第3話 あれの感想②
文字数 1,407文字
ツネが尋ねると、ヒコはいたずらっぽい笑みで返した。
ツネが俯いて小さく言う。
煙草の煙が右往左往する。
むくれた声でツネが言う。
にやけ顔のヒコである。
勢い、捨て台詞が口から出た。
顔を覗き込まれてしまう。
本音はいつだって、ぽろりと出るものだ。
願ってもねぇことだなあと、
往来をゆったりと見ながらヒコは言った。
ここ二月ほど、朝昼夜と時間は違えどほとんど毎日のようにヒコはツネの部屋にやって来るが、縁側で煙草を吸うか、昼寝をするか、ツネの本をパラりとめくるだけ。それだけだ。
話はするが、触れたりなんてことは、まったくもってしてこない。
いちど、酔った勢いで唇を重ねた
あの日以来、ずっとだ。
時間があれば昼下がりに茶店に来てコーヒーを飲む。そこで話すこととて、依然と大差がない。
ヒコは、「ゆっくりじっくり楽しみたい」と言った。
ツネは首を傾げるばかりだった。
たまに言葉遊びのようなやりとりをしては、気がある気配だけを残しておしまい。
(願ってもないって、どうしてそうなるんだ。これじゃあまるで与謝野晶子じゃないか。)
道中、ツネの胸中はもやもやと梅雨空に似て覚束なかった。
本屋に寄って、いくつか本を見繕い、帰路につく。
ヒコがめずらしく本を手にしていた。
ヒコの手には幼子が手にするような絵本が収まっている。
ヒコが表紙を見せてくる。青い表紙の真ん中に鬼が描かれていた。
長屋に戻ると、ヒコが絵本を差し出した。ツネに持っていてほしいという。
いつでも読みにいけるだろ、と言った。
土間でヒコがツネを見下ろす。キレイな琥珀色の瞳が、ツネを覗き込む。
左手を掴まれている。知らず、体に力が入ってしまう。
抑えた声で、ヒコが言う。
お前さんと死ぬまでいっしょにいてえと思ってる。腰の曲がった爺さんになっても、お前さんの部屋の縁側で煙草を吸っていてえ。
お前さんが他の男や女にうつつを抜かしたって、構やしねえ。嫉妬なんざしてやれねえ。もう決めちまってるからなあ。
俺のこの一生は、ツネにやっちまおうって。だからな、急がば回れなんだ。お前さんが焦っているのは知ってる。けどなあ
ヒコの言葉は、とろりと甘くやさしく美しい蜜となって、喉の奥の奥まで流れ込んでくるようだった。
いま、俺がお前さんを抱いたら、お前さん、正気じゃいられなくなっちまうだろうからなあ。
色白の長い指が、ツネの顎をなぞる。
こくこくとツネはうなづいたが、頭も気持ちも、まったく追いついていなかった。
兵児帯を揺らしてヒコは自分の部屋へと戻って行った。
とすん、と軽い音がして、ツネは上がり框に腰を下ろしたが、進んでそうしたわけではない。
うつむくと、途方に暮れたような、困ったような鬼と目が合った。
ツネは、今の自分は、この鬼と同じ顔をしているに違いないと思った。