第2話
文字数 14,466文字
アシンメトリー
別れの夜
夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る。
坂本 龍馬
「ほんとに、神も仏もありゃしねえな」
閻魔の前に、三人の人間がいる。
男が二人と女が一人なのだが、閻魔のもとに来る前に作られるはずの巻物が、まだ作り終わっていないようで。
怠慢だと言いたいところだが、ここ最近の急激な死人の数には、そう簡単に対応出来ない。
「小魔」
「はい」
「いつ頃出来るって?」
「早くても五日はかかるかと」
「そんなに待ってられるかよ。どうすんだよ。もう列作って待ってるんだけど」
「ここで閻魔様の能力が試されるときかと」
「ああ、それ言っちゃう?」
ぽんぽん、と簡単に天国か地獄か決められるのは、あの巻物に真実が書かれているからだ。
何が真実が分からないまま、裁くわけにもいかず、とりあえず閻魔は話を聞いてみることにした。
「俺はソルジェです」
「私はヴェレッタ」
「俺はマンローだ」
一人ずつ名乗ったあとは、どういう関係でどういうことが起こったかを聞く。
ソルジェが言うには、マンローがヴェレッタに命じて人を殺させたという。
マンローが言うには、ヴェレッタがソルジェに命じて人を殺させたという。
最後に、ヴェレッタが言うには、ソルジェに命じられて人を殺したという。
「えーと、どういうこと?三人が三人とも人を殺したってこと?え?違うか。とにかく三人とも関わってるってことは分かった」
どういうことなのだと、閻魔はもっと詳しく聞こうとするが、三人とも、誰を殺したかということを覚えていなかった。
こういうことはよくある。
死んでからすぐだと、記憶が曖昧というか、部分的に欠如しているのだ。
そんなときこそ巻物の出番なのだが。
「俺に謎ときでもしろってか?」
わけがわからず、閻魔は別のことから取りかかる。
「閻魔様」
「なんだ」
「あの三人が待っていますが」
「しかたねぇだろ。言ってることがわけわかんねぇんだから」
「どのみち、三人は天国に逝けないんじゃないですか?」
「・・・・・・」
確かに、小魔の言うとおりだ。
だが、もしも万が一、言っていることに何か間違いがあったら。
カリカリとペンを必死に動かしながら、閻魔は口だけを小魔に向けて発する。
「だからって、本当のこともわからず、天国にも地獄にも送れねえよ。すっきりしねぇし、もし三人とも嘘ついてたら、後味悪いだろうが」
「・・・人間とは、生まれながらに何かしら罪を犯しているものです」
「それを言っちゃあおしまいよ。天国なんて誰も逝けねぇじゃん」
話しながらも、閻魔はまたひとつ、新しい巻物に手を伸ばし、仕事を終わりにする。
「小魔」
「はい」
「アイス食いてぇ」
「氷の塊でも持って来ましょうか?」
「それより、遊佐から連絡はねぇのか?」
忘れていたわけではない。
決して忘れていたわけではないが、閻魔はふと思い出したように口にした。
「ここ最近連絡が来ていませんね。呼び戻しますか?」
うーん、と悩んだ閻魔だったが、悩むよりも前に、遊佐の方から帰ってきた。
監視役を引き連れながら戻ってくると、遊佐は閻魔に何も言わず、もといた地獄の門へと向かって行く。
雲幻が何の疑いもなく門を開けると、閻魔も同時に入っていく。
「あれ、閻魔様?」
途中、門を閉めるのを止めようとした雲幻だったが、小魔に制止される。
「大丈夫だ。閻魔様なら中から出て来れる。だから、中の奴らが逃げないよう、ちゃんと閉めておけ」
「はいはーい」
間延びした返事をすると、雲幻は門を完全に閉じた。
「どうかしたのか?」
小魔が仕事場に戻ろうとしたとき、夜焔に声をかけられた。
相変わらず、どっちを見て話せば良いのかわからない。
「いえ、閻魔様が対応してますので、大丈夫かと」
「そうか。随分と閻魔のことを信頼しているんだな」
「そう見えますか」
「まあ。少なくとも、俺のことよりは信頼してるんじゃないか?」
夜焔は、小魔の横を通り過ぎ、一旦足を止める。
二つの顔と目に見られている気分は、二倍の圧力を感じる。
「だが覚えておけ。闇は消えるべきなんだ。光の世のみが、真実だ」
そう言うと、夜焔は去っていく。
少しだけ振り向き、夜焔の背中を見た小魔は、ゆっくりと瞬きをした。
