文字数 7,541文字

 今朝、発ったばかりなのよ、と。
 呆れ顔で嘆息した血妹に、アルストン子爵テーオドリヒ・ロタール・ツヴァイクは、にやりと唇の端を引き上げた。少々癖のあるブルネットと、魅力的なはしばみの瞳をした伊達男は、そんな表情をしても様になる。
 今回、血母(ムッター)は折角の機会に見聞を広げようと、一般的な手段で移動しているようだ。川が走っていれば蒸気船で幾らか楽に移動できたのだが、残念ながらグレシャムからシャーウッドへは陸路しかない。
 途中、サリスベリーも通過することから、開き直って王都へも立ち寄る算段らしい。国内の大きな都市へは、鉄道が通っているのだ。
 どうやら、暫く世界図書館(ゲシヒテ)へ引き蘢っていたため、少々世事に疎くなってしまったと、この遠征で思い知ったようである。久し振りに外へ出てみれば思った以上に文明は発展しており、特にシャフツベリはその最先端だったのだ。それらを眺めやり、知的好奇心が刺激されたらしい。
 恐らく今夜も、何処ぞの程度のいい宿で、道中に入手した書籍でものんびりと捲っているのだろう。一人、世界図書館から連れて出た血子(ゲフォルゲ)は社交的な女なので、不自由もしていないはずだ。
「ま、内緒話をするにはいいだろう? 我らが血母殿は耳聡いからな」
「それはそうだけど」
 軽く肩を竦めてみせ、彼女は手ずから紅茶を淹れて差し出した。
 グレシャム伯爵領都ルウェリンの代官屋敷は、慎ましい造りながらも全てが端正な館だ。そこに住まうのは必要最低限の人数ながら、少しの齟齬もなく日々の営みが完璧に運営されている。
 館の主人であるルウェリン子爵ヴェロニカ・ブランシュ・メルテザッカーは、白金の髪と翠の瞳が魅力的な麗人ながら、その経営手腕には一目置かれている才媛だ。しかしその実態は、かなり重篤な血弟執着者(ブラコン)である。
 そもそも彼女が宗教戦争へ介入し、こうして爵位まで賜って領地(シノン)運営している理由というのも、未だに一人も血族(ファミーリエ)を持とうとしない可愛い血末弟(まってい)が、進んで身を投じたからだというのだから、末期にも程があった。
 そこは、テーオドリヒも似たような理由なのだが、彼の場合は利害が一致したうえに、今後を考えての選択だったため、あまり彼女と一緒にされたくないと思っていたりする。
 とはいえ、彼自身も見込みのある血末弟を可愛がっているのは間違いない。でなければ、彼の最愛から多くを受け継いだ愛息子を預けるものか。それに、あの子をただの猟人(ヴァッフェ)として扱わないアルノルトの手腕に、見どころがあると思っているのも確かである。
 まぁいいわ、と気を取り直した風情で、ヴェロニカは繊細なカップを手に、彼らの間で続く定期連絡を始めた。
「このところ、夜の住人(シュライヒャー)の発生は聞かないわね。まさか、逸れ者全てを狩り尽くしたとも思えないんだけど……。そっちは?」
「こちらの伝手も、それに関しては何も言ってきてないな。ただ、当たり年らしい」
 軽く眉を持ち上げて、ヴェロニカは僅かに身を乗り出す。
「今年は当たり年というのは、間違いないみたいね。ブーヴァン・シーが出現したようよ。シャフツベリで仕留められたそうだけど」
「例の氏族長(チーフテン)かい?」
「いえ、件の魔術士殿」
 ほう、と軽く眉を持ち上げて、テーオドリヒは香りの良い紅茶を楽しむ。
 彼女の屋敷を訪れて、酒類が振る舞われたことはない。ただ、紅茶を始めとした嗜好品を当人が好むだけあって、ヴェロニカの腕前は高いのだ。競えるのは、シャフツベリ氏族(クラン)のあの氏族長補くらいだろう。
「国内で最初に確認されたのは、プリジェンだったそうよ。拡がらなくて幸いね。あれらが騒ぐと、吸血鬼(ヴァンピーア)への風当たりが酷くなるから」
「その辺りは仕方がないさ。しかし、仕事が早いな。噂通りの御仁というわけか。宗教戦争の折にこの地へ訪れてくれていたら、少しは楽が出来ただろうに」
「どうかしら。シャフツベリ卿が言うには、トリアといい勝負らしいから」
