第1話
文字数 13,406文字
アシンメトリー
俺、閻魔
登場人物
閻魔
小魔
浮幻
雲幻
現実の人生というのは、大抵の人にとっては、じつに長い次善の人生である。
つまり、理想と可能性との永遠の妥協である。
バートランド・ラッセル
第一償【俺、閻魔】
死んだ人間は、閻魔によってその先の道を決められる。
良いことをした人は天国の門へ。
悪いことをした人は地獄の門へ。
そして嘘を吐くと、閻魔に舌を抜かれてしまうとか・・・。
いやはや、それを信じている人間がどれほどいるのかは知らないが、少なくとも、閻魔は想像しているような姿ではないのかもしれない。
これは、あなた方の世界とはまた別の世界の御話。
そこの閻魔は、まるで違う。
ほら、また今日も大欠伸をしている・・・。
「閻魔様。ちゃっちゃと仕事してください」
「徹夜続きで俺ぁ疲れたよ、小魔」
「正確に言うと、徹夜はしていませんよ。昼寝していましたから」
「そうだっけ?」
閻魔と呼ばれた男は、椅子に腰かけていた。
その前にある机の上には、山のように積まれた巻物や書物がどっさり。
滑らかな髪は寝癖がついており、首裏で小さく縛られている。
額には紙のようなシップのようなものが貼られており、白いマントをつけ、庶務に雑務にメインの仕事もこなしていた。
傍らには砂時計が置かれ、それを見ながら、閻魔はまたため息を吐く。
そんな閻魔の仕事を手伝っているのは小魔。
彼はおでこを出した長い黒髪をしており、金色の目を持つ。
「早くしてください。詰まってますから」
「トイレがか?」
「冗談を言う余裕があるなら、手を動かしてください」
「冗談だって分かってるなら、そんな怖い目で俺を見るな」
ちなみに、毒舌。
天国と地獄の門には、一人ずつ門番がいる。
天国の門には、浮幻という男。
尖った耳に短くはねた黒髪、そして金の目。
右手には常になぎなたを持ち、とても冷たい視線で人々を見送る。
地獄の門には、雲幻という男。
尖った耳に、後ろは短いが顔の横に靡く髪は少し長めで、金の目。
左手に大鎌を持ち、ニコニコととても愛想良く迎えている。
天国ルートはとても華やかで、花畑をのんびりと歩き、鳥が唄い、蝶も舞い、楽しかった思い出が流れる。
一方の地獄ルートを辿ると、金山を素足で歩き、断末魔の叫びを聞きながらのお散歩。
途中で何十メートルも下に落とされ、そこには熱湯が湯気を出して待ちかまえている。
そこから這い上がるには、熱くなった八十度の壁を自力で上っていくしかない。
他にも色々あるのだが、まあ、この辺にしておこう。
「閻魔様」
「なんだ?真面目にやってるぞ?」
「いえ、来客が来たようなのですが」
「・・・来客?」
珍しく真面目に仕事をしていた閻魔の耳に届いたのは、まだ死んでもいない人間がおとずれてきたというものだ。
どうやってここに来たのかと思っていると、冥界に来る道にいる、顔が三つついている動物が、すやすや寝ていた。
「・・・眠らされちまってるな」
ふと、閻魔の耳に、綺麗な音色が聞こえてきた。
「どうしましょう」
「好きでこんなとこ来る奴いねぇしな。とにかく、目的を調べるか」
「わかりました」
冥府の番人を眠らせ、わざわざあの世へとやってきたのは、若い男だった。
男の名はオルべス。
男は手に竪琴を持っており、その音色を使ってここまで来たようだ。
閻魔と小魔は離れた場所から男の様子を窺う事にした。
「エヴィケル!エヴィケル!俺だ!オルべスだ!どこにいる?」
どうやら、エヴィケルという人物を探しにきたようだ。
閻魔は小魔にその人物を裁いた時の巻物を持ってこさせる。
綺麗に整理整頓された書室から、目当ての巻物を持ってくると、閻魔はそれを開く。
エヴィケル、女性。田舎で産まれ育ち、気量の良い女性だったようだ。
オルべスという男は、エヴィケルの婚約者だったようで、エヴィケルが死んだあとも、オルべスは他の女性を愛することをしなかった。
というよりも、出来なかったのだろう。
小さい頃から竪琴が得意だったオルべス。
