第5話 もう一つの顔

文字数 4,147文字

 行政を司る常夜維持管理行政事務所と警務を司る常夜治安維持司法事務局は、ツクヨ祭りの半年前から会議に会議を重ね、神籠が巡るルートを決める。ルートは町を一周するというものなのだが、ただ単純に大通りを線で結ぶだけというワケにはいかない――行列と神籠が通れるくらいの車幅があり、尚且つ警備が容易であり、去年のツクヨ祭りで巡行していないルートを探らなければならない。この作業は容易ではなく、会議は毎度難航する。
 ルートが決まれば、次は予算を確保し、警備体制を検討し、神様を運ぶ神籠を作り、月夜神社を飾り付ける。
 大忙しなのは神社の人間だけではない。市民も大変だ。自身の家や店の前を巡回ルートとして定めてもらうために各自治体がアピール合戦を始め、ルートが決まれば、神様の眼に触れても恥ずかしくないように徹底的に掃除をする。中にはお祓いをする家庭もあるのだとか。
 そんなツクヨ祭も、始まってしまえばあっと言う間に終わってしまう。
 激動の祭が終わった後に待ち受けるのは、後巡祭(コウジュンサイ)である。
 これは市民から寄付して貰った『おかず』を肴に、月夜菊須神(ツクヨキクスノカミ)が割った樽酒を官民みんなで飲む。『祭』と銘打ってはいるが、要するに打ち上げである。
 形式上、月夜菊須神(ツクヨキクスノカミ)と一緒に酒の席を囲むという事になっているが――勿論、神様と民が並んで座るわけではない。人々は各々好きな場所で好きな面子で輪になって宴会を楽しむ一方で、月夜菊須神(ツクヨキクスノカミ)は神社の会場の上座にある四方を(すだれ)で囲まれた『(カゴ)』の中で過ごす。理由は特にない。強いて言うなら、それが伝統だからだ。
 美夜が第九十九代月夜菊須神(ツクヨキクスノカミ)に就いてから、早四年。
 ツクヨ祭りも四回目。
 本祭は楽しめるようになってきた。籠の中とは言え、町を巡るのは楽しい。
 だが、後巡祭(コウジュンサイ)は、輪の中にいるのに疎外感を感じるから未だに慣れない。さっさと終わってくれ、とさえ思う。

「はぁ……」

 月夜神社の本殿裏の控室に辿り着くなり、美夜は着物を脱ぎ棄て、溜息を一つついた。肌着姿でボーっと突っ立っている所を神社の誰かに見られたら叱られるだろう。「神様の自覚を」と口うるさく言われるに決まっている。
 だが、色々と気怠くなった美夜は、とうとう肌着のまま畳の上に寝そべってしまった。

「はぁ……」

 そして、溜息をもう一つ。
 憂鬱なのは、後巡祭(コウジュンサイ)だけが原因ではない――

「可哀想な酒月美夜……」

 美夜は自虐的にフッと笑う。
 と、襖がドンドンと揺れた。風が吹き荒れているのではない。誰かがノックしているのだ。
 戻ってくるのが遅いから神社のスタッフが様子を見に来たと思った美夜は慌てて立ち上がり、「もうすぐ行きます!」と返した。
 それを無視して、襖は開かれる。
 開いたのは、太三郎であった。

「姫様、ちょいと良いか?」
「訊く前に開けてんじゃん。うわっ、酒臭っ……。もう始めてんの?」

 美夜は怪訝な表情で大げさに鼻を摘まむ。「私無しでも始まるなら、私無しで進めてくれていいよ」

「馬鹿言え。前夜祭で呑んだ酒の臭いじゃ」
「意味わかんないんですけど……。え? もしかして昨日の夜からずっと飲んでんの?」
「まぁそれは置いておいて――」
「置いとかないでよ……」
「お主に客人じゃ」