 逆に苦労させられたかもしれないと考えているらしいヴェロニカに笑って、テーオドリヒは茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせる。
「それはそれ、楽しませてもらえそうじゃぁないか」
「そう言えるのは、あなただけだと思うわよ」
 呆れ顔で応じて、ヴェロニカは訝しく首を傾げた。
「あなた、魔術士殿に関して、何も情報を持ってないの? 珍しいわね」
「いや、彼に関しては守りが固すぎるんだ。なかなか抜けなくてね」
 一見無防備だというのに、少しもその実態を窺い知ることが出来ないのだ。要因は様々だが、特にシャフツベリ氏族ががっちりと固めていて、精々一般に流布する程度の情報しか得られない。
「どうやら、フェイムがきっちり守っているらしい。魔術士殿は確か、彼の師だったか。どんな人物か知れるようだ」
「それは、不可能ということじゃないのかしら。そもそも、シャフツベリ氏族自体が隠密活動に異様に強いわよね」
「その辺りは、氏族長の手腕だろう。あれはなかなか底が知れない。流石、シャフツベリ卿が背を任せる強者だ」
 薮は突つかず、静観した方が利口というものだろう。
 何処か戯けて肩を竦めてみせるテーオドリヒに、ヴェロニカも同感だと言わんばかりの表情を浮かべた。
 ただでさえ黒竜という後ろ楯がいる。彼は元々、吸血鬼に思うところがあったようだし、おまけに彼らの血末弟の親しい友人だ。あまり事は構えたくないし、なるべく友好関係を結んでおきたい。
「それで? あなたの懸念の方はどうなのかしら」
「……少し、気になることがあってな」
 一変して厳しい顔をするテーオドリヒに、彼女も何かを感じ取ったらしい。無言で促されて、彼は一つ嘆息した。
「ナックラヴィーの発生を報せてきた男との連絡が途絶えた」
「……あなたの血族じゃないのよね?」
十五番目(エッケハルト)の血族だな。私の駒には違いない」
 その男は少し前、気になることを言っていたのだ。自分の血親(エルターン)の様子がおかしいのだと。彼も漠然とした印象で言っていたようで、原因も解らず困惑していたふうだったという。
「あなたの手先だと知られて、処分されたんじゃないの」
「それはないさ。そんなこと、エッケハルトは百も承知だったはずだから。……あれは、私の古い友でね」
 何処にでもいる平凡な男は血族と成ることを望んだが、テーオドリヒはそれを拒否した。彼自身が、男を大切な友人だと思っていたからだ。何を好き好んで、自分の配下にせねばならないのだ、と。
 何より彼は、人間という種を愛しているのだ。己の掌から零れ落ちてしまった全てが愛おしく、もう叶わぬモノを抱える彼らを、何より美しいと思っている。だから最愛も看取ったし、幾人も友を得ては見送ってきた。
 それを知っていたからこそ、男は傍にありたいのだと願い、血弟が「本当に望むのなら」と手を差し出したのである。己の配下でないなら許容できるだろう、相手の意志も尊重すべきだと諭されて、テーオドリヒも説得を諦めた。
 以来、男が間に入り血弟とのやり取りが続いてるのである。ウェルテへ根付いてからは近隣の海沿いの国へ腰を据え、そこから諸々情報の交換を行っていた。こんなふうに、全くの音信不通になったのは、初めてのことだ。
「最後の便りに、不審な女が一人うろついていると書いてきていた。あるいは」
「それが猟人だった可能性があると?」
 大昔なら兎も角、と軽く眉根を寄せて、ヴェロニカは思案げな様子を見せる。
 曾て、逸れ者が跋扈した時代に猟人は数多く生まれた。その頃は吸血鬼に対する憎悪も深く、無差別に狩られたのだ。
 その中に古い血(ゲシュペンスト)が混ざって引っ掻き回していた、悪夢の時代である。
「うちから幾らか偵察に出してるが、何がどう転ぶかわからん。心構えだけはしておいてくれないか」
「わかった。血母へ報せないのは、何故?」
 訝しく尋ねるヴェロニカへ皮肉げに笑い、テーオドリヒは軽く肩を竦めてみせた。
「あれだけ無自覚に残酷な小娘に、万事任せて無事に済むと思うのか?」
「……そうね、わたしが悪かったわ。悪意の全くない悪夢だものね」
