扉は無限数個ある
文字数 8,303文字
「的な理由ではなく、ップしました」
「四十五回転の円盤が、ぐるりと廻る間に、歌い切ってください」
彼女はそんな意味のわからない言葉を、海外製の甘すぎる匂いをさせるグミを噛みながら話す。
そういうのって、身体に悪くない? 着色料とか香料とかさ……。
そう言った彼を、彼女はきっと睨めつける。
「ホーレンショー大佐の、人体解体ショーもどき」
彼女の話す言葉は、時々彼にはさっぱりわからない。
創成期の十一章、一ー九節にはこんな風に書いてある。
時に主は下って、人の子たちの建てる街と塔とを見て、言われた、「民はひとつで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」。
マヌイはそこの箇所を読んでは、溜め息をつく。
エリカはわかる言葉を話す時もある。だが、時々わからないことを言うのだ。
「言葉って文字の羅列でしょ? 文字の羅列に意味を持たせた共通認識なんて、所詮は同じルールの中で生きている人々の中だけの幻想だわ」
エリカは海外製のグミの袋を眺めながら、そうして話す。グミに含まれている添加物の名前を、彼女はじっと見つめているのだ。
「そういうのって、身体に毒だよ。ご飯を食べた方が良い」
マヌイはそう言って、彼女に自分の買って来た弁当を差し出す。
「何言ってるの? あんたの買って来たその弁当にだって、百種類近くの添加物がたんまり入ってる。見た目は普通の食べ物に見えたって、中身は裏でいじられまくりのプラスチックの食品サンプル同然の豚の餌をあんたたちは有り難がって食べてんの」
エリカは毒々しい色のグミを摘んで、上を向いて開けた口にゆっくりと入れる。
「だからって、そのグミが身体にいいわけじゃないだろ」
「そう、私たちは毒を食いまくらされる。防腐剤や漂白剤を身体にぶちこみまくって、最後は腐らない真っ白な死蝋になんのよね」
そのうちに戦争がやってきた。
どんな風にやってきたかというと、我々が想像していたようなどんな風にもやってこなかった。
毎日毎日、コマーシャルされる新商品をいつの間にか買い込んでいるように、戦争もコマーシャルされていつの間にか、日常の一部分になったのだ。
戦況は良い、とか、我が国には神風が吹いている、とかしかラジオは言わない。壊れたレコードのように、同じ部分を繰り返し繰り返し、言う。
マヌイがそう言うと、エリカはシニカルに笑った。
「パリに降る大量の雑炊、かさぶたの生姜焼き定職無し無色透明」
また意味不明の言葉。マヌイは煙草を吹かして、背中を丸める。
テレビをつければ、華やかな芸能人たちがひとつの狭苦しいワイプ画面にぎゅうぎゅうに集められて、笑顔と拍手とコメントを繰り返している。
あんなに狭苦しいところに沢山押し込められて、芸能人たちは苦しくないのだろうか?
「わあ、美味しそう」
「わあ、素晴らしい」
「わあ、欲しい欲しい」
大騒ぎするワイプの外側では、大写しになる肉厚なステーキ。料理をする料理人の隣で、リポーターが白い歯を剥き出して説明する。
「どうですか? 皆さん!美味しそうでしょう!このお店は設立から百年が経つ老舗のステーキハウスでですね……このお肉は何のお肉だと思われますか?」
ワイプの中で芸能人たちが口々に、我こそは答えを当てようと躍起になっている。
「豚よ!豚のお肉だわ!」
「いやあんな美味しそうな肉は、A5ランクの牛肉に違いない!」
「牛だけど、オバケ牛のでっかい舌ベロなんじゃないかしら?」
「いやあれは犀だね。僕はさァ、昔にアフリカの大統領に呼ばれて行った時に食ったことがあるんだ……」
マヌイは首を傾げる。
「普通の肉だったら、テレビになんかならないものな。特別な肉に違いない。随分美味そうだなあ」
そう言った彼を、エリカはちらと振り返り嫌悪のまなざしで見つめてから、毒々しいグミを噛む。
「消費、消費、消費。消費先生の泥沼ケチャップ講座」
意味不明なエリカの言葉と、リポーターの無邪気な説明の声が混じる。
「皆さん、残念!こちらのお肉はですね、なんと!今回、戦地で誇り高い我が軍が抹殺した敵軍兵士の肉を、無駄にしないよう再利用しているという、画期的な!題して!敵軍ステーキなんです!」
ワイプの中から、拍手が巻き起こる。美味しそうだの、環境に優しいだの、敵軍兵士に対する敬意があるだのと、芸能人たちは捲し立てる。
「へえ、だから安価で食べられるんだな。しかも、戦地から運ぶ間に腐らないように、きちんと徹底した防腐処理もされているらしい。クリーンで安く、しかも食べ物を無駄にしないってわけだ」
マヌイが関心していると、エリカは席を立つ。
「どこいくんだ?」
「素行不良学園、真っ平ら慶喜から、回鍋肉の回覧板」
全く、彼女は狂っている。マヌイは嘆いて首を振る。
しとどに雨が降る。涼しい風が窓から吹き込んで、部屋の中にいる人間たちの転寝を推奨する。
部屋の中には予言者がいた。予言者は部屋から、決して出ない。彼は厭が応にも未来を予知してしまうからだ。
未来はいくつもの階層に別れ、ひとつの階層の中でも沢山の部屋に続く扉が何億、何兆個、いや無限個数に近く存在する。
全ての未来が同時に存在し、そして同時に過去をも書き換える。
可能性や確率論というのは、実は常に変化し続けている。壊れた羅針盤のように。とある日は針が東を差し、またあくる日には東は西になるのだ。
もし、あなたの読んでいる小説のラストが9999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999個以上あると言われ、その全てを一気に様々な方向から教え続けられたらどうだろう?
