第4話 物見遊山

文字数 5,144文字

 神社の駐車場にバイクを停め、氷太朗とナルは鎮守の森の中を歩いた。目指すは社務所の最上階の執務室――そこに太三郎が居るはずだ。
 参道を歩きながら、氷太朗は大きく息を吸う。昨夜あれだけ喧噪(けんそう)を孕んでいた月夜神社も、夜が明けて、すっかり神聖な空気を取り戻していた。
 この神社には、常夜の主神である月夜菊須神(ツクヨキクスノカミ)の他に、月の神である月読命(ツクヨミノミコト)も祀られているのだとか。月をベースに作られた常夜にとって、月読命(ツクヨミノミコト)は土地神のような存在なのだろう。
 鎮守の森を抜け、参道に出ると、詰襟の礼服を着た人々がゴミ拾いをしている姿がちらほらと見えた。

「あの人たちも、太三郎さんやナルと同じ『常夜維持管理行政事務所』の職員なの?」

 氷太朗が問うと、ナルは「そうよ」と短く肯定した。

「昨日の夜、ナルと別れた後に『常夜治安維持司法事務局』の人に会ったんだけど、あれはまた違う組織なの?」
「全然違うわ。『常夜維持管理行政事務所』は神事の他に、住民票の発行から水道とかガスのライフラインを管理する行政組織で、『常夜治安維持司法事務局』は犯罪を取り締まったり裁判をしたりする司法組織よ。事務所の連中はこの常夜神社を拠点にしてるから『神社』、事務局の連中月夜城を拠点にしてるから『御城』って呼ぶわ」
「へぇ。ちなみに、立法機関ってあるの?」
「それも神社が担ってるわ」
「じゅあかなり神社は力を持ってるんだね」
「そうよ。エリートの中のエリートしかなれないわ」

 ナルがそう言った矢先である。小鳥居の傍で嘔吐している詰襟の女性を発見した。
 二人は思わず足を止める。エリートの中のエリートしかなれない神社の者が神域たる境内の中であろうことかゲロを吐いていたから――加えてその女性が、あろうことか、二人の知り合いだったからだ。

「魅流……アンタ、何してるのよ」
「ああ、ナルさん。来てたんですね。何って……ゲロ吐いてるんですよ。見てわからないですか?」
「見たらわかるわよ。見たくもないけどね」
「じゃあ見ないでくださいよ。こちとら二日酔いのせいで頭痛と吐き気でヤバいんですから……。うっ!」

 また吐く魅流。
 氷太朗は思わず駆け寄り、彼女の背中を摩った。

「大丈夫ですか? お水でも貰ってきましょうか?」
「ありがとうございます。じゃあ、少し歩いたところに手水舎があるんで、そこで水を汲んできて貰えませんか? 柄杓のままで良いんで」
「どこまでバチ当たりなのよ!」思わずナルは声を上げた。
「痛てて……。大きな声を出さないでください、ナルさん。頭に響く……。貴女はいいですよね、鬼ですから。二日酔いにならない」
「人間の癖に身の程を弁えずに馬鹿みたいに飲むからそういうことになるのよ、馬鹿」
「言いましたね! ゴミ掃除の前に鬼退治と洒落込んでもいいんですよ?」

 魅流は青い顔のまま立ち上がると、腰に手を伸ばした。しかし、その手は空を掴む。

「あれ? 刀がない。まさか、落としちゃった?」
「昨夜の時点で無かったですよ、魅流さん」
「マジですか? あ、ヤベ……。あれ神社からの支給品だから、失くしたら始末書どころじゃ済まないんですよね……」

 青い顔が更に青くなる。
 ナルはそんな彼女に付き合ってられないと言わんばかり溜息をついてから、「太三郎のジジイに用があるんだけど何処に居るの?」と問うた。すると、彼女は後方を指さす。

「本殿の方でゴミ掃除をしてますよ」
「あら、下っ端仕事をするなんて珍しい」
「ゴミの量がハンパ無かったですからね……。朝から職員総出でゴミ拾いにあたってるんです。太三郎様も例外じゃありません」

 どうやら祭りのゴミ問題は常夜でも人々の頭を悩ませているらしい。
 魅流と別れた二人は方向を変え、本殿の方に向かと――すぐに、太三郎と出会た。絶世の美少女の姿のまま座り込んでゲロを吐く太三郎と。

「うっぷ……呑み過ぎた……」
「大丈夫ですか?」

 氷太朗はまた駆け寄り、また背中を摩ってやる。それに気付いた太三郎は、涙目になりながら「すまんのう」と首を垂れる。

「どこかでお水でも買ってきましょうか?」
「いや……少し行った所の手水舎がある。あまり美味くないが、今は贅沢も言ってられん……柄杓で良いから汲んで来てはくれんか?」
「わかりました!」

