第2話 あれの感想①

文字数 1,338文字

そこは、かつて日本という国にあった江戸によく似ているのだけれど、すこし違う世界。


そんな世界の片隅で、本が好きな男と、その男が好きな男がつむぐ物語。

本がぱたりと閉じられる。
うすい

微かなつぶやきと共に男の脇に

積みあがったそれに重ねられる。


反対側から本が引き抜かれる。


よわい

読まれた本が、別の本の束に紛れる。

また別の重なりの中から、本が減る。


ぬるい

閉じられ、積まれる。

本を引き抜き、開く。


まじめ

閉じて、重なる。

手に取り、開かれる。

男の独り言は続いた。


「マイルド」

「おいしい」

「う~ん、うん」


くくくく……
午後二時を回ったころ、日差しが強く照り付ける長屋の縁側で煙草を吸いながら、ヒコはたまらず笑い声を漏らした。
本を読むという単調な動作の繰り返しの中、男の発する言葉だけが違っていることが可笑しくて堪らないのだ。
長屋の四畳半に入りきらないほどの読み本が床から積み上げてある。


その幾本もの塔たちの中で、ヒコの笑い声にも気づかずに部屋の主は本に目を落としていた。

う~ん……

しばらくして、男はおかしな抑揚の声とともに本を閉じると、そのまま傍らにある塔の上に重ねた。


どうやら読み終わったらしいとみた

ヒコは、男が次の本に手をのばす前に声をかけることにした。


ツネ
ぅん?

呼ばれた部屋の主は、

くるりと振り返る。


長い前髪の合間から

きちんと目が合う。


それは、ヒコにはとても嬉しいことだった。
今日は暑くて仕方ねぇや。

茶ァ、しばきに行こうぜ

ヒコは結んだ襟足を手で撥ねて、もう片方の手にある煙草を灰皿に押し付けながら言った。煙草の煙がふわりと部屋に流れ込む。
うん

たしかに今日は暑い。ツネは自分のこめかみを汗が伝っていることに気づいた。


今日のヒコは白地に波模様の浴衣を着て、紺の兵児帯を結んでいる。


いつも縞模様の自分とは大違いだと、ツネは身支度をしながらヒコをちらりと盗み見た。


茶店でコーヒーを飲みながら

文明の利器に涼んでいると、

ヒコが口を開いた。

お前(めぇ)さん、

さっきのあれはなんでぇ?

あれ?
何のことだろうかといぶかっている

ツネに、ヒコが笑いかける。

うすいだのよわいだのおいしいだの、本を見ながら言っていたじゃねぇか
……あ~……
なんでぇ、覚えてねぇのかい?
いや、覚えてるけど
けど?
口に出していると思わなかったと呟いたツネに、ヒコはなんでぇそりゃあと、笑いながら煙草に燐寸をすり付けた。
読んだ感想??
当然の反応をしていると、ツネは思った。だが事実、感想なのである。本を読むと、面白い、だけではない感想がさまざまにツネの中に沸き起こる。それを一言で表すとそういうことになるのだ、とツネは言った。
へ~、そういうもんかい
さして本を読まないヒコには、

いまひとつわからなかったが、ツネのことで新しい発見があるのは面白いことだった。

感想っていやぁ、

あれはどうだった?

店の灰皿に煙草の灰を

トンと、落とす。

あれ?
きょとんとするツネにヒコが声は出さずに笑いながら、人差し指を己の下唇に当てた。
あ、れ
あ……
赤面するツネを見つめるヒコの目は、やさしさに満ちている。
い、よかった、よ?
なんでぇ、そりゃあ
煙草の煙を吐き出しながら、ふふ、とヒコが笑った。




(後編へつづく)

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ツネ。本が好きで、三日に一度、本を買っている。長屋暮らし。部屋の中はいつも本でいっぱい。

ヒコ。ツネと同じ長屋に暮らす。いつも洒落た着物を着ている。

おきよさん。長屋の大家。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色