4 リテラシーとリテラシー。スタディーズ

文字数 3,940文字

4 リテラシーとリテラシー・スタディーズ
 日本は、先進諸国では稀有であるが、本人訴訟が認められている。けれども、裁判所は弁論主義の立場をとっているため、訴状のリテラシーがわからなければ、その権利を行使できない。それを学ぶには、まずは、入門書を開き、手本を真似てみることだろう。ミメーシスはリテラシー習得の第一歩である。

 マンガのリテラシーによる批評を展開している夏目房之介は、『マンガはなぜ面白いか』において、それをミメーシスから始めたと次のように述べている。

 私が描線について拘るのは、自分もマンガを描いていて重要だと思われる描線について、既成のマンガ批評が何も語っていないという欲求不満からきているところがあります。ただ描線について語ると口ではいっても、それを言葉にするのは大変難しいことです。私自身はそこのところを、マンガを模写して、線をなぞったときに受けるイメージを言葉にすることで何とか乗り越えようとしてきました。
 これは、じつはそれほど特異な手法ではなく、たとえば昔は絵の練習といえば先生の絵をマネすることから始めましたし、書もそうでした。先人の名筆をマネして書く「臨書」という方法があります。そうやって勘所をつかみ、徐々に自分のものにしてゆくわけです。みなさんも教室で退屈な授業の最中などに、よくマンガの模写をして遊んだと思いますが、そういうイタズラの中にマンガの描線を語るきっかけがあるわけです。
 きちんとペンで模写してみると、その作家が何を感じてこの線を描いたのか、どこで苦労して線を描いているかが直観的にわかります。この方法はたしかに直観的にすぎるきらいはありますが、批評の方法としては、それほど変わったものではないと思っています。
 私も子供の頃からマンガをマネして描いているうちに、マンガがもっている文法のようなもの、様々な約束事をおぼえ、誰に習ったわけでもなくマンガを描くようになりました。いま、私がマンガを批評する作業は、いわば自分でマネしながら習いおぼえたマンガの表現のしくみを、逆にさかのぼって解いてゆく作業だといってもいいのです。

 リテラシーは習得してしばらく経つと、往々にして、その過程を忘れてしまう。リテラシーを誰かに伝えようとするときに、それを意識する。リテラシーはミメーシスによる過程の想起とコミュニケーションにおいて見出される。リテラシーから考察するには、「自分でマネしながら習いおぼえた」その「しくみを、逆にさかのぼって解いてゆく作業」が欠かせない。

 コミュニケーションなど共通理解が図られるときには、ルールが生まれる。その意味が読みとられ、活用法が模索されて、リテラシーが生じる。こうしたリテラシーに着目する批評を「リテラシー・スタディーズ(Literacy Studies)」と呼ぶことにしよう。それはリテラシーに焦点を合わせる以上、ルールがあるものすべてに、すなわち政治・経済・軍事・宗教・文化のいずれにも用いることができる。人文科学・社会科学・自然科学といった学問諸領域のみならず、芸術、料理、マンガ、スポーツ、格闘技、ゲーム、服飾、化粧、園芸、飼育、表情、しぐさ、運転、犯罪などありとあらゆる人工的・自然的・社会的事象を取り扱う。

 とは言うものの、新しい批評というわけではなく、既存の批評理論や学問研究、実践の成果に則っている。リテラシーに注目するのは、それにより広義のコミュニケーション全般を扱うことができるからである。コミュニケーションが真の主眼である。リテラシー・スタディーズはあくまでも批評であって、謎解きではない。

 リテラシー・スタディーズを試みる際には、そのメディアが何を扱っていないのかも問う必要がある。それはメディアの特性上の困難さに起因するのではなく、「資金のスポンサー」などのように、触れることがそこでタブーだというのが真相の場合も少なくない。渡部直巳は,『不敬文学論序説』において、日本の文学が天皇を主題とすることに消極的で、まるで共和国であるかの錯覚をしてしまうほどだと批判している。こうしたアンタッチャブルは、概して、そのメディアや立脚する社会にとって大きな問題であり、それを究明していくと、そこの体質もしくは土壌が顕在化してくる。この立ちのぼってくる生臭さを忌避しない態度なくして、リテラシー・スタディーズは批評たり得ない。

 ベルトルト・ブレヒトは演技における「社会的動作」を強調している。それは個人が他者との関係の上で用いる動作や行動、しぐさ、表情、用語、イ ントネーションの総体であり、その人のパーソナリティや社会的地位を表象する。これもリテラシーのもたらす現象である。水道事業者には水道事業者のリテラシーがあり、小学校の事務職員には小学校の事務職員のリテラシーがあり、神経内科医には神経内科医のリテラシーがあり、ごみ収集者にはごみ収集者のリテラシーがある。