 氷太朗は急いで手水舎に向かおうとするが、すかさずナルは首根っこを掴んで阻止した。

「酔っ払いを甘やかしたらダメよ、氷太朗。どんどん付けあがるから」
「その声はナルのアホか……。お前さんは良いのう。鬼じゃから、いくら呑んでも酔わん」
「部下が部下なら上司も上司ね……」

 ナルは哀れみを通り越し、侮蔑の眼差しを向ける。まるでゴミを見るような眼だが――氷太朗も、その眼差しには正当性があるように思えた。

「二日酔いで苦しんでるところ申し訳ないのですが――太三郎さん。僕の肉体って、どのくらいで見つかりますか?」
「そんな事、知るわけないじゃろ。迷子の猫を探すのと一緒じゃ、運が良ければすぐ見つかるし、運が悪ければずっと見つからん」
「見つかるまでの間、どうやって過ごせば良いですか?」
「それも知らん。好きにせい。それより、さっさと水を……」
「だってさ! ナル!」

 氷太朗はパッとナルの方を見ると、ナルは太陽のような笑顔を取り戻した。

「やったわね! じゃあ、常夜観光と洒落込むわよ! どこ行く? どこ行きたい?」
「うーん……どこがオススメ?」
「町で有名なのは、やっぱり電波塔かな。無間電波塔って言われるくらい背が高いの。展望台からは文字通り、常夜を一望できるわ」
「おお! 登ってみたい!」
「じゃあ決まり! 行くわよ!」

 一瞬にして旅行を前にした少年少女になってしまった二人は、早速、電波塔に向かった。
 水を待ち続ける太三郎を放置して。

* * *

 電波塔には十分ばかりで着いた。
 電波塔の構造はエッフェル塔や東京タワーと同じ、三角形が集合したような鉄骨トラス構造である。全体は赤く塗り上げ、足元から頭の先まで電飾を施されているので、なんだか夜の海に浮かぶ巨大なホタルイカのようだった。その高さは四〇〇間――わかりやすく換算すると、約七三〇メートル。スカイツリーよりも遥かに高いその背丈は、『無間電波塔』と呼ぶにに相応しい。
 地上の受付で展望台のチケットを購入した二人は塔の中に入り、中心部を背骨のように通るエレベーターに乗り込む。エレベーターはかなりレトロで、フローリングにフェンスを囲ったような無骨なものだった。上昇中はかなり揺れた。特に風が吹くと、前後左右に大きく揺れた。何度も「あ、これ落ちるな」と思ったが――一分もしないうちに最上階付近の展望台に到着した。
 地上七三〇メートルからの眺めは圧巻であった。
 街の光と星の輝きが眼前に広がっている。こんな幻想的で広大な景色は見たことがない。心が潤いうのを感じる。
 すっかり眺めが気に入った氷太朗は、展望台の回廊を六周もした後、揺れるエレベーターで地上に戻った。

 次はどこに行こうか――そんな話をしながらバイクのもとに戻っていると、道中、ピエロに手招きをされた。付いて行ってみると、その先にはメリーゴーランドや回転ブランコやジェットコースターがあった。移動遊園地だ。この世界を謳歌したい氷太朗とナルがこれをスルーするわけもなく――二人は飛びついた。
 常夜の移動遊園地は、やはり現世とは一味も二味も違った。全体的に大型で、全体的にスピードが速く、全体的に安全対策が甘い。コーヒーカップ一つとってもそうだ――現世のコーヒーカップは、カップの内側のベンチに腰掛けて、ゆっくりと回転する。たまに子供やカップルがハンドルを勢い良く回して高速で回転するが、基本的には緩やかに楽しむ遊具である。だが、常夜の移動遊園地は違う――まずコーヒーカップのサイズが大きい。優に一〇人は座れるサイズなのだ。にも拘わらず、ハンドルの径が小さいので、少し回すだけで大きく速く回転する。大きなティーカップが高速で回転するものだから、中の人間は強烈な遠心力に晒される。人より丈夫な氷太朗でも、身構えていなければ首がむち打ち症になっていただろう。
 普段の氷太朗ならば、持ち前の意気地なしが音を上げて、ひぃひぃ言いながら早々に撤収していただろう。だが、今日この時ばかりは臆病風が吹く事はなく、気付けば移動遊園地に設置されていた全ての遊具に乗っていた。