予言者の脳に起きているのは、そういった類いの混乱だった。
幸福なイメージ、暖かいイメージと共に、背筋の凍るようなイメージも大量にはためき、踊り舞い込んでくる。
単点的な善し悪しで、運命は決める事が出来ない。
例えば八千五百階にある扉のうち、奥から二千六百十個目のそれを開くと、そこには割に何事もない日常が待っている未来がある。しかしその部屋の先も、階層が別れ、無限個数の扉が人々の選択を待っているのだ。
だから、どこのドアを開けば安心だとか、良いだとか言う助言は誰も言うことが出来ない。この大きな世界の成り行きを俯瞰で見ることが出来る、なにかしらの大きな大きな存在以外には。
「人生や運命、物語の結末はあなた次第なんです」
そう言うとほとんどの人は、そんなことは誰にでも言える、本当に未来が見えるのなら、今ここで全てを話してみせろと怒鳴る。
しかし枝分かれする未来を全て説明すること(人々には全ての選択肢を選ぶ可能性が平等に与えられている)なんて、当然不可能だ。時間がいくらあっても足りないだろう。
だからこそ、予言者は部屋から出ずに、静かに雨の音を聞いて、こんな風に考える。
人々はディアゴスティー二の雑誌のように、毎週送られてくる今日を無感動に組み立てるのが人生だと思っている。
週刊あなたの人生。定期購読で送られてくる未来。
だからこそ占いや予言者に聞くのだ。
「来週はどんなパーツが送られてくる? 俺はどうやってそれに備えれば良い?」
この場合のディアゴスティーニ社は質問者そのものなので、だから質問者は予言者よりも自分自身に聞けばいい。
「来週は、どんなパーツを送る? 完成図はどんな風にする?」
しかし人々は混乱している。自分が何をしているかを忘れて、結果だけを見るから。例えば何十年も煙草を吸い続けた男が癌になると、彼や彼の周囲はこういうのだ。
「なんたる神の悪戯。皮肉な運命。何故自分がこんな目に? なぜこんなパーツをディアゴスティーニ社は送ってくるのだ?」
神もディアゴスティーニ社も何もしておらず、彼は何十年も、煙草を吸い続けて来たのだ。計画的に。
今日訪ねて来た男も、本当に変な奴だった。
「恋人が何を言っているのか、判らないときがあるのです」
予言者は溜め息をつく。彼は予言者であり、占星術師だ。
「あの、そういった御悩みはカウンセラーか、セラピストにでも話した方が宜しいのではないでしょうか?」
「いえ、ですから、僕と恋人のこれからを予言してください」
予言者はマリアナ海溝程度の溜め息をついて、目を細めて彼を見た。
「わかるようになる、もしくはわからないままで、いつかは別れるでしょう」
「別れる? それはいつですか?」
「それはあなたと彼女が別れるときです。もしくはどちらかが死ぬ時」
「ラッキーアイテムは?」
予言者はもうやけくそだと言わんばかりに、項垂れて
「粟か稗か芋でも食べなさい」と言った。
男は深々とお辞儀をして、晴れやかな顔をして出て行った。また来ます、と言って。
結局彼らも自分が何を欲しいのか、わかっていないのだ。だから何かを手渡されれば、にこにこして大人しく出て行く。
犯人の動機や謎を解くのに必要な鍵が描かれない不出来なミステリと違い、自分の人生や心の中をよく目を凝らして読めば、原因は必ず書いてあるのだが、我々はみな一様に外側ばかりを探してしまうのだ。
まあ、自分の部屋が散らかっている時は、外食をしたくなるものだからな。
予言者はそうひとりごちて、夕食の準備にとりかかる。
私たちが宇宙のことを論ずるには知らないことが多すぎるし、しかし論じなければ未知は永遠に未知のままだ。
そうしてこの文章の私たちを人間の男たちに、宇宙を人間の女性に置き換えたとしても同じことが言えるだろう。
女性はほとんどの男性にとって、ブドゥフ語やムンジャン語、上流チヌ―ク語で話す、謎の生物だ。
彼女たちの話す文字の音階やその整列に関する何らかの整合性や規則性を、彼らはそこに見出さなければいけないのだが、残念なことにこの霊長目真猿亜目ヒト上科ヒト科のホモサピエンスの雄は、そこまでの知能や熱心さを持ち合せているとはお世辞にも言い難い。
ホモサピエンスの雄たちは、政治と戦争、そして暴力や権力闘争を歴史的にも非常に好んだ形跡があり、更に言えば女性たちを金品や豪邸、もの凄く早い車と同列で語ったりもすることがある。
つまり彼らからすれば、愛を語るよりも殺し合いをしたくて、早い車に乗ることはあっても早い車と語らうことなどない、という感覚なのかもしれない。
車から声が聞こえることもあるが、それは車との対話ではなく、目的地に辿り着くまでのナビゲーションシステム搭載のAIに因る誘導である。
それは飽くまでも自分たちの目的地に辿り着く為の、有効活用であり、自分の意に沿わない道をナビが話した場合、議論の暇もなくナビは電源を切られる運命にある。
まぁ、これはほんの冗談、軽口のつもりではあるが、軽口ではなく真理だと笑いながら頷かれる読者は多いのではないだろうか?