遊佐の後を追って行った閻魔は、地獄に戻ってから何も言わない遊佐に声をかけていた。
だが、当の遊佐は、指の爪を歯でぎりぎり噛んでいるだけで、目もどこか一点を見つめているようだ。
はっきり言うと、近づきたくない雰囲気だ。
「遊佐」
名を呼んでも、応えない。
「・・・・・・」
どうしたことかと、閻魔は一度ここから離れ、少ししてからまた遊佐に会いにこようかと考えた。
その時、遊佐の口が微かに動く。
「?」
がちがちと歯の音が鳴り、そこから僅かに漏れる声を聞きとろうとする。
けれど、あまりにも小さい声で、聞こえない。
「閻魔様、ご無事でしたか。てっきり、地獄の業火に焼かれてしまったかと」
「雲幻、お前にはいつかちゃんと躾ってもんを叩きこんでやるからな」
「いつでも待ってます」
にこにこと答える雲幻は、閻魔の言葉を理解しているのだろうか。
いつもの自分の椅子に腰かけると、閻魔は三人のことを思い出す。
「小魔」
「はい」
「あいつらを呼べ」
以心伝心とはこのことだろう。
閻魔の曖昧な言葉に対し、小魔は的確に理解し、三人を連れてきた。
「何か思い出したか?」
まだ巻物が届くまでには時間がかかる。
まったく、要領が悪いものだ。
まず、ソルジェがこう話した。
「俺が殺したのは、男です。確か、名前は・・・ラオ」
続いて、マンローがこう言った。
「俺は誰も殺しちゃいないよ」
最後に、ヴェレッタはこんなことを言った。
「私の人生は愛に溢れていました。だから、愛した人の言葉は、絶対だったんです」
「ということです」
三人の内容と、小魔の事務的な台詞に、閻魔は手で目元を覆って無言になる。
足を組み直したかと思うと、デスクの引き出しからチョコレートを取り出す。
それを口に頬張りながら、閻魔は目を細めて三人を眺める。
「新キャラ出てきたぞ。誰だ」
「ラオという男ですね。ええと、アイドという女性と結婚し、子も授かりましたが、ソルジェに殺されたようです」
「てこたぁ、なんだ?ヴェレッタとラオには接点があったってことか?」
「過去に付き合っていたとかじゃないでしょうか」
「てか、ヴェレッタの証言、ありゃなんだ。なんの解決にもならねぇぞ」
「男女とは難しいもののようです」
と言いながら、小魔は閻魔の前に、また資料の山を置いて行く。
「お前は鬼のようだな」
「有り難い褒め言葉です」
「はいはい次―」
ぽんぽん、と、役目を終えた巻物は、小魔に渡すと、小魔は何十本かをまとめて抱え、巻物部屋へと持って行く。
その部屋には、小魔の身長より少し大きい柱時計が備え付けられている。
だが、止まっている。
「えっと、いじめられてたのか。で、自殺?最近多いよなー、自殺する若者」
「だって、誰も僕の味方になってくれないんだもん。先生に言ったって『強い心を持って頑張って』とか言うし、お母さんも、『あと少しで卒業なんだから、それまで我慢しなさい』って言うし」
「だからって自殺はあまりよろしくねぇな。動物にはそれぞれ寿命ってもんが与えられてんだ。老衰でここにくんのが一番だ」
老若男女問わず、閻魔のもとに訪れる。
「ワシは政治家に知り合いがおるんだ。早く天国に連れて行かんか」
「あのなーじいさん。政治家でも大富豪でも例え首相だろうとな、ここでは意味ないの。分かる?」
「ワシが何をしたというんじゃ」
「何って、あんた、散々人に迷惑かけてたでしょ。スーパーでは安くしろ、量増やせ、あれしろこれしろ。あんたが作った店じゃねーんだから。のさばりすぎ。性質悪い」
巻物にチェックマークをつけると、老人は雲幻のいる門まで連れて行かれた。
「えっと、次は・・・」
びらっと巻物を広げると、そこには見覚えのある名があった。
「・・・・・・誰だっけ?」
小魔が連れてきたその人物には、確かに見覚えがあった。
「天厘〵煉・・・。どっかで会ったことがあるような気がすんだけど、どこで会った?」
閻魔がそう尋ねると、天厘という男も同じように首を傾げた。
そして二人して間抜けな顔をしながら、互いの顔を見てしばらく考えていた。
すると、天厘の方が先に思い出したようだ。
「ああ!昔死にかけたとき、『今忙しいからまだ来るな』って言ってきた奴だ!」
「そうだそうだ。あの時は本当に忙しくてな。お前のことを迎え入れられる準備が整ってなかったんだよ」
「久しぶりだなー」
和やかな雰囲気になったのは良いが、閻魔がしなければいけないことは、雑談ではない。