* * *

 たっぷり三時間遊具を満喫した二人は、昼食を摂りに近所の蕎麦屋に行った。ここのオススメは天麩羅蕎麦だと看板に書かれていたので、勿論、二人はそれを注文した。その判断は大正解だった――天麩羅は茄子と海老とイカで、どちらも衣サクサク、中トロトロなので噛む度に幸福感が得られた。蕎麦も十割蕎麦だけあって、香りが高い。そして何よりも汁が美味い。関西風の薄味にも関わらず、鰹節と醤油の出汁がきいていているので、一口啜る度に満点の満足感を味わえる。
 天麩羅蕎麦を半分くらい食べたところで、ナルはもう次の目的地を考えていた。

「午後は笑劇小屋なんてどう?」
「なにそれ? お芝居?」
「うん。コメディ色の強い舞台よ。名前こそ『小屋』だけど、そんじょそこらの舞台よりも大きくて、古今東西の芸人さんが集まるから超盛り上がるわよ。しょーもない時は寝ちゃうくらいしょーもないけど」
「それは良いね。じゃあ、そこにしよう。……あ、でも、お金、大丈夫? さっきの遊園地で大分使っちゃったけど」
「大丈夫、大丈夫。当分底は突かないはずよ」
「……一体どれだけ稼いだの?」
「三万円くらい」
「レートがわからないから何とも言えないなぁ……」
「ここのバイトの時給が一〇〇円よ」

 現世の最低賃金が時給一〇〇〇円くらいなので、単純計算で、常夜での三万円は現世での三〇万円に相当する事になる。
 想像を絶する収入に、氷太朗は思わず「儲けすぎだろ!」とツッコミを入れてしまった。「一晩でそんなに集まったの⁉」

「うん。やっぱり祭の夜はみんな財布の紐が緩むわね」
「緩みすぎだよ!」
「三万が尽きるまで遊ぼうと思ったら、何日かかるかしら」

 ニヒヒッと夢を膨らませるナル。その笑顔には屈託がなく――少なくとも、『気を遣っている』とか『嫌々付き合っている』という雰囲気は一切ない。故に、疑問だった。

「どうしてナルはそんなに良くしてくれるの?」

 氷太朗は箸を置いて問う。

「昨日、たまたま偶然道で出会っただけの僕に――どうしてそんなに良くしてくれるの?」
「思い出を作りたいから」

 ナルは即答した。

「お、思い出?」
「うん、思い出。私、結構人間の友達が居るんだけど――どいつもこいつも、私より先に老いて死んでいくのよ。いっつも見送ってばっかり。昔はそれが辛くて辛くて、こんなにも辛いなら友達なんて作りたくないって思ったの。でも友達って、作るって言うより、自然と出来ちゃうじゃない? どんだけ作りたくないって思っても出来ちゃって、で、また見送るハメになりそうになって……その繰り返しに絶望してたら、ババアになって死にかけの友達が言ったの。『お別れじゃない』って。『肉体が朽ちても、思い出が朽ちることはないから、大丈夫』って。それでハッとしてさ――お別れをしても、思い出は光となってずっと私を照らし続けるから寂しくなんかないんだって、わかった」

 ナルはどこか遠くを眺めてから、氷太朗の眼を見た。

「氷太朗も、肉体が見つかればサヨナラでしょ? しかも、氷太朗が常夜に来ることは二度とないから、永遠の別れになる――考えただけでも寂しいから、思い出を沢山作って、寂しくならないようにしたいの」
「それが……理由?」
「うん。後悔したくないからね。意外に利己的でしょ? ニヒヒッ、ごめんね」
「え、いや、そんな――納得したし、すっごく素敵な哲学だと思うよ」

 氷太朗は『現在』ばかりを見ていて、サヨナラをする事なぞ頭になった。その時、寂しい思いをする事も。そして、今が『過去』になり、今日の出来事が『思い出』になってしまう事も――少しも考えられていなかった。
 だが、ナルはどうだ?
 全てを予見した上で、『思い出作り』という最善の策を立てて――あろうことか、実行している。後悔したくないから、と。

「ナルは強いね」
「そう? 氷太朗もこの考え方、真似して良いわよ。別に特許とってるわけじゃないし」
「うん。取り入れてみるよ」
「ニヒヒッ、頑張れ。――で、次はどこ行く? 笑劇小屋で決まり?」
「うん。決まりで」

 再度箸を持った氷太朗は蕎麦を啜る。
 汁まで飲み干した二人はバイクに跨り、町の南側にある笑劇小屋に向かった。
 不幸な事に、今日の演目は欠伸が出るくらいつまらなく――二人は開幕一〇分で寝た。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み