「なるほど」
オルべスの目的が分かった閻魔は、しばらくオルべスの行動を見ていた。
オルべスはひたすら愛する女性の名を叫び、呼んでいた。
「エヴィケル!俺と一緒に帰ろう!生きて、また俺を一緒にやり直そう!」
「オルべス?」
その時、一人の女性が顔を出した。
「エヴィケル!やっと見つけた!早くこんなところから逃げよう!」
「何を言ってるの?私はここから出られないのよ?私は死んだのよ?」
「大丈夫さ。俺がここから出してあげる。だから、もう一度俺と一緒に」
「勝手に何をしてる?」
ざっと、二人の前に閻魔は姿を出す。
ハッ、とオルべスは竪琴を鳴らし始めるが、閻魔はそんなもので眠らない。
「確かに美しい音だ」
「エヴィケルを返してもらうぞ!」
「・・・返すも何も、そいつはもう死んだんだ。帰るところなんてないんだ」
「ある!俺のところに帰ってくればいいんだ!」
どうにもこうにもいかず、閻魔はんん、と考えた。
そして、ニッと笑うと、オルべスにこう告げた。
「よし。じゃあ、こうしよう」
「?」
それは、簡単なことだった。
オルべスはエヴィケルを連れて、今来た道をただ歩いて行くだけ。
ただし、オルべスは決して振り返ってはいけない。
エヴィケルも、決して声を出してはいけない。
「そ、それだけか?」
「ああ。簡単だろ?」
「エヴィケル、これでまた生きて俺と一緒になれるぞ!」
嬉しそうに、オルべスはエヴィケルを連れて行った。
「ああ、あと」
―手は繋がないように。
そう注意だけされると、オルべスはもう勝ち誇ったように微笑んだ。
だが、来た道はなぜか真っ暗闇になっており、蝋燭を点けて歩いた。
ぴた、ぴた、と、確かに足音は聞こえる。
だが、それが自分のものなのかはわからない。
「え、エヴィケル、いるよな?」
気配さえ感じなくなってしまい、オルべスは徐々に不安になってくる。
エヴィケルは声を出してはいけないため、何も答えることが出来ない。
道はまだ続き、オルべスはそれでもなんとか我慢していた。
きっと後ろを着いてきていると信じて。
だが、あと少しのところで、また不安が押し寄せてきた。
「え、エヴィケル、いるよな?あと少しだからな?」
「・・・・・・」
「エヴィケル?」
「・・・・・・」
「・・・え、エヴィケル」
もしかして、いない?
一抹の不安は、今のオルべスには抱えきれないほど大きな不安へと形を変え、思わず振り返ってしまった。
「!!!」
そこに、エヴィケルはいた。
良かった、いた。
そう安心したのも束の間、エヴィケルは悲しそうな表情になり、すうっと消えてしまった。
「!?エヴィケル!?」
「残念だったな」
「!!!何をした!?」
出口には、閻魔がいた。
「あと少しだったのにな。最後まで彼女を信じていれば、連れて帰れたってのに」
「ああ・・・ああああああああ!!!俺は!!なんてこと!!!」
次に目を開けたときには、オルべスは自分の家にいた。
そして、酷く悲しみ、声が枯れ、喉から血が出るまで泣いたようだ。
「まったく。本当に振り返らなかったらどうしたんですか」
「いや、昔なんか聞いたことあったからよ」
死んでしまった愛する人を助けるために、同じ過ちを繰り返していく。
冥府へと逆戻りした女性はというと、悲しそうにしながらも、抵抗することは全くなかったようだ。
「それは良いのですが」
「あ?」
「仕事が溜まりました」
「・・・・・・わお」
ほんの少し離れただけなのに、閻魔の机には巻物がどっさり増えていた。
その巻物をしばらく眺めてから、閻魔はふう、と息を吐く。
椅子に座ると、八角形の木箱を手にする。
木箱はからくりになっており、六本の脚がついている。
この木箱の原理は閻魔しか知らず、また、扱う事が出来るのも閻魔だけだ。
閻魔の掌で覆えるほどの大きさの木箱は、天国や地獄の世界を変えることが出来るようだが、他にも作用があるらしい。
だが、詳しいことは閻魔しか知らず、小魔にさえ分からないことが多い。