世間話をしながらも、閻魔は巻物を素早く読んでいく。
「んー」
「俺、別に天国でも地獄でもいいんだけどさ」
「お。良い心掛けだ」
「今後俺の知り合いがここに来たときは、なるべく天国に逝ってほしいなー」
閻魔の隣で、小魔もその天厘の言葉を聞いている。
その小魔の目線が、天厘に移動した。
「正直言って、俺はこれまでに人を沢山殺してきたよ。例え、主を助けるためとはいえな。それは仕方ないと思ってるし、助けられたことを誇りに思ってるから、後悔もしちゃいない。・・・けど」
巻物にも、確かに書いてあった。
天厘という男は、とある国の王様を守る役目を担っていた。
その為、他の国からの刺客や、敵と言う敵は皆手にかけてきた。
だが、それは守りたいと思える人だったからだ。
「出来ることなら、あいつらには死んでからも笑っててほしいからよ」
ニカッと笑う天厘に、閻魔もつられて小さく笑った。
天厘のしてきたことは、時代のせいとはいえ、許されることではない。
地獄に逝くことは確実だった。
それでも、天厘は決して閻魔の言葉を拒もうとしなかったし、乞うこともなかった。
閻魔が天厘を連れて行くと、雲幻は驚いたような顔をしていた。
だが、すぐにまたいつものようににこりと笑って天厘を門の中へと誘う。
「わざわざ見送りなんて良かったのに」
まるで散歩にでも行くかのように、天厘は足を進めて行く。
そして雲幻が門を閉めようとしたとき、閻魔が天厘に向かって声をかける。
「ここで120年なんとか耐えてくれ」
「え?」
「お前のしてきたことは、確かに赦されることじゃない。俺だって、地獄になんか送りたくないんだ」
「人間らしいことを言うんだね」
門の中から伝わってくる熱風は、離れている閻魔からしても熱い。
「120年耐えてもらえれば、お前を地獄から天国に移す手続きが出来る。それに」
今まで、どのくらいの人間を、地獄に放り込んだのだろう。
数にしてしまえばそれまでなのだが、数としてあらわすことが出来ないものもある。
何とも言えない、複雑な気持ちだ。
「それに、あんなに頼まれちゃ。さすがの俺だって、なんとかしたくなるってもんだ」
「?何の話だ?」
門の向こう側で、困ったように、眉をハの字にして笑っている閻魔。
なんのことだか分からない天厘は、ただ閻魔のことを見ていた。
「お前が良く知ってる奴らから頼まれたんだよ。お前をずっと地獄に落とし続けるなら、俺の首を狙うとまで言われてよ」
「はあ?」
「普通なら、俺を脅していた奴ら全員地獄に逝かせるところだが、まあ、機械が捌いてるわけじゃあねぇんだ。このくらいの配慮はありだろ?」
「奴らって、まさか」
「地獄は厳しく辛い場所だ。そう簡単に耐えられねぇぞ」
「・・・分かってるよ」
誰が閻魔に何をしたのか、はっきりと閻魔の口から教えてもらえることはなかった。
それでも、天厘には分かった気がする。
「時間の過ぎ方も今までとは違う。きっと苦痛しか感じないだろうが、また俺と会う時には、そうやって笑ってろよ」
「難しいこと言うなー。けどま、戒めの時間だと思って、なんとか耐えるよ」
少しすると、雲幻が、閻魔に門を完全に閉めて良いかと聞く。
それに頷くと、閻魔と天厘は目が合ったまま、門が閉まっていく。
完全に門が閉まると、雲幻が閻魔の方を見る。
「お知り合いですか?」
「・・・ま、そんなとこだ」
くるっと振り向き去っていく閻魔の背は、どこか寂しそうにも見えた。
「小魔」
「なんです」
「次呼んで」
「はい」
今日はなんだか仕事がはかどる。
善と悪がしっかり分かれている人が多いからだろうか。
それとも、いつも以上に閻魔がやる気を出しているからだろうか。
そんなことは小魔にも分からないが、仕事が終わっていく分には文句がないため、特に口を挟むこともなかった。
「でねでね、そのキャラが超かっこよくて、まじで好きになっちゃったわけ!夜も悶々としちゃってー、もう本当に二次元に行きたい!」
「はいはい。で、同じキャラを好きだった女性を殺したと」
「そう。だって、あの子よりも私の方が絶対愛してたもん。誕生日も血液型も身長も体重も特技も全部理解してたもん!なのに、なんであの子、抱き枕なんて持ってるのよ!おかしいじゃない!」
「・・・・・・え、っと。はい、とりあえず小魔、連れてって」