 美夜を無視して太三郎は進めると――襖の裏から、見慣れない、それでいて心の底から会いたかった少年が現れた。
 坂之上氷太朗だ。

「ひょ、氷太朗くん⁉」

 ここに絶対に居るはずの彼が目の前にいる――その事実にこれ以上なく動揺していると、氷太朗が顔を手で隠した。

「え? なんで顔を隠すの?」
「いや、だって、ほら……酒月さんの恰好が……」
「あ!」

 自分が肌着姿であること、更には下着をつけていないことに気が付いた美夜は慌てて着物の袖を通すと、帯を巻き、文字通り取り繕った。「ごめん、完全に油断してた……」

「いいよいいよ。僕もお邪魔してごめん」言って、氷太朗は手を下ろす。

 思いがけない邂逅に、言葉が出ない二人。お互い、言いたい事が無いわけではない――寧ろ、数えきれない程、ある。なのに、言葉が出ない。
 暫く続く見つめ合い。
 その末に声を発したのは、美夜であった。

「本当に……氷太朗くんなの?」
「うん。坂之上氷太朗だよ」
「どうして、ここに?」
「僕もわからない……わからないんだ。気が付いたらこの世界に居たんだ……」
「そうなんだ……」
「僕も訊きたいんだけど――本当に酒月さん?」
「うーん……」

 美夜は即答出来なかった。

「私は『酒月美夜』だけど、氷太朗くんが知ってる『酒月美夜』じゃないよ」
「どういうこと?」

 氷太朗は問うと、美夜は太三郎を見た。許可を求めるように――すぐに察した太三郎はコクリと頷き、許しを出した。

「常夜の事は、どのくらい知ってる?」
「常に夜の世界だという事、あの世と性質が似ているという事、そのせいで霊がよく迷い込むという事……くらいかな」
「じゃあ、成り立ちは知らないんだね」
「あ、それも聞いた。月夜菊須神(ツクヨキクスノカミ)と四人の賢者が妖怪の避難所としてこの世界を創ったって事だけだけど」
「大雑把に言うと、その通りだよ。初代『月夜菊須神(ツクヨキクスノカミ)』と四人の賢者が結界を発動させてこの世界を創ったの。平安時代に、ね。その結界を盃月結界(サカヅキケッカイ)って言うんだけど――盃月結界は一度発動したら永久に持続するモノじゃなくて、結界の内外から常に妖力を供給し続けないといけないモノなの。昔は、酒月家の本家の長女が『月夜菊須神(ツクヨキクスノカミ)』となり内側から供給し、酒月家の分家の長男が『蔵主(クラヌシ)』として外側から供給してたんだけど――今は分家が滅んじゃって、蔵主の担い手がいないの。居ないじゃ済まされないから誰か代役を立てないといけないんだけど、だからと言って本家も私と妹の美夕しか居ない――考えた結果、酒月美夜を二人に別けて、結界の内側と外側に置いたの」
「別けた……⁉ そんな事が可能なの……⁉」
「うん。影を切り離して、その影に色々細工をすれば可能だよ」
「それって……」

 そこまで聞けば、誰でも彼女の正体はわかるだろう。
 そう、目の前の少女は酒月美夜であって酒月美夜ではない――

「まさか……!」
「そ。私は酒月美夜の影です」

 美夜は両手でピースサインをする。
 それも、笑顔で。
 対して氷太朗は、巨大な衝撃と合点に混乱していた。

「だから酒月さんは影が無かったのか……!」
「そ。私が影だからね。ちなみに、私にも影はないよ。影に影は出来ないでしょ?」
「そうなんだ……。ちなみに酒月さんから彼女から笑顔が消えたのも、それが理由?」
「うん。影を切り離す時にミスって、『表情』も私が持ってきちゃったのからあの子は表情を持ってないの」
「ミスってって……」