更に残念なことに、では霊長目真猿亜目ヒト上科ヒト科のホモサピエンスの雌は雄に較べて、全個体が真っ当かというとそうとも言いきれないのが現状である。そもそもこのホモサピエンスという生命体は性別に関わらず集団行動を好み、その中で社会活動、経済活動を活性化させていく生物だが、その過程に於いて個人の思考やもしくは嗜好(奇しくも同じ発音だ)は余計なものと判断され排除される傾向にある。
その傾向を見抜いた統率者たちは、更に集団を扱いやすく、自分たちの利益に有利になるように、教育やエンターテイメント、常識などというツールを使って個性や嗜好を徹底排除し、―ここからがより重要なのだが―尚かつ集団の中にいる個体それぞれに『自分たちの個性や嗜好は排除されていない、これは自分たち自身が自由意思で考えていること』という思い込みをさせるという行為に及ぶ。
そうして一律化された人々は軍隊のように右向け右で、規則と流行と中身の空っぽな砂糖菓子を追い求める二本足の残虐な働き蟻となってゆくのである。
―ここまでが、蜜蜂界の社会学の権威、ブン・ブンブン先生の著作、『ホモサピエンスはなぜ蟲を殺すのか?』からの抜粋となる。
勿論、この文章を読む親愛なる読者の皆様は、この偉大なる一冊をお読みになったことはないだろう。
ブン・ブンブン氏の著作は全て羽音によって描かれており、それを邦訳したこの文章は世界初の偉業と呼んでも差し支えがあるとかないとか言った、そういった類いの眉唾で出鱈目でインチキ臭い、要するに権威に満ち満ちた素晴らしい一節なのである。
兎に角、この一節を読む光栄な機会に恵まれなかった哀れなマヌイは、未だにエリカの言うことの三分の一は理解できずにいる。三分の二に至っても、文章の意味がわかる、というだけのことで、彼女の本意を汲み取っているとは言い難い状況にあったが。
つまりは、彼と彼女は圧倒的な無理解という断崖絶壁の上に、縁という細い糸を渡してその上で生活をしているに過ぎない。その糸はまるで我々の身体を走り回る毛細血管のように赤く、そして細い。
しかし世のほとんどの人間関係なんていうものは、そういったものなのかもしれないが。
我々がそうこうと寄り道をしている内に、物語の中では戦況は徐々に悪くなって来たようだった。それはさきほどまで晴れていたのに、気がつけば少し肌寒く薄暗くなってきてしまった日曜日の午後に良く似ていた。
雨はいきなりは降り出さない。最初は遠慮がちにぽつぽつと降り、様子を見てから、一気に総攻撃を仕掛けてくるのだ。
社会に流れる重たい空気は、人々の考え方や生き方を変えてしまった。
人々は死を身近に感じるようになり、死を身近に感じれば感じるほどに、様々な思考へと変化していった。
最初の方はやけくそになるものが少しだけ出て、それからは無駄な時間を過ごさないように日々を大切にする風潮が主流となった。仕事に没頭するもの、家族と過ごすもの、何もしないもの、戦争に反対するもの、戦地の兵士を応援し続けるもの、神に祈り続けるもの。
マヌイとエリカは、相変わらず断崖絶壁の上で、細い糸を渡してそこで暮らしていた。糸は便り無さげに見えるが、それでもどんなに揺れようとそれが切れることはない。
戦況が悪くなるにつれ、食糧や物資が国に無くなってきた。人々は貧しくなり、飢え、そして空襲の恐怖に日々戦々恐々とした。
戦争は遂に彼らの住む市街地にまで、その魔の手を伸ばしてきていたのだ。
「今日、配給の日だろ。一緒に取りに行こうか」
マヌイがそう言うと、エリカは静かに配給を入れる袋をマヌイに手渡し、自分も出掛ける準備をする。
もう人肉ステーキもグミも、口にすることはなくなった。
街に出回っていないからだ。しかし口にしなくなって、ある意味ではマヌイもエリカもほっとしている。
人肉を食べるとか、身体に悪いとわかっているものを食べるなんて、そんなのっておかしい。自分たちはいつの間にか、おかしくなっていたのだ。あの芸能人たちも、世間の人々も、料理人たちも、皆が少しおかしくなってしまっていた、と今は彼らは思う。
彼らは最近は粟や稗や芋を、食べている。配給される食べ物だ。女性はダイエットをせずとも痩せ、男たちも出っ張った腹がみるみるうちに小さくなった。