その木箱に少しふれると、今度はポケットから砂時計を取り出す。
砂時計は閻魔が持ち歩いているが、大きさは高さ五センチから十メートルまで変える事が出来る。
さらに言うと、その砂時計は人間の運命を担っているため、一秒単位から一年単位へと、閻魔の力によって期間を変化させられる。
その砂時計をひっくり返すと、閻魔はまた巻物を一つずつ開いていく。
「次です」
減らないうちに、また小魔が持ってくる。
「これとこれとこれは地獄な。で、これとこれ・・・んー、これもか。天国で」
閻魔に言われた通りに、小魔は天国と地獄に行く人々を誘う。
天国の門に向かえば、そこではなぎなたを持つ浮幻が待っている。
「こちらへどうぞ」
二メートル近くある浮幻は、自分のもとへ来た人間を見下ろし、ただ冷たく言い放つ。
「お前、本当にこっちだろうな?」
何を根拠に言っているかは知らないが、浮幻はなぎなたを振るうと、天国へ導くための門が重くゆっくりと開かれる。
重苦しい音とは裏腹に、門の向こう側には綺麗な世界が待っていた。
「早く入れ」
一方、地獄という判決の下った人間たちは、雲幻のもとへと来ていた。
ニコニコと、地獄と思わせないような満面の明るい笑み。
大鎌を持ちながら、あいている右手でブンブンと手を振っている。
街中で待ち合わせをしているかのように。
「では、こちらへどうぞ」
地獄の門の前へ連れて来られた人間たちは、雲幻の笑顔を見て、まさか自分達は地獄に連れて来られたなんて思ってもいないだろう。
大鎌を振るうと、地獄の門もまた開く。
だが、天国の門とは違い、とても軽やかに開くのだ。
そして、そこに広がる赤黒い世界に、人々は思わず顔を引き攣らせる。
後ずさろうとしても、後ろには大鎌を持ちながらも微笑みを一切崩さない男。
「さあさあ、どうぞ!遠慮なさらずに中へお入りくださいな!」
にぱぁっ、と笑いながら、雲幻は逃げることを許さないように、じりじりと中へ入れて行く。
「どうかしましたか?早く入らないと、大変なことになりますよ?」
どうして中に入らないのかと、雲幻は首を傾げてみせる。
雲幻の言う“大変なこと”というのが何か分かっていなかった人達だが、雲幻が笑みを浮かべたまま、大鎌を振りかぶったのを見て、なんとなく察した。
いや、もう死んでいるのだから、ここでもう一度死ぬということはないだろうが、それでも恐怖という心はまだある。
「大人しく入っていただかないと、困っちゃうんですよ」
そう言うと、雲幻の振った大鎌は、見事に全員の足を斬った。
そのまま地獄に放り込まれ、門はすぐに閉まってしまった。
「なあ、小魔」
「なんでしょう」
「なーんで、こんなに一気に人間が死んでんだ?いつもより異常なまでに多くないか?」
ちょっとした疑問だった。
一日に何百と死ぬことが当たり前となっているが、それにしてもここ最近はそれ以上の数が来ていた。
巻物を見ていると、地獄の雲幻が閻魔の前に姿を見せる。
「どうした?」
「またあの男が地獄から這い上がろうとしてまして」
「ああ、なんだっけ。遊佐?」
一々、という言い方は悪いかもしれないが、閻魔はこれまでに何億、いや、それ以上の数の人間を見てきた。
だから、一人一人のことをしっかりと覚えるなんて無理なのだが、閻魔は大抵のことを覚えているらしい。
遊佐という男は、四年前に地獄に落とされた男なのだが、それからというもの、地獄から何度も這い上がろうとしていた。
遊佐は生前、旅の途中でデスマッチをしている競技場に顔を出し、そこで多くの人を殺してきた。
「デスマッチ、か」
腕組をし、天井を見上げるように椅子にだらけて座る。
微かに口を開けながらぼーっとしていた閻魔だが、急に身体を起こし、雲幻にこう告げたのだ。
「よし。その遊佐って男、ここに連れてこい」
「閻魔様!?」
「了解しました」
閻魔の前に男を連れてくると、遊佐は何やら笑っていた。
「ようやく俺を生き返らせる気になったってことか」
「んな馬鹿なことあるか」
遊佐の言葉を一蹴すると、閻魔は遊佐に尋ねる。