続いては、ホームレスだった男を殴る蹴るして死亡させた、薬物依存の男。
「クソだろ。ゴミじゃん、あんな奴ら。社会の役に立たねーし。殺して何が悪いんですかー?」
「はあ・・・。なんかもう話しすんもの面倒な奴だな」
「おじさん、おでこのシップなに?ギャグ?面白くねーけど!」
「ポジティブなのは良いことだけどな。小魔、さっさと地獄に送って来い」
「はい」
「次、次っと」
閻魔は次の巻物に手を伸ばす。
それは小さな女の子だった。
病気で死んでしまったようだが、少女は閻魔の顔を見ると、目を見開く。
「・・・お兄さんの顔に何かついてる?」
そう聞くと、少女はぶんぶんと顔を横に振った。
「お名前は?」
巻物に情報は書かれているが、一応聞いてみると、少女は迷わず答えた。
「ルイダ」
「ルイダ?なんの病気だったかわかる?」
なるべく怯えさせないようにと、閻魔なりの気遣いをする。
それに気付いていないのか、ルイダは手に持っていた熊のぬいぐるみで遊び始める。
「んとね、わかんないけど、ママもパパも泣いてたの」
「・・・・・・」
巻物によれば、ルイダは産まれた時から、心臓の病気だったようだ。
ずっと病院のベッドで寝ていて、なかなか家にも帰れなかったという。
両親は毎日お見まいにきて、ルイダを励まし、可愛がっていた。
やがてルイダは6歳になり、その誕生日のお祝いに、熊のぬいぐるみを買った。
友達もいなかったルイダにとっては、とても大切な友達となった。
ある日容体が急変し、ルイダは亡くなってしまったようだ。
両親は泣き狂い、今も子を作れないでいる。
そこまで読むと、閻魔は巻物を閉じ、ルイダの前に、両膝を折って屈む。
「やってみたかったこと、あるか?」
閻魔がそう聞くと、ルイダは目を輝かせ、こう答えた。
「お友達とね、遊びたい!」
「そうか」
閻魔が終わらせた巻物を部屋に置き、また閻魔のいる部屋に戻ってきた小魔は、目を大きく見開いた。
そこには、少女と遊んでいる閻魔がいた。
「小魔、お前もこっちこい」
「・・・・・・」
閻魔に呼ばれ、仕方なく小魔もルイダの傍によるが、ルイダは怖がって閻魔の洋服をぎゅっと掴んだ。
「ほら小魔」
そう言われ、閻魔に差し出されたのは、ルイダが持ってきていた熊のぬいぐるみだった。
これをどうしろというのか、と思っていると、ルイダはただじーっと小魔を見ていた。
ふう、と諦めたようにため息を吐くと、小魔はぬいぐるみの両手を持つ。
『こんにちは。僕は猛獣だよ』
「なんか違う気がするが、まあいいか」
熊は確かに猛獣だが、素直に猛獣などという大人がどこにいる。
ぬいぐるみだけでなく、肩車をしたり、高い高いをしたり、お馬さんごっこをしたり、あと、おままごともした。
追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり。
「もーいいーかーい」
「もーいーよー」
鬼になったルイダが、懸命に閻魔と小魔を探すと、大人が隠れられるところなどそうそうないため、すぐに見つかってしまった。
どのくらい経ったころか、ルイダはすっかり寝てしまった。
まだ幼いルイダの寝顔を見ながら、閻魔は椅子によっこらせ、と座る。
「閻魔様、急にどうしたんですか」
「あん?何が?」
「閻魔様の仕事は、死人の送り先を決めることです。遊ぶことではありません」
「まあいいじゃねぇか」
「良くありません」
「小魔よぉ」
「はい」
「そんなにちっこいのに、死んじまったんだ。しかもずっと病院暮らし。思い出のひとつくらい、作ってやったって罰はあたんねぇだろ?」
「・・・そうかもしれませんが」
「なら早く連れて行け」
「どちらに?」
「ああ?決まってんだろ?」
閻魔に言われ、ルイダを連れて行こうとするが、寝ているため、横向きにして抱いている。
浮幻の前に連れて行くと、小魔の腕の中にいるルイダを見て、怪訝そうな表情を見せた。
「門を開けてくれ」
「まだガキだな」
口の悪い浮幻だが、門を開けると、小魔からルイダを受け取り、中に連れて行く。
門の中からは、ほのかに良い匂いがする。
「・・・・・・」
ふと、浮幻が足を止める。
何事かと、小魔が浮幻に声をかけると、眉間に深くシワを作り、こちらを向いてきた。
「なんか笑ってるけど、なにこれ」
「ああ、それはきっと」
閻魔のしたことを説明すると、浮幻は何やら納得したようで、奥へと連れて行った。