飽食の時代、悪食の時代は過ぎ去ったのだ。
服装もお洒落さよりも、動きやすさ、暖かさを重視したものになり、女性はお化粧もほとんどしなくなった。
何故、こうなってしまったのか。こうなるまでわからなかったのか。
マヌイは思う。最近はエリカは意味不明な言葉を話さなくなった。彼女が話さなくなったのか、自分が理解出来るようになったのか。
自分が理解出来るようになったとして、それは自分の知能があがったのか、それとも自分もエリカもどちらも狂ってしまっているのか。
マヌイにはどれが正解か、全くわからない。わからないが、二人の関係性は昔よりも心地良いものにはなってきている。
二人は配給を貰ってから、手をつないで家まで帰る。家について荷物をおろしていると、外がなんだか騒がしい気がした。
帰ってくる時は、いつも通りの陰気で静かな街だったのに。
マヌイが窓から外を見ると、外では近所の人々が何かを話し合っていた。ざわざわという多くの人の話し声の集合体が、窓の桟の部分に指先を引っかけている。
一体なんだろう? 何が起きたんだろう?
街頭スピーカーから声が聞こえる。機械的な、大きな音量の声。
「この後、軍部から国民の皆様に通達が御座います。国営放送をつけて御待ちください」
胸がざわざわする。一体何が起きる? エリカの方を振り返ると、彼女はマヌイのことをじっと見つめていた。その表情からは感情を読み取ることができない。
「なあ、あのさ」
「なに?」
「俺は今まで、お前の言うことが全然わからなかった時があったんだよ。お前はしっちゃかめっちゃかなことを言っていた時期があったよな。あれ、なんて言ってたんだ?」
「知らないわよ、そんなの。そんな変なこと、言った覚えはないし」
「なんで今は全部の言葉が、理解出来るんだろうな?」
「知らないって。それより国営放送つけないと。もしかしたら避難することになるかもしれないし」
エリカが腰をあげて、テレビのリモコンを探す。マヌイはそれを遮って彼女の細い手首を握った。
「ちょっとぉ、痛いって。何? 危険を知らせるニュースだったらどうするのよ」
「エリカ、愛してる」
マヌイがそういったところで、我々の見ている画面は暗転する。漆黒。そこから先の彼らの人生については、もう一切語られることはなかった。
物語はこれ以上、綴られることを拒否したのだ。
しかしこれではあまりに不親切なので、この物語を読んでいる読者の為に、この先の未来がどうなったかについて、私は予言者の家を訪ねて質問することにした。
「マヌイとエリカは、あの後どうなったんですか? 国営放送は何を知らせる放送だったのですか?」
予言者はもう一度マリアナ海溝程度の溜め息をついて、目を細めて私を見た。
「空襲が起きて、全ては焼き尽くされた。彼と彼女は助かったか、もしくは死んだ。もしくは空襲など起きずに終戦協定が結ばれ、戦争が終わった。彼女と彼は仲睦まじく暮らしたか、もしくは喧嘩別れをした。それか状況は変わらず、空襲も終戦も起きず、陰鬱とした日々はもう少し続いてから、何かが起きたか、何かが起きず、状況は徐々に変化した」
「ラッキー格言は?」
「人生も運命も物語も、あなた次第」
私はそこまで聞いてから改めて予言者をインチキ呼ばわりし、彼と醜い論争を繰り広げ、唾をかけあい、爪でひっかきあい、髪の毛をつかみ合って最終的に彼の家を蹴り出された。
しかし仲の悪い私と予言者にも、共通するひとつの意識があった。
それはあの放送がどうか終戦に関することで、エリカとマヌイが年老いるまで平和に暖かく、時には喧嘩や仲直りを繰り返しながら生きているという結末であってほしいという意識だった。
これを読んでいるあなたはどう思うだろうか?
未来はいくつもの階層に別れ、ひとつの階層の中でも沢山の部屋に続く扉が何億、何兆個、いや無限個数に近く存在する。
全ての未来が同時に存在し、そして同時に過去をも書き換える。
可能性や確率論というのは、実は常に変化し続けているのだ。壊れた羅針盤のように。とある日は針が東を差し、またあくる日には東は西になる。
無限にある扉のどれを、あなたは開きたいだろうか?