 とびきり極上な悪夢は、甘く無邪気そうにしているものだ。血母はそういうモノだとテーオドリヒは思っているし、不用意なことをしなければ、あれは甘い一面だけをふわふわと見せてくれる。そうであるならば、害となることはない。気付かなければ甘美な夢の中、あれに心酔していられるのだろう。
 しかし、誰もがそれを望んでいるとは限らないのだ。
 ヴェロニカがこうしてテーオドリヒ側にいるのは、彼女自身もその悪夢から醒めてしまった結果だ。少なくとも彼らは、それを望んではいなかった。でなければ彼らが置かれた現状は、地獄に相違ない。
 だからこそ、古い血が生み出されたのだ。己の存在に絶望し、彼女へ縋って逃げ出してしまった、あの悲劇が。
 それを知るからこそ彼らは、血末弟が自らこの悪夢へ飛び込んでくるのを、何としてでも止めたかった。その願いは虚しくも叶わず、しかし自ら決めて成った血末弟は、誰よりも巧く血母をあしらうことができる。
 それだけの才覚と覚悟を抱えて、彼は決めたのだろう。
 あれは、七番目に生まれた子供だという。古くから魔だとされる七番目は、淘汰される存在だ。ならば始めから作らねばいいものを、と思うのだが、仕方がない側面もあるのだ。乳幼児の死亡率は、古い時代であるほど高い。種族として生き残るためには、出生率をあげるしかないのだから。
 それに、確かに七番目は、何かしらの異能を抱えて生まれてくる。本来、魔素に馴染まない人間の中に、異分子が紛れ込むのだ。突出した才能は紙一重である。己にとって有益でなければ、ヒトビトはそれらを魔だと断罪する。曾ては、そういうものだった。
 それがただの迷信となったのは、世界が近代化してからのこと。
 世界から魔術が消え失せて、彼らの中から脅威が消えたのだろう。おまけに医療技術の向上が、若年の死亡率を引き下げた。多産である必要はなくなって、七番目の子供たちは皆無となったのである。
 しかし、やはり七番目はだだのヒトではないのだ。それは、胎を痛めて生んだわけでなくとも変わらない。
「雪が降るまで、あなたの所にいるのよね。その間は、大人しくしているの?」
「仕方あるまい」
 軽く肩を竦めて紅茶を飲み干す。彼は初期の七血子(ななし)中、唯一の生存者だ。その分、血母の寵愛も深い。
 その反省を踏まえて補充された次の七血子は、どれも血母の忠実なる下僕である。あれらは世界図書館に詰めており、その血族は血母の手足として、世界中へ散っていた。自由意志で外へ出ているのは、第三期の七血子である。
 彼らは、未だに潜伏を続けている遺物たちへ、目を光らせる役目を負っているのだ。その母数は未だに判然としない。
「冬中居座られる、アルントの方が大変そうだがね」
「しわ寄せを被る、ナッシュが可哀想よねぇ」
 もう一杯いかが、とポットを示されてお代わりを貰う。
「血母殿の相手をするよりましさ。それより、そのナッシュから聞いたんだが」
 アルントが春の茶会に出るらしいぞ、と。真顔で告げた途端、ヴェロニカはぎらりと目を輝かせた。
「本当なの?」
「オードリーも呼びつけられたらしいから、土壇場で翻すこともないだろう」
「大変だわ! 最高のドレスを仕立てさせなくちゃ!」
 慌ただしく立ち上がり退場していったヴェロニカを苦笑で見送って、扉の横で恐縮したように頭を下げる彼女の従者(ヴァレット)へ「気にするな」とばかりに軽く手を振ってみせる。
 あの様子では、暴走の末に揃いでアルノルトの礼服も仕立てさせようとしそうだ。伴侶も持たない長命種にほぼ牛耳られたウェルテの伝統として、社交期(シーズン)への参加に異性同伴が必須ということはないが、愛娘を招集したのなら間違いなく、彼女をエスコートして登場するだろうに。
 ゆったりと紅茶を楽しみ、席を立って従者へ軽く手を振ったテーオドリヒは、踵を返した途端に室内の暗がりへ飲み込まれた。
 瞬きの間にアルストンの代官屋敷へ帰還すると、配下が執務室の片隅へ控えており敬礼する。まだ偵察隊は戻らぬという報告に頷いて、彼は自室へ引き上げた。
 その偵察隊から不吉な報告が齎されたのは、翌早朝のこととなる。

  ◇◆◇