浮幻が戻ってきて門を閉めると、小魔も閻魔のもとに戻る。
その時、ふと漏れたため息に、浮幻が気付いた。
どうかしたのかと聞かれると、小魔は感じていることを正直に話した。
「時々、閻魔様のことがわからない」
その言葉に、浮幻は同意するように頷いた。
「俺も分からないが、閻魔様があの仕事を任されるようになったのは、ああいう性格だからだろう」
「機械が捌くわけじゃない。閻魔様は、そう言った」
「俺も雲幻も、閻魔様じゃなかったら、きっと門番なんて任されちゃいない」
確かに、と言いそうになった小魔だが、なんとか堪えた。
浮幻と雲幻の前の門番は、二人とはまるで違っていて、規律や規則といったものを最優先にしていた。
見た目も、もっとごつい姿で。
その頃、小魔はまだ見習いとして働いていたため、どんな経緯でそこにいるのかは知らないが、小魔から見ても恐ろしい、という印象を受けるものだった。
さらに言えば、どうして浮幻と雲幻にしたのかも気になるのだが、聞いても適当に答えられるか、はぐらかされてしまう。
小魔は仕事場に戻ると、また終わった巻物が幾つも積まれていた。
「小魔、これも頼む」
「・・・はい」
いつもと同じように返事をしたはずなのだが、ふと、閻魔が顔をあげる。
そして小魔のことを見ていると、小魔が眉を顰める。
「なんです?」
「いや、別に?」
「ならこっち見ないでください」
ふいっと顔を背ける小魔だが、背中にはまだ若干の視線を感じる。
誰からのものかは、分かっている。
「なにか?」
「なんかお前、さっき戻ってきてから変だなーと思っただけ・・・」
「いつも通りです」
「あ、そう」
諦めたのか、それとも納得したのか、閻魔は巻物に目を戻した。
それを見ると、小魔はまた巻物を持って部屋を出て行く。
「ふう」
結構巻物が溜まっているが、この部屋はなぜか満杯になることはない。
ある程度溜まると、自動的に建物の地下に運ばれるという人もいるし、実は無次元空間になっているという人もいる。
本当のところ、良くわかっていないようだ。
きっと閻魔は知っているのだろうが、聞いたことはない。
なぜかと聞かれると、分からない。
巻物の部屋から出ると、夜焔に会った。
「お疲れ様です」
「おつかれさま。何か考え事?」
「え?」
「そんな顔してるから」
思わず自分の顔を触ってみると、夜焔は肩を小刻みに動かし笑った。
冗談だったのかと、小魔は一礼して立ち去ろうとするが、それは出来なかった。
夜焔に、がっちりと腕を掴まれてしまったからだ。
「なんでしょう」
「閻魔の下には、別の奴つけるからさ。俺のとこおいでよ」
また、勧誘だった。
「先日も申し上げましたが、御断りします」
「まあ、断られるとは思ってたけどね」
笑いながらそう言う夜焔だが、なんとなく、不気味な感じがした。
小魔はその後特に何も言わず、閻魔のいる部屋に戻ってくる。
「あのさー、俺の話聞いてた?」
閻魔の前には、一人の女性がいた。
紫色の長い髪をしており、綺麗な顔をしていた。
「あなたこそ、どうして私が彼を殺したのか、聞いていたの?」
女性の返答に、閻魔は顔を引き攣らせる。
がくん、と項垂れたかと思うと、女性は「あ」と声を出す。
「それより、彼はどっちに逝ったの?私、そっちでいいわ」
「あのさー、そっちでいいとかないから。てか彼って誰?」
巻物には何やらびっしりと書かれており、閻魔はそれを目を細めて読む。
すると、そこには女性の人生が書かれている。
女性の名はモナファというらしい。
高貴な産まれのようで、姉もいたそうだ。
愛した男には妻がいて、さらには関係を持って少しした頃、二人の間には子も出来た。
最後に自分を選んでくれると思っていたモナファだが、男は妻の方に行ってしまったようだ。
モナファは裏切られたという気持ちと、自分の気持ちを踏みにじられたという気持ちとで、彼を殺してしまったそうだ。
しかも、その時彼との子をお腹に宿していたという。
「彼がいけないの。でもまだ彼を愛してるの。それは悪いこと?」
「そういう話はしてねぇの。わかる?」
「あなたにはいないの?人生でたった一人、殺すほどに愛した人」
「いないね。仮にいたとしても、殺しはしないよ」
「きっといつかあなたにも分かるわ。愛は人を狂わせるのよ。愛憎って言葉があるほどだもの」
「理解に苦しむね」
