第1話

文字数 968文字

 四月。ほろほろと桜の散る午前6時30分。
 私は両手にずっしり重いゴミ袋をぶら下げてアパートを出た。
 2階から1階へ。まだ慣れないパンプスでよたよたと階段を降りる。

 社会人一年目、夢の一人暮らしは甘くはなかった。小さな事業所はずっと人手不足だったらしく、新人研修などというのんきな制度はなかった。お尻にカラをつけたようなひよっこにも仕事はたんまり回ってくる。朝は早出、夜は残業。部屋はいつまで経っても片付かない。
 でもでも、今日は木曜日だから。今日と明日を乗り切ったら、土日は休める。来週はマシになるはずだと、ベテランパートのおばさまも言っていたじゃないか。
 アパート専用のゴミ置き場、物置きの扉を開けると、中はすでに他の住民のゴミ袋でいっぱいだった。誰も彼も事情は同じようだ。
「どっせーい」
気合いを入れて山のてっぺんに袋を4つ放り上げ、きっちりと扉を閉める。
そのとき、ふと隣の空き地が視界に入った。

 もとは一軒家だったのか、それとも畑か。今まで気にするゆとりもなかったけれど、住宅街の一画にあって、そこだけがぽっかりと取り残されたように放置され、草が茂っている。
 そこに人影があった。
 少女だろうか。長い黒髪を背中に垂らした小柄な後ろ姿が見える。草むらに向かい、道路の端にしゃがみこんでいる。
(何をしているんだろう)
 気にはなったが、こちらは急ぐ身だ。
「おはようございます」
と、形だけのあいさつをして、相手の反応を待たずにそのまま小走りに駅の方へと向かった。

 帰宅時に何となくそのあたりを見ると、緑の草の中に小さな石の(ほこら)があって、花が供えられていた。街灯の光に照らされた花は新しく、生き生きとしている。
あれは、ここのお世話をする人だったのだなと私は納得した。

 翌朝もその人はそこにいた。
 寝起きなのか、長い髪がもっさりとふくらんで赤っぽい服の上にかかっている。
「おはようございます」
 こちらを振り返ろうとしたのか、乱れた髪から白い頬が見えた。少年のようだった。
(中学生、それとも高校生かな)
 通りすがりに行き会っただけの人はすぐに私の頭の中から消えた。一日中息を吐く暇もなく働いて、泥のように疲れた私は、夜10時過ぎに帰宅するとそそくさとシャワーを浴びてそれこそ泥のように眠った。
 明日は土曜日。とことん朝寝坊を決め込むつもりだった。
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