしゃるから……」
 私の問い掛けに、彼は笑みの種類を恥ずかしそうなものに変えた。頬にさっと(・・・)朱がさす。私は彼の頬に、芍薬の色を感じた。花の宰相(さいしょう)が、肌の上に咲いている……。
「僕、そんなにニコニコしていましたか……。恥ずかしいナア……」
「世界中の幸福を享受したかのようなお顔でしたよ。是非理由を伺いたく……」
「ハア。お聞きいただけますか……」
 青年と私は、向き合う形で座っていたのだが、話をするにあたって、隣へ移動した。彼の言葉を一つでも聞き漏らすと、一生後悔する、そんな直感が働いたのであった。彼が話すところによると……。
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