19

文字数 2,160文字


 土地勘のないところで、何のアタリがあるわけじゃない。
 とりあえず駅の方へと歩きしな、目に付いた団地の方に宏枝を引っ張っていった。
 たぶん在るだろうと思っていた児童向けの遊び場には、都合よく人影がなかった。
 木陰になっている側に見つけた木製のベンチに、とりあえず宏枝を座らせた。
 宏枝は、ゆっくりと面を上げて良樹を見上げる。
 慎重な面差しで黙ったままの良樹に、宏枝は不思議な表情の目を向け、そっと言った。
「あの……。さっきは、ごめんなさい……。嫌な想い、させちゃって……」

「いや…──」
 良樹は、それよりもどう切り出したものかと考えていて、まずはベンチ脇に立つ木まで身体を移した。
 いま彼女の隣に腰を下ろすには、その距離感に自信が持てなかったから。
 それでそこで腕組みして、もたれるように木に身を預けて、自分の気持ちを落ち着かせる。
 少し時間が経ち、彼女を含めた空気が落ち着いてきたように感じられ、初夏の団地の音が耳に心地よく入ってくる。
 宏枝の方を向いた。
 ずっとこっちを向いていてくれている彼女に、良樹は心の中で深呼吸をして、静かに口を開く──。

「あのさ……」
 どう切り出したものか、もう一度考える。
 結局上手くまとまらない……。

 ──話しながら考えるしかないか。
 そう心を決めると、良樹は次の言葉を探しながら、ゆっくりと話し出した。


「おれも一人親──母子家庭なんだ」
 数メートル先で彼女の気配が揺れるのを感じる。
 ──優しい戸惑いと、再びささくれ立つ警戒の色……。
「だから中里の気持ちが解るとか、一緒に泣いてあげられるなんて、そんなふうには思ってない。そんなことが、人の心に土足で踏み込む資格になんてならないってこと、解ってる……つもりなんだ」
 彼女の視線を感じる。
「だからこれはさ……おれの話を、ただ中里に聞いて欲しくて、話する……」
 昼下がりの団地からは、夏のはじまりの生活音しか聞こえてこない。彼女の声のないことを肯定と解釈して続ける。


「新生児の取り違え、って解るかな? 病院でさ、生れたばかりの赤ん坊が、何かの間違いで入れ替わっちゃう、そんな事故──おれ、それだったらしい……」
 良樹にとって、これを他人に話すのは初めてだった。
 聞き手の方は良樹を向いて、ただ声を失っている。
「血液検査で、絶対に生まれない組み合わせでさ……。男親の方がね、病院に確認したんだ──」
 〝親父〟という呼び方は、やっぱり出来なかった。
「けどさ……、その病院からは……ま、そういうことじゃなきゃ困るんだろうけど、病院で取り違えなんて起こるはずない、の一点張りで……。そこでやめときゃよかったんだろけど──知りたかったのかな……食い下がって、言われた──オフクロが浮気したんじゃないか、って……」
 宏枝が小さく息を呑む。

「結局、それで両親は離婚した」 良樹はここで少し言葉を切った。
「──そうなっちゃうとさ、親戚からいろいろ言われるんだ……。オマエが生まれてきたから両親は離婚になったとか、やっぱり他所の子だから顔が似てない、とか……」
 脳裏に、いくつかの過去が甦る。
 良樹は案外と冷静に思い出せるもんだと、自分でも意外に思った。
「でも、オフクロはおれを育ててくれた。本当に辛かったのは、オフクロだったと、いま思うんだけどね」
 ベンチの方に顔を向けて宏枝をみた。彼女の真摯な瞳が、小さく揺れている。
 良樹はいま自分がどんな表情でいるか、知りたくないと思った。

「で、さ……そんなわけで……。おれもあんまり、上手く笑えない」
「…………」
 宏枝が、小さく身を固くする。

 それから少し、二人は黙って、やがて硬さの残る静かな声で宏枝が訊いた。
「わたしも同じ……?」
 その表情が、揺れている。


 ああ、ごめん。結局土足で踏み込んじまったか……。
 キミを責めてるように聞こえたなら、そうじゃない。そんな資格なんて誰にもない……。

 良樹は視線を避けるようにいったん下ろした。
 我ながら、話の持って行き方が上手くないと思う。
 それでも、この想いは伝えたいと思う。
 だから、何とか伝わるよう、話を組み立て直す──


「おれ、クラスのヤツにこう言われたことがある」 須藤亜希子の真顔が浮かぶ。「自分を出さない、何考えてるのかわからないヤツだって」
 去年の秋だったか、下校の途中で自転車のチェーンが外れて困っている須藤を見かけ、チェーンを掛け直してやったことがあった。その時、お礼の言葉と一緒に、そんな人物評をもらった。わりとショックだったのを覚えてる。
「でさ、そういうのはよくないし、勿体ないって、そう言われた」
 そんなことを云った須藤の目が、真っ直ぐで、羨ましく思ったのも覚えてる。

 おれも、須藤みたいに上手く云えんもんかな……。
 自分のコミュニケーション能力がもどかしい。

「中里はさ、とてもいい笑い方ができると思うよ」
 結局、直球勝負を選んだ。だから、顔を上げて彼女の方を向く。
「少なくともおれは、お母さんに会うまでの中里の笑顔、好きだと思った。あんなふうに笑えたらって、そう思って、一緒に歩いてた」
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