はあ、と大袈裟にため息を吐くと、閻魔は巻物を閉じ、小魔に地獄に連れて行くよう命じた。
「よし。今日はこの辺で終わりにしとくか」
よっこらせ、と椅子から立ち上がり、うーんと背伸びをしていると、小魔がコーヒーを持ってきた。
「お、おお、ありがとう」
いつもは、頼んでも嫌そうにしか持って来ない小魔が、今日は自ら持ってきた。
何か企んでいるのかと、閻魔は小魔をじーっと見ながらコーヒーを啜った。
「それで、例の三人のことはわかったんですか」
「ああ?」
小魔に言われ、思い出した。
よく分からない、あの三人のこと。
「そろそろ巻物くんだろ。そしたら全部分かるだろ」
「・・・今日はもう終わりですか」
「え!?なにお前、まだ俺に働けっての?」
ええ!?と、すごく嫌そうに、目を大きく開いて拒絶する閻魔。
それを見て、小魔は特に止めることなく、首を横に振った。
閻魔は、そんな小魔を見て、さらに驚いたように口を半開きにしていた。
だが、こんなこともうないかもしれないと、閻魔は遠慮なく寝床へと向かう。
「閻魔」
「あ?ああ、なんだ、夜焔か」
声も二重に聞こえてくる、閻魔からすると謎の生物のこの男。
洋服の趣味はどっちが決めているのだろうとか、食事はどっち側で噛んでいるのだとか、脳がどうなっているのかとか。
聞きたいことは山ほどあるが、それよりも関わりたくないという気持ちの方が大きい。
「小魔のことか?」
「さっき振られたよ」
「じゃあなんだよ。俺寝たいんだけど」
頭をかきながら、閻魔は夜焔の横を取り過ぎて行こうとした。
「人間を一人、下界に下ろしたようだね。規則に反していると思うんだが」
互いに顔を見ず、廊下の奥の方を見つめながら話す。
「ちょっと野暮用でな」
「今でも疑問に思うんだ」
「あ?何が?」
ここでようやく、閻魔が首だけを後ろに動かす。
そこには、閻魔の方など見ようともしていない夜焔の背中だけがあった。
「どうして、君が“閻魔”の名を受け継いだのか」
表情は分からないが、声色からして、きっと笑ってはいないだろう。
「俺が閻魔になっていれば、今よりもっと良い天界を作れただろう。だがしかし、なぜか変わり者と言われていたお前が、暗黒世界を担っている」
「え、俺変わり者って言われてたの?」
「まあ、光明世界は俺にふさわしい輝いた世界だが、どうも不服でな」
「変わり者?俺が?なんか失敬だな」
「実質権力を握っているのは閻魔だ。それがどうして俺じゃなくお前なのか。先代たちも何を考えていたのか」
「まあ、普通って言われるよりはマシか」
「これだけは覚えておくんだな」
二人の会話がかみ合っていたのかは別として、夜焔は歩き出した。
「闇は光がなければ存在しないということをな」
「・・・・・・」
遠のいていく夜焔の背を、目を細めてみた後、閻魔は後頭部をぽりぽりかいた。
そして寝る為に部屋に向かう。
髪をタオルで雑に拭きながら、閻魔は遊佐のことを思い出していた。
どうして急に口を噤んでしまったのか。
もう死んでいるのだから、殺すなどの脅しをされたとは考えにくい。
ここに戻ってきても尚怯えているということは、きっとこっちの世界が関係しているのだろう。
それならば、閻魔になら言えるだろうと思うが、それでも言わないということは、閻魔同等の力を持っている奴が関わっているということか。
何にせよ、まだ仮説の段階でしかないが。
その時、こんこん、と閻魔の部屋のドアを叩く音がした。
「閻魔様」
「なんだ、どうかしたのか」
まだ仕事をしていたのか、小魔が手に巻物を持ってやってきた。
「例の三人の巻物が届きました」
「・・・ああ、あいつらのか」
忘れていたわけではない。決して忘れていたわけではないが。
閻魔に巻物だけを手渡すと、小魔はさっさと部屋を出て行こうとした。
巻物を受け取った閻魔は、ふと、先程のことを思い出し、小魔に聞いてみる。
「小魔」
「はい」
「夜焔のとこ、行きてぇなら行っていいんだぞ?」
「はい?」
何も、好き好んで暗黒世界に来るものはいない。
しかも、それを担っているのが閻魔という、大層適当な人間なのだ。
その下に就く者は大変だろう。
仕事が出来るとか出来ないとか、そういう問題ではない。
何と言うか、淡々とこなさないと言うのか、機械的に処理しないというのか。
仕事は出来るし、速いだろう。