「なあ、今でもデスマッチって行われてるのか、調べられるか?」
「・・・ああ?」
今日、こうも多くの人間が死んでいるのは、デスマッチとやらが関係しているのではと考えた閻魔は、遊佐にもちかけたのだ。
「期限を与えてお前を下界に送る。そこでデスマッチが行われている事実、場所、出来れば開催者も分かればいいな。もしそこまで調べられるってんなら、お前を天国に送ってやろう」
「閻魔様、そのような」
「黙ってろ」
いつもはヘラヘラしている閻魔だが、こうも凄味を効かされ睨まれると、小魔もぐっと一歩引いてしまう。
本当のことを言えば、きっと閻魔は仕事が一気に増えるのが嫌なだけだ。
だとしても、下界で起こっている事を見逃すわけにはいかない。
人間にはそれぞれ、決められた時間、というものがある。
それに反するような行為をされては、秩序も保たれない。
「どうだ?」
「・・・悪くはないな」
監視付き、期限付きという条件のもと、遊佐は再び下界に放たれた。
一日平均で三十人ほど死ぬと言われているデスマッチ。
「閻魔様、よろしいのですか?」
「仕方ねーだろ。いつもの何倍ものペースで死なれたんじゃ、たまんねって」
雲幻を定位置に戻すと、閻魔はただ積み重なっているその巻物を、またひとつ、開くのだった。
下界に下ろされた遊佐は、早速デスマッチ会場へと足を運んだ。
見た目は生前とは異なっていたため、誰にも気付かれることはなかった。
「いやー、前よりも随分と悲惨なことになってるな」
すると、横にいた男女がこんな会話をしていた。
「ねえ、新しく始まったデスマッチって、この会場でやるの?」
「いや、あれは世界各国での個人戦だからな。特定の会場はないはずだ」
「えー、そうなの?なんだー、見れないんだー」
遊佐も知らないデスマッチが行われているようで、遊佐はしばらく会場を歩き、会話に耳を傾けていた。
「お兄さん、参加者ですか?」
「え?ああ、いえ」
「では、こちらから先はご遠慮ください。これより先は、参加者様のみの御通行に限らせていただいておりますので」
「ああ、そうですか」
奥の方をちらっと見てみようかとも思ったが、怪しまれるのも嫌だと、遊佐はへへ、と笑ってその場を立ち去った。
そして、近くにいた酒に溺れた老人に聞いてみた。
「すんません」
「なんだい?っく」
「新しいデスマッチって、どうすれば参加出来るんですかね?知ってます?」
「ああ?あんちゃん、アレ出る気かい?止めとけ止めとけ。命が幾らあったって足りゃしねぇよ」
「そうなんすか?じゃ、止めときましょうかね。で、詳しいこととかって、なんか知ってます?」
「あんちゃん好きものだな」
その男が言うには、誰から始まったのかも分からないデスマッチらしい。
参加者には、参加者メンバーの顔と個人情報が送られるらしく、世界に何億という人が登録しているという噂だ。
殺し方は自由。警察に捕まったとしても、その間も参加資格が失われるわけではない。
警察の中にも、参加者がいるということか。
政治家、アイドル、医者、大学教授、学生、子供、誰が参加者かも分からないが。
「ただひとつ確かなのは、唯一生き残った参加者は、なんでも天国に行けるらしい」
「はあ?」
なんてくだらないこと。
だが、地獄を知っている遊佐から言わせれば、確かに重要なことかもしれない。
とはいえ、多くの人を殺さずに生き残るなんて難しいだろう。
誰かを殺してしまえば、きっと生き残ったとしても地獄に落とされるはずだ。
「閻魔のやつ、何か隠してるんじゃないだろうな」
遊佐は、監視が用意した部屋で寝て、起きて、生活を送るのだった。
「小魔」
「はい」
「これあっち置いといて」
「わかりました」
「小魔」
「はい」
「これ向こうに持って行って」
「わかりました」
「小魔」
「はい」
「あれ持ってきて」
「わかりました」
まるで長年寄りそった夫婦のように、閻魔がアレだのコレだのあっちだのこっちだの言っていることを、小魔は理解出来ているようだ。