 職業に限ったことではない。聴覚障害者には聴覚障害者のリテラシーがあり、同性愛者には同性愛者のリテラシーがあり、在日カンボジア難民には在日カンボジア難民のリテラシーがある。行政訴訟には行政訴訟のリテラシーがあり、フェア・トレードにはフェア・トレードのリテラシーがあり、労働運動には労働運動のリテラシーがある。リテラシーを知らなければ、効果的な実践ができないだけでなく、それに参加することも認められない場合さえある。マスターしている者には、意識していようがいまいが、リテラシーを通じて認識する固有の世界ないし「認知地図」がある。

 自動車販売の営業と中華レストランのコック、シュー・フィッター、国際線の客室乗務員、シーア派ムスリム、緑内障患者とでは、リテラシーが違う以上、見える世界が異なる。それは一つの世界が多様に見えるのではなく、各々が世界だという存在論だ。リテラシーを学ぶ意義はメディアに騙されない防衛策だけではない。そもそも、アドルフ・ヒトラーは、『わが闘争』の中で、いかにして熱狂する世論をつくりあげるかを詳細に明かしている。たんにノウハウを知っただけでは、ナチズムの権力掌握をとめる動機にはなっていない。専門的なリテラシーの視点から読解し、本質的で固有な議論につなげていくためでもある。

 映画監督の小栗康平は、夏目房之介の作品同様、リテラシー・スタディーズの手引書とも言うべき『映画を見る眼』の「はじめに」において、次のように述べている。

 人がなにかを伝えるためには、相互に共通する規範、約束事がなければなりません。「ことば」でいうところの文法が、これにあたるでしょう。夢が心理学の対象として解釈されることはありますが、そこから夢の文法が導き出されてくるわけではありません。
 映画はどうでしょうか。自分が感動した映画のよさを人に伝えるのも、やはり容易そではないように思います。ストーリーはこうだった、俳優はこうだった、画面がいい、リズムがいい、音楽がと、いろいろいいつのりますが、どこかで本当に自分が感じたままのことがいえていない、そんな思いを残してはいないでしょうか。
 これも映画の規範にかかわる問題です。映画は夢とは違ってたくさんの人たちと見るものですから、そこにはわかりあうための、なんらかの約束事があるはずです。映像衣現としての固有の技法も明らかにあるのですが、なにせ相手が映像です。言葉ではありません。いい映画ほど夢によく似てもいるのですから、やっかいです。
 私は映画にも、作り手それぞれの文体があると思っています。文体とは、文字のスタイル、語彙・語法・修辞など、いかにもその作者らしい文章表現上の特色をさす、と辞書にはあります。映画の文体はどのように形成されるものでしょうか。
 映像のリテラシー、読み書きの能力とはなにか、を考えることにもなるでしょう。文学には小説もあれば詩もあります。小説の書かれ方もさまさまです。映画や映像の表現も一律ではありません。もう少しそこを丁吟に読み解いてみよう、というのが本書の主旨です。

 映画には映画の言語がある。しかし、そのネイティヴ・スピーカーは存在しない。外国語として体系的・組織的に学ばなければならない。映画語にも、サイレント映画の古典語、アナログ技術時代の近代語、デジタル技術の現代語がある。さらに、世界各地の映画の傾向による方言がある。他にも、ドキュメンタリー語、アニメーソン語、テレビ語など隣接していたり、関連していたりする言語もある。こうした言語のリテラシーを十分に学んでこそ、本質的な批評を行うことができる。

 俳優は脚本を与えられると、それを熟読し、担当する役に関する演技の基本方針を決める。その際、役を自分に近づけるか、自分を役に近づけるかという二つのアプローチをとり得る。前者が古典的な「芸」とすれば、後者は近代的な「演技」と呼ぶこともできよう。両者は、スタニフスラフスキー・システムに従った訓練を受けていたとしても、たいてい、混じり合い、その配分は俳優の資質や志向が羽意去れている。いずれにせよ、役柄の持っている固有のリテラシーを理解していなければ、演じる資格はない。

 また、媒体のリテラシーが異なるために、それがセリフ劇なのか、ミュージカル劇なのか、映画なのか、テレビ・ドラマなのかを考慮して、演じなければならない。脚本自体にも言えることではあるけれども、リテラシーを無視して、自分のスタイルを貫こうとすれば、見るに耐えないものに終わってしまう。いずれにせよ、役者は脚本をたんに読むだけでは不十分であり、それが指し示している意味を読みとる能力が必要とされる。
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