「四十五回転の円盤が、ぐるりと廻る間に、歌い切ってください」
彼女はそんな意味のわからない言葉を、海外製の甘すぎる匂いをさせるグミを噛みながら話す。
そういうのって、身体に悪くない? 着色料とか香料とかさ……。
そう言った彼を、彼女はきっと睨めつける。
「ホーレンショー大佐の、人体解体ショーもどき」
彼女の話す言葉は、時々彼にはさっぱりわからない。
創成期の十一章、一ー九節にはこんな風に書いてある。
時に主は下って、人の子たちの建てる街と塔とを見て、言われた、「民はひとつで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」。
マヌイはそこの箇所を読んでは、溜め息をつく。
エリカはわかる言葉を話す時もある。だが、時々わからないことを言うのだ。
「言葉って文字の羅列でしょ? 文字の羅列に意味を持たせた共通認識なんて、所詮は同じルールの中で生きている人々の中だけの幻想だわ」
エリカは海外製のグミの袋を眺めながら、そうして話す。グミに含まれている添加物の名前を、彼女はじっと見つめているのだ。
「そういうのって、身体に毒だよ。ご飯を食べた方が良い」
マヌイはそう言って、彼女に自分の買って来た弁当を差し出す。
「何言ってるの? あんたの買って来たその弁当にだって、百種類近くの添加物がたんまり入ってる。見た目は普通の食べ物に見えたって、中身は裏でいじられまくりのプラスチックの食品サンプル同然の豚の餌をあんたたちは有り難がって食べてんの」
エリカは毒々しい色のグミを摘んで、上を向いて開けた口にゆっくりと入れる。
「だからって、そのグミが身体にいいわけじゃないだろ」
「そう、私たちは毒を食いまくらされる。防腐剤や漂白剤を身体にぶちこみまくって、最後は腐らない真っ白な死蝋になんのよね」
そのうちに戦争がやってきた。
どんな風にやってきたかというと、我々が想像していたようなどんな風にもやってこなかった。
毎日毎日、コマーシャルされる新商品をいつの間にか買い込んでいるように、戦争もコマーシャルされていつの間にか、日常の一部分になったのだ。
戦況は良い、とか、我が国には神風が吹いている、とかしかラジオは言わない。壊れたレコードのように、同じ部分を繰り返し繰り返し、言う。
マヌイがそう言うと、エリカはシニカルに笑った。
「パリに降る大量の雑炊、かさぶたの生姜焼き定職無し無色透明」
また意味不明の言葉。マヌイは煙草を吹かして、背中を丸める。
テレビをつければ、華やかな芸能人たちがひとつの狭苦しいワイプ画面にぎゅうぎゅうに集められて、笑顔と拍手とコメントを繰り返している。
あんなに狭苦しいところに沢山押し込められて、芸能人たちは苦しくないのだろうか?
「わあ、美味しそう」
「わあ、素晴らしい」
「わあ、欲しい欲しい」
大騒ぎするワイプの外側では、大写しになる肉厚なステーキ。料理をする料理人の隣で、リポーターが白い歯を剥き出して説明する。
「どうですか? 皆さん!美味しそうでしょう!このお店は設立から百年が経つ老舗のステーキハウスでですね……このお肉は何のお肉だと思われますか?」
ワイプの中で芸能人たちが口々に、我こそは答えを当てようと躍起になっている。
「豚よ!豚のお肉だわ!」
「いやあんな美味しそうな肉は、A5ランクの牛肉に違いない!」
「牛だけど、オバケ牛のでっかい舌ベロなんじゃないかしら?」
「いやあれは犀だね。僕はさァ、昔にアフリカの大統領に呼ばれて行った時に食ったことがあるんだ……」
マヌイは首を傾げる。
「普通の肉だったら、テレビになんかならないものな。特別な肉に違いない。随分美味そうだなあ」
そう言った彼を、エリカはちらと振り返り嫌悪のまなざしで見つめてから、毒々しいグミを噛む。
「消費、消費、消費。消費先生の泥沼ケチャップ講座」
意味不明なエリカの言葉と、リポーターの無邪気な説明の声が混じる。
「皆さん、残念!こちらのお肉はですね、なんと!今回、戦地で誇り高い我が軍が抹殺した敵軍兵士の肉を、無駄にしないよう再利用しているという、画期的な!題して!敵軍ステーキなんです!」
ワイプの中から、拍手が巻き起こる。美味しそうだの、環境に優しいだの、敵軍兵士に対する敬意があるだのと、芸能人たちは捲し立てる。
「へえ、だから安価で食べられるんだな。しかも、戦地から運ぶ間に腐らないように、きちんと徹底した防腐処理もされているらしい。クリーンで安く、しかも食べ物を無駄にしないってわけだ」
マヌイが関心していると、エリカは席を立つ。
「どこいくんだ?」
「素行不良学園、真っ平ら慶喜から、回鍋肉の回覧板」
全く、彼女は狂っている。マヌイは嘆いて首を振る。
しとどに雨が降る。涼しい風が窓から吹き込んで、部屋の中にいる人間たちの転寝を推奨する。
部屋の中には予言者がいた。予言者は部屋から、決して出ない。彼は厭が応にも未来を予知してしまうからだ。
未来はいくつもの階層に別れ、ひとつの階層の中でも沢山の部屋に続く扉が何億、何兆個、いや無限個数に近く存在する。
全ての未来が同時に存在し、そして同時に過去をも書き換える。
可能性や確率論というのは、実は常に変化し続けている。壊れた羅針盤のように。とある日は針が東を差し、またあくる日には東は西になるのだ。
もし、あなたの読んでいる小説のラストが9999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999個以上あると言われ、その全てを一気に様々な方向から教え続けられたらどうだろう?