「ギブギブ。もう今日は無理」
「閻魔様の今日だの明日だのという概念があっては困ります。世界は常に動き、いつでも朝は来ているのですから」
「すげー嫌なこと言うな。それ、俺に寝るなって言ってる?寝ずに仕事しろって言ってる?無理だから。もう寝るって決めたから」
小魔から逃げるように、閻魔は自室へと向かってきた。
途中、小魔から何か言われた気がしたが、聞こえなかったことにしよう。
部屋に戻ると、閻魔はシャワーを浴びて身体を清潔にする。
テレビなどといった機器は一切ないため、特にこれといった暇つぶしもない。
閻魔の部屋は、入ると右側に本棚がずらっと並び、部屋の片隅には観葉植物が置いてある。
そして部屋の大部分を占めているのは、大きなサイズのベッドだ。
一人で寝るにはあまりに広いそのベッドを、閻魔は上手く活用することもなく、真ん中で大の字になって寝るのだ。
閻魔の部屋は、もう一つ存在する。
その部屋に入るには、閻魔が持っている鍵を差し込み、差し込んだまま暗証番号を入力する。
その後、罠を止めるためのギアをはめこみ、差し込んだままだった鍵を回すと開くようだ。
だが、これも木箱や砂時計同様、閻魔にしか扱えないもののようだ。
「ったく。人使い荒い奴だ」
髪も乾かさず、閻魔は手慣れた様子でもう一つの部屋の鍵を開ける。
そこを開けば、暗闇が漂う。
色んな形の時計があり、時間の進み方も違えば、時刻も違う。
それを一通り眺めると、閻魔は鍵を閉めるのだ。
「異常なしっと」
本棚から数冊の本を取り出すと、本を持ったまま、閻魔はベッドに横になる。
そして、仰向けになって本を読みだす。
何の文字かも分からないその本を、閻魔はすらすら読んでいく。
「あ、そうだ」
ふと、閻魔は何かを思い出したかのように、ベッドから下りると部屋のドアを少しだけ開けた。
隙間から外の様子を見ていると、そこに小魔が通りかかった。
「丁度良かった、小魔」
「・・・待っていたのを、丁度良いとは言いませんよ」
「細かいことは気にするな。それより、なんか飲みもん持ってきてくれ」
「熱湯と氷水と、どちらがよろしいですか」
小魔の言葉に、閻魔はにへらと笑う。
「温かいコーヒーでも持ってきてくれるか?」
「わかりました」
くるりと身体を反転させると、小魔は颯爽と歩いていく。
閻魔はドアを閉じると、またベッドに横になり、本を読みだした。
しばらくすると、コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
それに返事しようと口を開けた閻魔だが、返事をするよりも早く、ドアが開いた。
「ノックする意味って知ってるか?」
「来ましたよ、と教える為です」
「ああ、あながち間違っちゃいねえな」
「どうぞ」
「おお、サンキュ」
小魔からコーヒーを受け取り、それを一口含むと、とても苦かった。
砂糖とミルクはいつも入れないが、今日は珍しく入れることにした。
「また読んでおられるのですか」
「ああ」
「熱心なんだか不真面目なんだか、正直わかりませんね」
「・・・それ、俺のこと?」
「他に誰がいます?」
「小魔ってさ、ここに来たばっかりの頃はすげー素直で可愛げのある奴だったよな」
「今でも素直だと自負しております」
「自負しちゃってる?それで?まあ、ポジティブなのは良いことだ」
ずず、とコーヒーを啜っていると、本に垂れた。
「あ」
ごしごしタオルで拭いてみるが、汚れが落ちるどころかシミになってしまった。
「・・・ま、いっか」
「先代に叱られますよ」
「いーよ別に。叱られたってへっちゃらへっちゃら」
「・・・では、失礼します」
「おう」
小魔が部屋から出て行った後も、閻魔はしばらく本を読んでいた。
汚れた本も埃まみれの本も、破れた本もあるが、閻魔は特に気にしていない。
閻魔の部屋にあるのは、何も本だけではないのだ。
並んでいる本棚には、本ではなく巻物も置かれている。
今まで閻魔のもとに来た人間ひとりひとりの巻物には、その人の人生に関しての情報が載っている。