 まるで教科書を家に忘れてきたかのように言う。
 氷太朗はそんな軽い事物のようには聞こえない――常夜を作った事も、盃月結界も、月夜菊須神(ツクヨキクスノカミ)も、酒月美夜を二人で分けた事も――今彼女の口から語られたその全てが、とんでもない規模の事のように思える。
 なのに、美夜は軽い口調で、軽い表情で、軽く語る。
 それは強がりか。
 はたまた、本当に強いからか。
 氷太朗にはわからない。

「今の氷太朗くんはたぶん、生霊だね」
「え? あ、うん」

 氷太朗は美夜の言葉で我に返った。「他の人もそう言われました」

「現世で何かに憑かれて魂を引っぺがされちゃったのかな?」
「たぶんそうだと思う……」
「じゃあアッチの美夜に肉体を探して貰おっか」
「僕に手を貸したら法律違反になるんじゃなかったの? いや、それ以前に、現世と連絡がとれるの?」
「私とアッチの美夜とは十分に一回記憶を同期させるから、状況把握と意思疎通はすぐに出来るよ。法律に関しても、常夜の法律が適応されるのは常夜の市民だけで、管理者たる酒月家の人間は例外だから大丈夫だよ。ただ……」
「ただ?」
「氷太朗くんには常夜を出たタイミングで、常夜の事を口外出来ない呪いをかけさせて貰うよ。現世の人間にここがバレると拙いから――呪いと言っても、秘密保持契約みたいなモンだよ」
「全然いいよ! 口外する気さらさら無いし!」
「じゃあ決まり」
「ありがとう、酒月さん!」
「――話は済んだようじゃな」

 沈黙を保っていた太三郎は腕組みを下ろすと、美夜と氷太朗の間に入った。「そろそろ時間じゃ。姫様、後巡祭(コウジュンサイ)の準備にかかっとくれ」

「あ、そうだった。ごめんごめん。――私、これから後巡祭(コウジュンサイ)があるから、これで失礼するね。終わったら、もう少し詳しく話そっか」
「う、うん」

 氷太朗は点頭すると、部屋を静かに出た。続いて太三郎も出て、静かに襖を閉める。
 廊下は驚くくらい冷え切っていた。その冷たさを足の裏で感じながら、氷太朗はいつの間にか額に浮かんでいた汗を拭った。

「脳の処理が追い付いていないって感じじゃな」太三郎は言った。
「は、はい」
「無理もない。文字通り神の領域の話じゃ、並みの人間には理解できないじゃろう」
「……酒月さんは何年前から別れて影を切り離して常夜を管理しているんですか?」
「彼奴の祖母にあたる先代が他界してすぐじゃから――四年前からじゃな」
「四年前って……その時、酒月さんはまだ一三歳ですよね? どうして一三歳の子がそんな大任を……?」
「後継者問題になった時、真っ先に彼奴の父君の名が挙がった。じゃが奴は妖力がまるで無くてのう――ちょっとした結界なら張れるが、常夜規模となると五分も持つかどうか。母君も同様じゃ。妹御は才能と妖力はピカイチじゃが、いかんせん幼くてのう――で、消去法で美夜が選ばれたんじゃ」
「そうだったんですか……」

 気付かなかった。
 同じ中学校を卒業したのに。
 同じ高校を通っているのに。
 毎日横顔を見ていたのに。
 美夜がそのような大任を背負っているなんて、少しも気付かなかった。

「気付けなくて当然じゃ。彼奴は苦労を誰にも語らん。苦しそうな顔もせんしのう――察する事なぞ、誰にも出来んわい」
「それでも……」
「それよりも――」

 太三郎は、知らぬ間に俯いてしまっていた氷太朗の頭の上に手を乗せて言った。「腹は減らんか?」

「え? ああ、はい。そう言えば……お腹空きました」
「生霊は死霊と違って腹が減るもんじゃ。どうせこっちに来て飲まず食わずなんじゃろ? 折角じゃ。飲んで行け」
「だから未成年ですってば」
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