第3話

文字数 1,190文字

 浴場は混んでいなかったのにドライヤー周りだけ人が多いなんて。太陽さんと約束してた時間ギリギリになってしまった。お風呂上がりに汗かきたくないのに! 歩いてる人たちをごぼう抜きして先ほど解散した場所まで戻ると、太陽さんの周りには人が居た。

「2人は変わらないね」
「太陽くんこの後何してる?」
「久々会ったし、飲みに行こうよ」

 ……見間違いでなければ、高校と大学が一緒だった友人2人。あの頃から変わっていないキャピキャピ具合。昔は一緒に居たけれど、今の私にあんな元気ないな。太陽さんの名前を知ってるから知り合いなのかな。何も悪いことはしていないけれど、なんとなく観葉植物の陰に隠れる。

「太陽くんやっぱりかっこいいよ」
「モテてたもんね!」
「そんなことないからー」

 楽しそうに話している3人。視界に入れたくない。太陽さんやっぱりモテてたんだ。行く時、慣れてないなんて言ってたの、嘘じゃん。あの2人と上手にトークしてるじゃん。自分の靴をガン見する女に徹する。もう、1人で帰ろうかな。でも、あそこ通らないと帰れない。覚悟決めて通るか。深呼吸しなきゃ。手の震えが止まらない。……怖くない、怖くない。

「来てたんだ! ごめんごめん!!」

 急に誰かに抱きしめられる。見なくてもわかる。電車で嗅いだ、太陽さんの香り。背中をさすってもらえるだけで安心して涙が出そうになる。息が深く吸えた。

「また予定合わせてみんなで飲みに行こうね! 桜ちゃん、行こ」
「は、はい」
「えっ!? 桜!?」

 太陽くんは子犬のようにキャンキャン騒ぐ後ろの2人をガン無視して私の手を引っ張ってホテルを出た。その後も、ずっとずっと無言で駅までスタスタと歩いた。その間に、乱れた呼吸は整えて、目に少したまっていた涙も乾いた。手が解放された瞬間、私の方を見て、深々と頭を下げられた。
 
「ごめんね、嫌じゃ無かった?」
「はい、びっくりはしましたけど」
「あの2人、大学のゼミとサークルで一緒だったんだけど、当時から男遊び酷くてさ。どうやってまこうかなって思ったら、アレしか思いつかなくて」
「知り合いだったんですね」

 ……あれ、大学が一緒って言った? 私、太陽さんと同じ大学? でも、太陽って名前、聞いたことない。頼りない私の記憶の引き出しを頑張ってすべて開けてみたけれど、まったく心当たりがない。

「桜ちゃんは明治から昭和あたりの近代文学系ゼミだったよね。俺、現代文学系」
「私たち、知り合いですか?」
「俺が一方的に知ってただけかな。ちなみに、クラスは違ったけど高校も一緒だよ」
「ごめんなさい、全然覚えてなくて。人の顔と名前、覚えるの得意じゃなくて」
「いいよいいよ、こっちこそなんか騙してたみたいでごめんね。あの銭湯、小さな頃から家族で行ってて常連なのは事実だから。藤さんが証人ね」

 笑いながら頭を掻く太陽さん。この人、なんで私なんかナンパしたんだろう。
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