それは決して嘘偽りを記載することの出来ないもののため、それを元にして閻魔も地獄か天国かを決めている。
かつてどこかの国においては、死人の心臓を天秤にかけ、何かとの重さを比べたようだ。
何かなんて、閻魔は忘れてしまったが。
「うわ。滲んでて読めねぇし」
自分で零したシミに、思わず顔を顰める。
「あれ?これなんだ?」
読み終わった本を本棚に戻そうとしたとき、本棚の奥に何か紙があることに気付く。
すでにぐしゃぐしゃになってしまっているソレを手にすると、閻魔はしばらくそれを眺めていた。
「・・・・・・」
そして、そっとまた同じ場所に戻した。
「閻魔様」
「うおおおお!」
いきなり現れた小魔に、閻魔は心臓部分を思わず手で摩る。
「びっくりさせんなよ。なんだ」
「ノスタルジックになるのは勝手ですが、遊佐から連絡が入りましたので」
「ああ、それな」
すっかり忘れていたなんて、言えない。
遊佐からの報告によると、デスマッチはまだ存在しているようだ。
もっと言えば、遊佐がやっていた時よりももっと酷く残酷になっていて、誰でも簡単に参加、見物出来るようになっているとか。
「こりゃまた、なんとも」
「遊佐には深く関わらないように伝えておきました」
「ああ、そうだな」
それにしても、誰がこんなことを始めたのだろうか。
人間達を一掃しようとしない限り、考えたくもないような面倒くさいこと。
それに何より、閻魔自身の仕事が増えてしまう。
「小魔」
「はい」
「もう寝ていいか」
「どうぞ」
小魔を部屋から出すと、閻魔はベッドの上に胡坐をかいて座る。
そして木箱を取り出し、いじった。
何がどうなったのか、閻魔以外にはわからないが。
「浮幻」
「なんです、閻魔様」
「ちょっと中入るぞ」
「?何かあったんですか?」
「ちょいとな」
翌日、閻魔は浮幻のいる天国の門と、雲幻のいる地獄の門に向かい、それぞれに入った。
理由はただ一つ。
遊佐と同じようなことをしていた奴がいないか、出来れば新しいデスマッチを知っている奴がいないかを探していた。
「(けど、そんなことがあれば巻物に記載されてると思うんだけどな。省かれたか?)」
それにしても、天国はなんとも探しやすそうで探しにくい。
広い敷地内に、沢山の人がいる。
だが、これといって収穫はなかった。
「雲幻、中入れろ」
「閻魔様もようやく地獄に行く決心がつきましたか!どうぞお入りください!」
「いや、戻ってくるけどな」
地獄は歩き難いため、閻魔は空を飛ぶ馬に乗って色々聞いて回る。
途中、閻魔や馬にしがみ付いて助けられようとする輩もいたが、蹴落とした。
閻魔がそんなことして良いのかと思う人も少なからずいるかもしれないが、良いのだ。
なんてったって、閻魔だから。
「ダメだな。見つからないというべきか、それとも正直に言わないと言うべきか」
「どっちでもいいじゃないですか、閻魔様。それよりも浮幻はどうしてあんなに無愛想なんですかね?」
「・・・地獄の門番が笑ってるのもおかしなもんだがな」
最初は、逆にする予定だったのだ。
浮幻を地獄にし、雲幻を天国の門番へとする予定だったのだが、なんとなく面白くないと、閻魔が逆にした。
天国に逝く者は、浮幻を見ると、自分は地獄に逝くのかと不安になるようで、地獄に逝く者は雲幻を見て安心して中に入ろうとすると、そこに広がる地獄絵図に、思わず発狂までしてしまう。
なぜ二人が、それぞれなぎなたと大鎌を持っているかというと、それは勿論、変な気を起こさないようにするためだ。
地獄は分かるが、天国は起こり得るのか。
以前、こんなことがあった。
とある親子が引き裂かれてしまった。
親は天国へ逝き、息子は地獄へ逝くことになってしまった。
その時、母親は自分の息子を地獄から助けようと、天国から逃げようとしたのだ。
すでに浮幻がいたため、その時は未遂に終わったのだが、親子に限らず、人間の“愛”というものは恐ろしいと感じた。
その逆も起こるのだから、何とも言えない。