だが、何か気になることがあると調べようとしたり、この間のように、小さい子相手だと遊んでみたり。
何がしたいのか、何を考えているのか分からないことが多いのだ。
本人に聞くと、何も考えてないと言うのだが。
「口五月蠅い部下かもしれませんが、閻魔様のもとで働くと決めた以上、ここを離れる気はありません」
「おー、嬉しいこと言ってくれるねぇ」
「もういいですか」
「はいよ」
相変わらず手厳しい小魔を見送り、閻魔は巻物を開く。
「ふーん」
枕の下に隠しておいた饅頭を頬張りながら、閻魔は三人分の巻物を次々読んでいく。
読み終えると、巻物を開いたままベッドに放り込み、隣の部屋を開ける。
そこで回る、様々な時計のチェックをすると、木箱を触る。
すると、どこかの時計が逆回転を始めた。
ぐるぐるとまわり続け、何十、もしくは何百、もっとかもしれないが、回転を終えると、今度は何かの映像が流れだした。
「おはようございます・・・」
「おう、なんだ、その意外そうな顔は」
「いえ、今日は朝早いんですね」
いつもは小魔の方が早いのだが、なぜか今日は、小魔が仕事部屋に来たときにはすでにもう閻魔が椅子に座っていた。
それだけではなく、もう仕事を始めていたのだ。
「小魔、あいつら連れてこい」
「わかりました」
閻魔に言われると、小魔は閻魔の前にあの三人を連れてきた。
それを見ると、閻魔は掌サイズだった砂時計を取り出し、砂時計の大きさを変えた。
一メートルほどの大きさにすると、砂が落ち始める。
「さて、何か思い出したことは?」
閻魔がそう聞くと、ヴェレッタが口を開く。
「私はソルジェを愛していたわ。それから、マンローのことも」
「・・・・・・」
閻魔は足を組み、肩肘をテーブルについて、手の甲を顔にくっつけながら、ヴェレッタの顔を見ている。
テーブルの上には、ヴェレッタだけではなく、ソルジェとマンローの巻物も一緒に広げられている。
「それから、もう一人」
ソルジェとマンローは、ヴェレッタの顔を見たあと、互いの顔を見て俯く。
「昔付き合っていたラオ。彼のこともまだ愛してるの。彼は私にとって、初めてをいっぱいくれた人。だから、思い出もいっぱいあるの」
ぽつり、ぽつりと話すヴェレッタは、自分で気付いていないのか、ほろほろと涙を流し始めた。
その様子を、ただ冷静に見ていた閻魔は、次にマンローに尋ねた。
「お前が以前、付き合っていた女のことは覚えてるか?」
ふう、息を吐きながら、足を組み換え、頬につけていた手をテーブルの上に置く。
閻魔の質問に、マンローは考える。
「名前は、覚えてない」
「だろうな」
「けど!けど・・・すげー美人で、セクシーで、太ももつけねにホクロがあって、そんんで・・・」
「ああ、いい。そういうのは聞いちゃいねぇんだ」
掌を出してマンローの制止をすると、逆の手を額につけて下を向いた。
「ったく。お前ら、よぉく見とけよ」
そう言うと、閻魔は木箱を触る。
すると、がちゃがちゃ、と木箱の中で何かが動き、瞬きをした三人の前には、映画のような映像が映し出されていた。
そこにはまず、ヴェレッタがいた。
どうやら、最初の彼でもあるラオと一緒にいるようだ。
買い物をしたり映画を見たり、楽しそうにしている。
しばらくして、今度はソルジェと出会った。
ソルジェは友人のマンローととても仲が良く、二人で遊びに行くこともあったようだ。
マンローには彼女がいた。
確かに、マンローが言っていたように、美人で女性らしい体つきをしている。
しかししばらく経った頃、ヴェレッタとマンローは身体を重ねた。
それだけではなく、マンローの彼女が、ヴェレッタの昔の恋人であったラマと、一夜と共にしていた。
三人のこれまでを簡単にまとめた映像が流れ終わると、ザザザ、と砂嵐が映る。
しばらく放心状態だった三人は、すうっと、周りを取り囲んでいた暗闇が一気に引くと、そこにいた閻魔の方を向く。
「どういうことだ?」
「今のは、何?」
「ヴェレッタ、お前!」
「あーあー、各々言いたい事もあるだろうが、とりあえずそこに座ってくれ」
言い争いになりそうになった三人を見て、閻魔は準備した椅子に座らせる。
ふと横に目をやれば、砂時計は半分以上落ちていて、というより、ほとんど落ちていた。
どれほど時間が経ってしまっているのかわからないが、数分に感じた出来事は、数時間見せられていたようだ。
