3 リテラシーと教育

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3 リテラシーと教育
 パスタのゆで方を知らなくても、カルボナーラを味わい、それを評価することはできるけれども、レシピを学んでいれば、その批評の質は高まる。

 最近、諸領域におけるリテラシー能力の質的向上が教育の課題と見なされている。リテラシーの学習には、すでに言及した通り、組織的・体系的教育が不可欠であり、その充実度合いは各国の教育政策がダイレクトに反映する。

 OECDは、3年に一度、国際的な生徒の学習到達度調査、すなわちPISA(Programme for International Student Assessment)を実施している。国際比較により教育方法を改善し、標準化する観点から、生徒の成績を研究することを目的としている。オーストリア教育研究所を中心とした国際コンソーシアムが実施し、加盟国の多くで義務教育の修了段階にある15歳の生徒を対象に、読解力・数学的リテラシー・科学的リテラシー・問題解決を調査する。このプログラムは、何をどれだけ習得したかではなく、知識・技能を活用できる力を評価するため、問題解決やコミュニケーション能力などを重視している。調査プログラムの開発が一九九七年に始まり、第一回調査が2000年に行われたが、教育の優秀性を誇りにしてきたドイツが平均を下回るなどその結果は世界に衝撃を与える。

 PISAはリテラシーを評価するが、それを上達させる決まった教材や道筋はない。そのため、階段を登るような学習法や習熟度別に分ける個別指導は向かない。ランキングの上位国の制度を見ると、複式学級や協同学習を採用しているという興味深い共通点が見られる。

 リテラシーについての教育は、しばしば、誤解されている。コンピューター・・リテラシー教育と言うとき、その活用に重点が置かれている場合が少なくない。コンピューターが社会的インフラとして一家に一台のように身近になった今、程度に応じて、その利用方法を習得する必要がある。さまざまな職種でコンピューターを利用する場面が増え、学校教育で取り入れるべきである。こういう意見を耳にする。しかし、リテラシー教育において重要なのは批評的認識の育成である。メディアを自由に使いこなせることが目的ではないし、たんに「習うより慣れろ」を実感する場でもない。それは表層的な「読む(Read)」ではなく、潜んでいる意味を「読みとる(Grasp)」姿勢である。

 アメリカで、テレビが家庭に入り始めた1950年代から、NIE(Newspaper In Education)の活動が始まる。これは家庭や学校現場、社会での教育に新聞を活用しようという運動である。1930年代に『ニューヨーク・タイムズ』紙が提唱し、1955年にアイオワ州で実施されたのをきっかけとして全米に波及している。現在では、ヨーロッパやアジア、オセアニアなど32ヵ国がNIEを行っている。新聞各紙も教室で活用可能な紙面をつくったり、子供新聞を支援したりするなど多様な活動を展開している。

 1980年代後半から、各国でメディア・リテラシーを学校教育に取り入れる動きが現われ始める。中でも、カナダや英国、オーストラリアの政府は、それをカリキュラムに指定している。イギリスでは、英語の教科にメディア・リテラシーの学習を設け、英国映画協会が教材開発や教員トレーニングなどで全面的に協力している。また、カナダの小学校での同様の教科が「読む」・「書く」・「口頭と映像によるコミュニケーション」の三要素から構成されており、メディア・リテラシー教育が義務づけられている。

 英語圏でメディア・リテラシー教育が盛んになったのには、米国メディアの影響力という事情がある。カナダ人の約九割がアメリカ合衆国との国境から300km以内に居住しているため、米国の商業主義や価値観に立脚したテレビ番組が容易に視聴でき、それを相対化できる批判的姿勢の育成が不可欠である。こうした状況により、カナダは、現在、最も先進的なメディア・リテラシー教育を行っている。

 いずれの国においてもメディア・リテラシー教育では、生徒たちがビデオなどを自分たちで制作するミメーシスを通じて、テーマの選択・企画・取材・撮影・編集・演出といった行為を体験できるようにしている。その際、作り手には、いわゆる「絵になる」カットを選んだり、番組の結論に近いコメントだけを取り出したりする傾向があることも体感できる。制作者サイドの意識や技法を垣間見ることで、今後の生徒たちの視聴がより批評的になることが期待できる。作り手を正当化するためではなく、あくまでも作成の過程を顕在化させ、それを批判的に考察するのが目的である。