予言者の脳に起きているのは、そういった類いの混乱だった。
幸福なイメージ、暖かいイメージと共に、背筋の凍るようなイメージも大量にはためき、踊り舞い込んでくる。
単点的な善し悪しで、運命は決める事が出来ない。
例えば八千五百階にある扉のうち、奥から二千六百十個目のそれを開くと、そこには割に何事もない日常が待っている未来がある。しかしその部屋の先も、階層が別れ、無限個数の扉が人々の選択を待っているのだ。
だから、どこのドアを開けば安心だとか、良いだとか言う助言は誰も言うことが出来ない。この大きな世界の成り行きを俯瞰で見ることが出来る、なにかしらの大きな大きな存在以外には。
「人生や運命、物語の結末はあなた次第なんです」
そう言うとほとんどの人は、そんなことは誰にでも言える、本当に未来が見えるのなら、今ここで全てを話してみせろと怒鳴る。
しかし枝分かれする未来を全て説明すること(人々には全ての選択肢を選ぶ可能性が平等に与えられている)なんて、当然不可能だ。時間がいくらあっても足りないだろう。
だからこそ、予言者は部屋から出ずに、静かに雨の音を聞いて、こんな風に考える。
人々はディアゴスティー二の雑誌のように、毎週送られてくる今日を無感動に組み立てるのが人生だと思っている。
週刊あなたの人生。定期購読で送られてくる未来。
だからこそ占いや予言者に聞くのだ。
「来週はどんなパーツが送られてくる? 俺はどうやってそれに備えれば良い?」
この場合のディアゴスティーニ社は質問者そのものなので、だから質問者は予言者よりも自分自身に聞けばいい。
「来週は、どんなパーツを送る? 完成図はどんな風にする?」
しかし人々は混乱している。自分が何をしているかを忘れて、結果だけを見るから。例えば何十年も煙草を吸い続けた男が癌になると、彼や彼の周囲はこういうのだ。
「なんたる神の悪戯。皮肉な運命。何故自分がこんな目に? なぜこんなパーツをディアゴスティーニ社は送ってくるのだ?」
神もディアゴスティーニ社も何もしておらず、彼は何十年も、煙草を吸い続けて来たのだ。計画的に。
今日訪ねて来た男も、本当に変な奴だった。
「恋人が何を言っているのか、判らないときがあるのです」
予言者は溜め息をつく。彼は予言者であり、占星術師だ。
「あの、そういった御悩みはカウンセラーか、セラピストにでも話した方が宜しいのではないでしょうか?」
「いえ、ですから、僕と恋人のこれからを予言してください」
予言者はマリアナ海溝程度の溜め息をついて、目を細めて彼を見た。
「わかるようになる、もしくはわからないままで、いつかは別れるでしょう」
「別れる? それはいつですか?」
「それはあなたと彼女が別れるときです。もしくはどちらかが死ぬ時」
「ラッキーアイテムは?」
予言者はもうやけくそだと言わんばかりに、項垂れて
「粟か稗か芋でも食べなさい」と言った。
男は深々とお辞儀をして、晴れやかな顔をして出て行った。また来ます、と言って。
結局彼らも自分が何を欲しいのか、わかっていないのだ。だから何かを手渡されれば、にこにこして大人しく出て行く。
犯人の動機や謎を解くのに必要な鍵が描かれない不出来なミステリと違い、自分の人生や心の中をよく目を凝らして読めば、原因は必ず書いてあるのだが、我々はみな一様に外側ばかりを探してしまうのだ。
まあ、自分の部屋が散らかっている時は、外食をしたくなるものだからな。
予言者はそうひとりごちて、夕食の準備にとりかかる。
私たちが宇宙のことを論ずるには知らないことが多すぎるし、しかし論じなければ未知は永遠に未知のままだ。
そうしてこの文章の私たちを人間の男たちに、宇宙を人間の女性に置き換えたとしても同じことが言えるだろう。
女性はほとんどの男性にとって、ブドゥフ語やムンジャン語、上流チヌ―ク語で話す、謎の生物だ。
彼女たちの話す文字の音階やその整列に関する何らかの整合性や規則性を、彼らはそこに見出さなければいけないのだが、残念なことにこの霊長目真猿亜目ヒト上科ヒト科のホモサピエンスの雄は、そこまでの知能や熱心さを持ち合せているとはお世辞にも言い難い。
ホモサピエンスの雄たちは、政治と戦争、そして暴力や権力闘争を歴史的にも非常に好んだ形跡があり、更に言えば女性たちを金品や豪邸、もの凄く早い車と同列で語ったりもすることがある。
つまり彼らからすれば、愛を語るよりも殺し合いをしたくて、早い車に乗ることはあっても早い車と語らうことなどない、という感覚なのかもしれない。
車から声が聞こえることもあるが、それは車との対話ではなく、目的地に辿り着くまでのナビゲーションシステム搭載のAIに因る誘導である。
それは飽くまでも自分たちの目的地に辿り着く為の、有効活用であり、自分の意に沿わない道をナビが話した場合、議論の暇もなくナビは電源を切られる運命にある。
まぁ、これはほんの冗談、軽口のつもりではあるが、軽口ではなく真理だと笑いながら頷かれる読者は多いのではないだろうか?