「確かに、ここに来たとき、お前達が言っていたことは、間違っちゃいなかった」
最初に三人がそれぞれ閻魔に伝えたこと。
ソルジェはマンローがヴェレッタに誰かを殺させたと言った。
マンローはヴェレッタがソルジェに誰かを殺させたと言った。
ヴェレッタはソルジェに言われて誰かを殺したと言った。
それは決して嘘ではなかった。
だが、それ以外にも登場人がいたということだ。
「まずソルジェ。お前はマンローを友、ヴェレッタを女としてもっていた。次にマンローは、ソルジェと友、そして名前も覚えていない女は、アイドだ。最後にヴェレッタ。お前はソルジェを男としていた」
黙って閻魔の話を聞いている三人は、何かを思い出したかのように、口と目を開き、互いの顔を眺める。
「ソルジェの言っていたことは、マンローがヴェレッタに、アイドを殺させたということだった。飽きたのか、それとも面倒になったのかは知らないがな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は」
「次に、マンローの言っていたことは、ヴェレッタがソルジェに、かつての恋人だったラオを殺させたということだ。自分以外の女と付き合っているのが嫌だったのか、昔の自分を知られたくなかったからか、はたまた自分の浮気相手でもあるマンローを裏切った女と関係を持っていたからか」
「彼は一生私を愛すると言ったのよ!それなのに、別の女を好きになっていたの!彼の裏切りよ!」
「はいはい。自分のことを棚に上げてよく言えるな。最後にヴェレッタが言っていたのは、ソルジェに言われ、マンローを殺したということだ。自分と付き合ってるのに、別の男と、しかも友人と浮気をしていたからだろうな。ソルジェとヴェレッタは心中した、と。さて、言いたいことは?」
閻魔が一通りのことを説明し終えると、巻物を閉じて小魔に渡した。
突然、マンローが閻魔に殴りかかってきた。
「閻魔様!」
テーブルを飛び越え、閻魔に向かって何度も何度も拳を振るう。
「うるせえよ!だからなんだ!?俺は誰も殺しちゃいねぇんだ!地獄になんか送れるわけねぇよな!ああ!?偉そうに言ってんじゃねぇよ!」
あくまで、人を殺めたのは、ソルジェとヴェレッタだけだと言い張るマンロー。
間違ってはいないのだが、きっと頭のネジが足りない男なのかもしれない。
ようやく満足したのか、マンローは閻魔から離れる。
「閻魔とやらがどれだけ強いのかと思ったら、大したことねぇんだな」
のそっ、と身体を起こした閻魔は、首を左右に二回ほど動かして立ち上がった。
「まだまだガキの拳だな」
「ああ!?」
成人男性が、結構な力を入れて殴ったというのに、閻魔はけろっとしていた。
痣もなく、口の中を切った様子もなく、ただそこに平然と立っていた。
口の端を指でちょっとなぞると、舌を出してそこを舐めた。
「小魔、連れて行け」
「はい」
「おい!ちょっと待てよ!おいこら!」
他に数人人を呼んでくると、マンローは屈強な男たちに連れて行かれた。
ソルジェとヴェレッタは大人しく、手を繋いで行った。
「うへー、地獄が定員オーバーになりそう」
雲幻は、嬉しそうにそう言った。
地獄の門の前に来てもなお、マンローは雲幻に飛びかかろうとした。
だが、にっこりと笑ったかと思うと、雲幻は持っていた鎌でマンローの首を斬った。
ころん、と落ちた首だけを拾うと、それに向かって笑いかける。
「元気があるのは良いことだけど、あんまり暴れないでほしいなー」
玩具を手にした子供のように、雲幻は首を思いっきり地獄の奥へと投げた。
「身体の方は大人しいから良いね」
小魔が三人を地獄に連れて行ったあと、また新しい巻物が届き、それを持って閻魔のところへ戻っていた。
すると、もう次の仕事に取りかかっている閻魔がいた。
小魔が三人を連れて行ってる間に、もう幾つか終わらせたようだ。
あれほど山のようにあった巻物は順調に減って行き、部屋も綺麗になった。
「よし」
今日の分を終えたのか、閻魔は巻物を閉じて小魔に渡す。
毎日毎日この調子だと助かるが、だが毎日こうも仕事漬けだと、体調を壊すかもしれないと、声をかけようとした。
その時、閻魔が「あ」と言って小魔の方を振り向き、こう言ってきた。
「しばらく自分の部屋に籠るから」
「はい?」
空耳かとも思ったが、閻魔はそれだけを言うと、部屋から出て行ってしまった。