 ジョン・デューイのプラグマティズムから影響を受けた進歩主義教育は体験学習を取り入れていたが、これをたんなる生徒の内的動機づけを目的にしていたと考えるべきではない。むしろ、リテラシーへの視点を促す教育である。それにはミメーシスの体験を通じるのが際的である。

 こうしたリテラシー教育は生徒個々人だけでは不可能であり、協同作業をとらなければならない。それは協同学習の場である。異質で多様な人とのコミュニケーションをとり、コンビネーションをうまく図る必要がある。しかも、現代社会は変化が劇的であり、その都度、直面する道徳的ジレンマの意味を読み解き、生きていかざるを得ない。それには、その意味を理解し、ネットワークを利用して、構築するというリテラシーとコミュニケーションが不可欠かつ不可分である。公共性・公益性はこうしたリテラシーとコミュニケーションの相互作用によって成立・変容する。リテラシー教育は共生を体験する機能も果たしている。

 メディア・リテラシーの普及は市民メディア(Citizen Media)の発達も後押ししている。一般市民がインターネットやけーブル・テレビ、ミニFM局といったメディアを通じて、大学や学校、サークル、商店街、在留外国人、障害者、地域のNPOなどを拠点にしたメディアによる表現活動が盛んになっている。マスメディアが扱わないローカル、エスニック、マイノリティもしくは専門的な話題や情報を伝えるオルタナティヴな場である。

 リテラシーをめぐる教育は何もメディアに限定されはしない。NHKのBS1で二〇〇七年三月六日放映された『<欧米の教育現場から>イギリス 感情をどうコントロールするか』は、表情の読みとり能力が他者とのコミュニケーションに重要な影響をもたらすことを伝えている。ハーバード大学において、ある女性の写真を見せて、その表情の意味を読みとるテストを行った際に、周りと軋轢を起こす人ほどそれを読み間違える傾向があると公表している。

 さらに、エミリー大学では、周囲とよく衝突する未成年はニュートラルと思われる表情までも敵対的と読み、相手につっかかるが、それをとがめられても、自己防衛を理由にして反省しないという調査結果を発表している。こうした心理学の研究は、表情のリテラシーが十分に備わっていないと、良好なコミュニケーションがままならないことを明らかにしている。そのため、NHK教育テレビには、表情のリテラシーを扱う『みてハッスル きいてハッスル』という番組が放送されている。

 このドキュメンタリー番組の原題はイギリスのチャンネル4(Channel 4)が二〇〇一年に制作した”EQ & The Emotional Curriculum”である。脳科学者たちは、現代の教育はIQとして計測される学力をつかさどる新皮質ばかりに働きかけ、EQにかかわる旧皮質の訓練が省みられていないため、「怒り」をコントロールできない子供が増えていると指摘している。

 EQは”Emotional Intelligence Quotient”の略で、「こころの知能指数」とも翻訳される。たんなる短期的な知識の習得能力ではなく、複合的・コンビネーション的な知能の能力、もしくは社会的な知能を示す指数である。感情的にならずに、行動できる能力と言ってもいい。1995年、ダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman)が著わした『EQ こころの知能指数(Emotional Intelligence)』の世界的なベストセラーにより、一般にも知られるようになっている。EQは幼いうちからトレーニングすればするほど高められ、対他的・社会的コミュニケーション能力の向上につながる。番組では、EQ教育を3ヵ月間実施したイギリス中部のアナンデイル小学校の様子を中心にして、60年代から行われてきた種々の心理テストの結果なども紹介されている。

 このように、リテラシーはたんなる読み書きの能力でもなければ、暗記したことを思い出して答案を生める能力でもない。事象から意味をどれだけ読みとることができるかという本質的な認識力にほかならない。現代社会において、自律的に思考し、他者とのコミュニケーションを行うためにリテラシー教育は必須である。
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