第2話

文字数 1,170文字

 どすん、と鳩尾(みぞおち)に重い衝撃を感じて私は目を覚ました。
 カーテンの隙間からうっすらと光が差し込んでいる。
(寝過ごした!)
 反射的に飛び起きて、休日だったことを思い出す。
 枕元の時計を見ると6時50分。二度寝はもうできそうにない。溜息をつきベッドから下りようとすると、人の声がした。
「ようやっと起きたか」
 部屋の真ん中に、一人の少年が座っている。
「いつもの時刻に来ぬから何かあったかと」
 ――この子は、あの祠の前にいた……。
 驚きすぎて声が出ないことって本当にあるんだな、とどこか醒めた頭で思う。
 そこにいる彼は、一言で言うと『落ち武者』だった。幼さの残る顔にざんばら髪。赤い服と見えたのは鎧に編み込まれた糸の色だった。
 鎧といっても戦国武将のような派手さはない。簡素で実用的に見えた。傷だらけであちこちに黒い染みがにじみ、ひどくみすぼらしい。しかし粗末なものではないことは私にも分かった。生前は若君などと呼ばれる身分だったのかもしれない。
 若武者は現代アパートの一室に堂々とあぐらをかいて座っている。朝という時間帯のせいか、それとも溜まりに溜まった疲れのせいか、恐怖は感じなかった。ただ呆然としていた。 
 私は人ではないモノにあいさつをしてしまったのだ。幽霊に会ったのは初めてだけれど、きっと面倒なことになるんだろうな、と。

「女、頼みがあるのだ」
 若武者が言う。
 ほらきた。
 若い娘の部屋に不法侵入しておいて頼み事とは。それにすね当てのついた靴。泥だらけですよ。土足で他家に上がり込むとはどういう了見(りょうけん)ですか、無作法な。武士の風上にもおけません。
 そう言い返したいところだが、相手はやんごとない若君(推定)。しかも霊。ヘタに機嫌を損ねて(たた)られたりでもしたら厄介だ。とりあえず着替えだけさせていただき、ご用の向きをうかがうことにした。

「わしの名は佐伯四郎公隆(きみたか)。さるお方にお仕えする武士であった」
 彼はそう名乗った。
 もともと土地の者ではない。先の合戦の際に主君の姫君を連れて落ち延び、命を落としたのがここだったのだという。
「幸いにも姫はこの地の分限者(ぶげんしゃ)に救われ、丁重にもてなされた」
 例の祠はその分限者とやらが若君の魂を慰めるために建てたもので、彼はそこに宿り、姫君を見守ってきたのだそうだ。
「ところがここ最近、姫の姿が見えぬのだ」
 当たり前だろう。武士が活躍した時代は遠い昔のことだ。しかし彼は納得しない。
「そんなことはない。姫は毎朝わしに会いに来てくれた」
 私は祠に供えられた花を思い出した。
 そうだ。あの祠はきちんと管理されている。毎日花を供える人がいるのだ。その人を差し置いて、なぜ赤の他人の私に頼むのか。
「不本意なことに、わしに気づいたのがお前だけだったのでな」
 不本意なのはこちらだ。
()く、姫を探してくれ」
 貴重な休日が飛んでいった。
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