更に残念なことに、では霊長目真猿亜目ヒト上科ヒト科のホモサピエンスの雌は雄に較べて、全個体が真っ当かというとそうとも言いきれないのが現状である。そもそもこのホモサピエンスという生命体は性別に関わらず集団行動を好み、その中で社会活動、経済活動を活性化させていく生物だが、その過程に於いて個人の思考やもしくは嗜好(奇しくも同じ発音だ)は余計なものと判断され排除される傾向にある。
その傾向を見抜いた統率者たちは、更に集団を扱いやすく、自分たちの利益に有利になるように、教育やエンターテイメント、常識などというツールを使って個性や嗜好を徹底排除し、―ここからがより重要なのだが―尚かつ集団の中にいる個体それぞれに『自分たちの個性や嗜好は排除されていない、これは自分たち自身が自由意思で考えていること』という思い込みをさせるという行為に及ぶ。
そうして一律化された人々は軍隊のように右向け右で、規則と流行と中身の空っぽな砂糖菓子を追い求める二本足の残虐な働き蟻となってゆくのである。
―ここまでが、蜜蜂界の社会学の権威、ブン・ブンブン先生の著作、『ホモサピエンスはなぜ蟲を殺すのか?』からの抜粋となる。
勿論、この文章を読む親愛なる読者の皆様は、この偉大なる一冊をお読みになったことはないだろう。
ブン・ブンブン氏の著作は全て羽音によって描かれており、それを邦訳したこの文章は世界初の偉業と呼んでも差し支えがあるとかないとか言った、そういった類いの眉唾で出鱈目でインチキ臭い、要するに権威に満ち満ちた素晴らしい一節なのである。
兎に角、この一節を読む光栄な機会に恵まれなかった哀れなマヌイは、未だにエリカの言うことの三分の一は理解できずにいる。三分の二に至っても、文章の意味がわかる、というだけのことで、彼女の本意を汲み取っているとは言い難い状況にあったが。
つまりは、彼と彼女は圧倒的な無理解という断崖絶壁の上に、縁という細い糸を渡してその上で生活をしているに過ぎない。その糸はまるで我々の身体を走り回る毛細血管のように赤く、そして細い。
しかし世のほとんどの人間関係なんていうものは、そういったものなのかもしれないが。
我々がそうこうと寄り道をしている内に、物語の中では戦況は徐々に悪くなって来たようだった。それはさきほどまで晴れていたのに、気がつけば少し肌寒く薄暗くなってきてしまった日曜日の午後に良く似ていた。
雨はいきなりは降り出さない。最初は遠慮がちにぽつぽつと降り、様子を見てから、一気に総攻撃を仕掛けてくるのだ。
社会に流れる重たい空気は、人々の考え方や生き方を変えてしまった。
人々は死を身近に感じるようになり、死を身近に感じれば感じるほどに、様々な思考へと変化していった。
最初の方はやけくそになるものが少しだけ出て、それからは無駄な時間を過ごさないように日々を大切にする風潮が主流となった。仕事に没頭するもの、家族と過ごすもの、何もしないもの、戦争に反対するもの、戦地の兵士を応援し続けるもの、神に祈り続けるもの。
マヌイとエリカは、相変わらず断崖絶壁の上で、細い糸を渡してそこで暮らしていた。糸は便り無さげに見えるが、それでもどんなに揺れようとそれが切れることはない。
戦況が悪くなるにつれ、食糧や物資が国に無くなってきた。人々は貧しくなり、飢え、そして空襲の恐怖に日々戦々恐々とした。
戦争は遂に彼らの住む市街地にまで、その魔の手を伸ばしてきていたのだ。
「今日、配給の日だろ。一緒に取りに行こうか」
マヌイがそう言うと、エリカは静かに配給を入れる袋をマヌイに手渡し、自分も出掛ける準備をする。
もう人肉ステーキもグミも、口にすることはなくなった。
街に出回っていないからだ。しかし口にしなくなって、ある意味ではマヌイもエリカもほっとしている。
人肉を食べるとか、身体に悪いとわかっているものを食べるなんて、そんなのっておかしい。自分たちはいつの間にか、おかしくなっていたのだ。あの芸能人たちも、世間の人々も、料理人たちも、皆が少しおかしくなってしまっていた、と今は彼らは思う。
彼らは最近は粟や稗や芋を、食べている。配給される食べ物だ。女性はダイエットをせずとも痩せ、男たちも出っ張った腹がみるみるうちに小さくなった。