親子だけでなく、恋人同士も然り、兄妹然り、友人然り。
「ダメだな」
はあ、とため息を吐きながら仕事場に戻ると、以前減る気配のない巻物。
椅子に腰かけ、閻魔はまた小魔にせかされながら仕事をする。
その頃、遊佐も情報を得ようとしていた。
だが、参加はするなと言われたため、なかなか核心まで行けない。
「ったく。どうなってんだよ」
ネットカフェに行って情報を仕入れようとしても、やはり詳しいことは、参加者にしか知らされないようだ。
このままでは、閻魔にまた地獄に戻されてしまう。
「参ったな」
それでもネットというのはとても便利なものだ。
世界中の誰とでも連絡が取れるのだから。
SNSなどを用いて、遊佐は広く情報を求めていた。
すると、一人の人が返信してくれた。
『私の友人は、それに参加して殺されました』
「どういうこと?」
『詳しいことは私にもわかりません。でも、優勝した人には賞金も送られるって書かれていたようで、友人はお金目当てで参加したみたいです』
「あとは何か聞いてる?」
『わかりません。すみません。でも、絶対に私は参加するなと言われました』
「それは、殺し合いだからってこと?危ないことなんだよね?」
『殺し合いというよりも、ゲームなんです』
「ゲーム?」
もっと詳しいことを聞こうとした遊佐だったが、相手が途中で退出してしまった。
「惜しい」
デスマッチがゲーム。ゲームといえばゲームだが、ゲームごときで殺されてはたまったものではない。
「何が起こってる?」
「小魔―、喉かわいたー」
「自分で入れたらどうです?」
「なんだよ、いつもはなんだかんだいれてくれる・・・あれ?夜焔?何してんの、お前」
そこには、夜焔という男がいた。
夜焔は、一つの身体に対して、二つの顔を持っている。
持っているというのは正確かは分からない。
身体も顔も、半分ずつの別の人格を持っているのだ。
右半分は黒髪で凛々しい顔をしているが、左半分は金髪で目も金色の、なんというか、ちゃらい感じだ。
「俺だって仕事があるんだ」
「ああ、そうかい。どうでもよいけど、俺の仕事の邪魔しないでよね」
「俺がいつ邪魔したってんだ?」
肩をすくめて、やれやれ、と言った風にア笑う夜焔に、閻魔は横目で見るだけ。
そこに小魔が来て、「あ」とだけ言う。
「小魔みたいな優秀な部下がいるなら、もっと早く仕事終わらせられるだろ?」
「ごもっとも」
「ごもっとも、じゃねえよ、小魔。お前らグルか」
「俺んとこ来れば良いのによ、小魔」
「考えておきます」
悠々と去って行った夜焔の背に、閻魔は舌を出してべーっとする。
「閻魔様、子供じゃないんですから」
「わかってらい」
小魔は確かに仕事が出来、早いだろう。
閻魔もとても助かってはいるのだが、小姑のようなところもある。
だが、暗黒世界とも言われる場所を担う閻魔の他、光明世界を担うのが、先程の夜焔だ。
勿論夜焔にも部下はいるのだ。
それでもああやって、ちょくちょくと閻魔のところに顔を出しては、小魔を唆している。
なぜか小魔は閻魔のもとから離れないが。
「小魔」
「はい」
「ミルクティー」
「それはミルクティーになりたいということですか。それともミルクティーが空を飛んでいるということですか。それともミルクティーと共に消えたいということですか。それとも・・・」
「ミルクティーが飲みたいから作って持ってきてくれるか」
「わかりました」
こういうふうに、突っかかってくることが当たり前だ。
「こいつはダメだな。はい地獄。えっと、こっちは・・・ああ?微妙だな・・・。でもまあ老老介護の末か。可哀そうだけどチャラには出来ねえしな」
ぶつぶつと独り言を言いながら、積み重なった山の一つを崩し終えた。
次の山に手をつけると、浮幻から連絡が入った。
「何かあったか?」
『先日天国に来た女性が、地獄に逝った男と一緒にさせろと、今門のところまで来ていますが、ボコボコにしてよろしいですか』
「あー、とりあえずダメな。そっち逝くからちょっと待ってろ」
