第6話 着物③ 腹の内と腹の虫
文字数 1,180文字
ヒコさんが頬杖をしながらこちらをみる。
置いてあると、言い終える前に、ヒコさんは、
と、足早に食堂を出て行った。
ヒコさんはすぐに戻ってきた。
ヒコさんはこちらの同意も得ずに食堂に置いたつづらをひっくり返している。
無精者の言い訳をのたまいながら、そういえば、今日はめずらしくヒコさんも縞模様を着ているな、とツネは思った。でも、太縞なのがヒコさんらしい、とも。
ヒコさんが差し出したのは、紺地に丸模様の描かれた浴衣だった。
俺にはお洒落すぎると、正直に言うと、
ちょいと着てみねぇと、ヒコは半ば強引に、ツネの部屋にやってきていた。
仕方なしに、ヒコは上がり框に腰かけて、開いた障子戸から表を眺めることにした。
曇っていた空から青空がのぞくと、いよいよ夏の日差しが照り付け始める。
ヒコは襟元の汗をてぬぐいで拭いていたが、紫陽花を食堂に置いたままだったことに気づいた。
言いながら振り返ったヒコととっさに振り向いたツネの目が合ったとき、お互いに「しまった」と思ったのだろうと、お互いの目が言っているのが見てとれた。
肌襦袢を着ようとしていたツネはふんどししか身に着けておらず、前かがみになっていたため、尻を突き出す格好のままこちらをふり向いていた。
静かに背中を向けたヒコだが、しっかりと目に焼き付けてしまった後だった。
ヒコと目が合ってしまった以上、誤魔化しようがない状況に、こっそり見られていた方がよっぽどましだったと、ツネは肌襦袢を着ながら思っていた。
食堂で紫陽花が長持ちするように枝先を切る。
ヒコは、我ながらやりすぎたと反省していた。
ツネが初心なのは重々承知の上だったのに。
だから言わねぇでいようと思っていたのに……。
ツネが酒に酔ってあんな真似するとは思ってもみなかった。
あの顔でほだされねえでいられるわけがねえ。俺だって男だぜぇ、好いって顔されたら乗っちまうに決まってる。
それでもツネにはまだ早えと思った。
知らねえことが多すぎると。
だから、
ちょっとずつでいいと、思った。
酔った勢いなら、その方がいいとも思った。
なのに。
重いため息とともにヒコは紫陽花を水飲みに生けて、共同の食卓に飾った。
蝉時雨のなか、長屋の部屋にいるツネと食堂のヒコ、ふたりの腹の虫が鳴った。
(着物 了)