飽食の時代、悪食の時代は過ぎ去ったのだ。
服装もお洒落さよりも、動きやすさ、暖かさを重視したものになり、女性はお化粧もほとんどしなくなった。
何故、こうなってしまったのか。こうなるまでわからなかったのか。
マヌイは思う。最近はエリカは意味不明な言葉を話さなくなった。彼女が話さなくなったのか、自分が理解出来るようになったのか。
自分が理解出来るようになったとして、それは自分の知能があがったのか、それとも自分もエリカもどちらも狂ってしまっているのか。
マヌイにはどれが正解か、全くわからない。わからないが、二人の関係性は昔よりも心地良いものにはなってきている。
二人は配給を貰ってから、手をつないで家まで帰る。家について荷物をおろしていると、外がなんだか騒がしい気がした。
帰ってくる時は、いつも通りの陰気で静かな街だったのに。
マヌイが窓から外を見ると、外では近所の人々が何かを話し合っていた。ざわざわという多くの人の話し声の集合体が、窓の桟の部分に指先を引っかけている。
一体なんだろう? 何が起きたんだろう?
街頭スピーカーから声が聞こえる。機械的な、大きな音量の声。
「この後、軍部から国民の皆様に通達が御座います。国営放送をつけて御待ちください」
胸がざわざわする。一体何が起きる? エリカの方を振り返ると、彼女はマヌイのことをじっと見つめていた。その表情からは感情を読み取ることができない。
「なあ、あのさ」
「なに?」
「俺は今まで、お前の言うことが全然わからなかった時があったんだよ。お前はしっちゃかめっちゃかなことを言っていた時期があったよな。あれ、なんて言ってたんだ?」
「知らないわよ、そんなの。そんな変なこと、言った覚えはないし」
「なんで今は全部の言葉が、理解出来るんだろうな?」
「知らないって。それより国営放送つけないと。もしかしたら避難することになるかもしれないし」
エリカが腰をあげて、テレビのリモコンを探す。マヌイはそれを遮って彼女の細い手首を握った。
「ちょっとぉ、痛いって。何? 危険を知らせるニュースだったらどうするのよ」
「エリカ、愛してる」
マヌイがそういったところで、我々の見ている画面は暗転する。漆黒。そこから先の彼らの人生については、もう一切語られることはなかった。
物語はこれ以上、綴られることを拒否したのだ。
しかしこれではあまりに不親切なので、この物語を読んでいる読者の為に、この先の未来がどうなったかについて、私は予言者の家を訪ねて質問することにした。
「マヌイとエリカは、あの後どうなったんですか? 国営放送は何を知らせる放送だったのですか?」
予言者はもう一度マリアナ海溝程度の溜め息をついて、目を細めて私を見た。
「空襲が起きて、全ては焼き尽くされた。彼と彼女は助かったか、もしくは死んだ。もしくは空襲など起きずに終戦協定が結ばれ、戦争が終わった。彼女と彼は仲睦まじく暮らしたか、もしくは喧嘩別れをした。それか状況は変わらず、空襲も終戦も起きず、陰鬱とした日々はもう少し続いてから、何かが起きたか、何かが起きず、状況は徐々に変化した」
「ラッキー格言は?」
「人生も運命も物語も、あなた次第」
私はそこまで聞いてから改めて予言者をインチキ呼ばわりし、彼と醜い論争を繰り広げ、唾をかけあい、爪でひっかきあい、髪の毛をつかみ合って最終的に彼の家を蹴り出された。
しかし仲の悪い私と予言者にも、共通するひとつの意識があった。
それはあの放送がどうか終戦に関することで、エリカとマヌイが年老いるまで平和に暖かく、時には喧嘩や仲直りを繰り返しながら生きているという結末であってほしいという意識だった。
これを読んでいるあなたはどう思うだろうか?
未来はいくつもの階層に別れ、ひとつの階層の中でも沢山の部屋に続く扉が何億、何兆個、いや無限個数に近く存在する。
全ての未来が同時に存在し、そして同時に過去をも書き換える。
可能性や確率論というのは、実は常に変化し続けているのだ。壊れた羅針盤のように。とある日は針が東を差し、またあくる日には東は西になる。
無限にある扉のどれを、あなたは開きたいだろうか?