ああ、まだ仕事がこんなに残っているのに、と思いながらも、放っておくわけにもいかず。
「小魔」
「はい」
「ちィと浮幻んとこ行ってくるから」
だるそうに頭をかきながら向かうと、そこには、我慢出来ないのか、すでになぎなたを持って女性に向かっている浮幻がいた。
「浮幻、落ち着けって」
「落ち着いていますよ。これのどこが興奮しているとでも?」
「わかったわかった。で?」
詳しい内容を聞いてみると、女性と男は恋人というわけではなかったようだ。
女性は要するに浮気相手で、男は他にも何人も女がいた。
だが、それを知らない女性は、男の言う「いつか結婚しよう」という言葉を鵜呑みにし、三十過ぎても四十過ぎても、男を待っていたようだ。
男は先に病死し、女性は後を追う様に自殺したのだ。
女性が天国に逝けたのも、男の為にと言って、悪さをしたわけではなかったからだ。
だが、一方の男は地獄に逝ってしまった。
「私達、結婚するはずだったのよ!だから、二人一緒にさせてちょうだい!どうして彼だけ地獄なの!?」
「あー、それはねー」
間延びした返事をする閻魔は、淡々と事情を説明するが、女性は納得しない。
ぎゃーぎゃーと喚いたまま、閻魔に掴みかかってきた。
「・・・わかった」
「!」
「閻魔様?」
女性の凄味に負けたわけではない。
だが、女性は分かっていないのだ。
地獄という場所がどういうところかを。
「着いてきな。ただし」
「ただし?」
「一度地獄に入れば、二度と戻っては来れねぇぞ」
「・・・・・・」
閻魔は女性に背を向け、スタスタ歩きながら言う。
そんな閻魔と、後ろを嬉しそうに着いていく女性の背を見て、浮幻はなぎなたを右手に握りしめる。
ただ黙ったまま女性を連れて地獄の門まで連れてくると、雲幻が閻魔に気付く。
「閻魔様、どうなさいました?」
「ああ、ちょっと門開けてもらえるか」
「はい。お安い御用です」
ぎぎ、と軽く開いた門の奥を覗きこんだ女性は、先程までの希望に満ちた表情から一変、硬まってしまった。
轟々と鳴り響くのは、ただの音なのか、それとも違うものか。
「・・・一緒になりたいんでしょう?さあ、中へどうぞ」
「て、天国で一緒になることは出来ないの?」
「・・・ふっ。冗談だろ」
「え?」
女性の言葉に、閻魔は鼻で笑った。
すると、女性は自分の意思とは関係なく、身体が勝手に門の中へと入っていってしまう。
「どういうこと!?」
「地獄逝きの奴を天国なんかに逝かせられるはずないだろ?それとも、二人揃って天国に逝けるなんて、都合良いこと思ってたわけじゃないよな?」
「あんた、何様よ!だいたい、私達のことなんて何も知らないくせに、どうして天国だの地獄だの決められるってのよ!」
「閻魔様」
なんだか面倒なことになりそうだと、雲幻が仲裁に入ろうとするが、閻魔が掌を雲幻に向けてきた。
「あの人は何も悪くないのよ!他の女たちがあの人を唆したのよ!本当は私だけを愛していたんだから!本気だったのは私よ!他の女は遊びだったのよ!」
「言いたい事がそれだけなら、さっさとその男のところに逝きな」
「!!!」
おちゃらけた様子の閻魔はそこにおらず、とても冷ややかな目をしていた。
動く身体を止めることも出来ず、女性は泣き崩れ、地獄の道へと足を進める。
「俺が何様だって?」
門が閉まるそのとき、閻魔が口を開いた。
「閻魔様だよ」
ぱたん、と閉まった門の向こうからは、声も音も何も聞こえて来なかった。
「さて」
くるっと踵を返すと、閻魔はまた増えているであろう仕事に戻る。
「閻魔様」
雲幻が呼びとめると、振り返ったときの閻魔は、いつものように眠そうな目をしていた。
「いえ、お疲れ様です」
「おー」
部屋に戻ってから、天井に届くのではと思うほど積み上げられた巻物を見て、閻魔が絶句したのは言うまでも無い。
「小魔、これなに」
「見ての通りですが」
椅子に座ると、閻魔は砂時計を逆さにし、木箱を何やら触った。
それから仕事に取り掛かると、三時間で一つの山は終わった。
「死に過ぎ」