 びしゃびしゃと溢れるように滴るどす黒いものに、彼女は見向きもしなかった。それを少し離れたところから眺めて、あぁもったいない、とぽつりと思う。
 そのさまは、本当に汚らしかった。衣服や足許を盛大に汚し、ぎらぎらと血走った目や振り乱された髪は、彼女が高貴な血筋の淑女(レディ)であるということを忘れさせてしまう。もし彼女の婚約者とやらが目にしたら、百年の恋も冷めるというものだ。
 先程から、浴びるように貪っているのは、肌に塗れば効果が上がるとでも思っているからか。そんなこと一言も言っていないのに、思い込みというのは恐ろしいものだ。
 吸血鬼の血は、甘美だという。
 一人の恐るべき化物が誕生して以降、ひっそりと囁かれてきた話だ。あまいあまい毒を口にすれば、枯れぬ美貌と朽ちぬ肢体が手に入る。それを信じて、吸血鬼を吸い殺した女は数知れず。望み通り、永遠を手に入れた者は皆無だ。
 何故なら、血は与えられねばならない。奪ったものでは馴染まないのだ。それを知らぬから、愚かな者が後を絶たない。
 お客様、と感情のこもらない声で呼び掛けるが、どうやら夢中のようで返事もない。やれやれ、と内心嘆息して、ぐるりと辺りを見回した。
 あまく、腐れたにおいが立ち篭めている。
 馴染んだ臭いを吸い込んで、改めて冷めた眼差しを彼女へ向けた。固い床へ拡がる無惨な光景。力なく投げ出された四肢は青白く、這い蹲って必死に血を啜る女の姿は、何処か滑稽に映る。
 女は、老いを恐れた。
 己には何もないのだと絶望していたから。あるのは尊い血筋と、蹴落とすべき競走相手よりも美しい容貌と、若さ。ただの政略結婚に、甘い夢を見てしまった女の末路だ。
 歳が離れていたのもある。幼い頃からの憧れが、そのまま恋へと置き換わった悲劇だ。どれだけ当人が夢中であろうとも、同じだけの心が返ってくることはないのだと、女は間もなく諦めた。同じく輿入れを狙う狡猾な女どもに勝てるものなぞ、あるはずもない。
 だからこそ若く美しい己に執着し、齎された怪しげな話に、少しも疑うことなく食い付いたのだ。これまでの女たちと同じように。
 古い血という前例があるだけに、誰もそれを不審に思わず、縋って破滅していくのだ。こんな商売が成り立つのも道理である。
 そろそろか、と呟いた時、びくりと彼女は大きく仰け反った。苦しげな悲鳴が細い喉から迸り、酷く掻きむしられたそれは、あっという間に血塗れになる。今回もやはり駄目。どうせ目隠しだから問題はないけれど。
 どしゃりと濡れた音がして、それは呆気無く倒れ臥した。
 これでまた一人、愚かな女の滑稽な語りが追加されるだろう。古い血が討伐されてしまったため、これからは少しだけ、愚かな女の数が増える。あれは悪評を気にしなかったから、隠れ蓑には丁度良かったのに。
 吸血鬼を喰い殺した女の昔話は有名過ぎて、それが唯一の事例だと思われているのだ。それはどうやら人間たちばかりでなく、当の吸血鬼たちも同様らしい。
 少し考えれば判ることだろうに、誰もそこに至らないのだ。人狼(ライカンスロープ)ですら、下剋上が罷り通る。あれよりも単純な作りをしている吸血鬼で、出来ぬ道理はないだろう。その証左が、あの古い血だというのに。
 あれらは自らを親と称しているから、思いも依らないのかもしれない。しかし、親が平気で子を殺すというのに、子が親を殺さぬ世界が何処にある。
 何より、喰い殺すのなら相手は問わない。血親でなくとも構わないのだ。吸血鬼から受血されれば権利を得る。このことが広く世間に知られなかったのは、かの悪夢の時代の功績と言えよう。
 どうせ相手が血親となりうる二世代目でないのなら、死ぬか夜の住人となるかの二択なのだ。ならば、生き残るために足掻いたって責められるものではない。その結果に得られた副産物には目を瞑ってもらいたいところだ。
 もう一度、ぐるりと辺りを見渡して、痕跡の有無を確認する。ここにいたのは、愚かな女と喰い殺された被害者だけ。吸血鬼に残された傷は、女が噛み付いて崩している。このまま立ち去れば、介入者の存在は知られない。
 無造作に踵を返すと、その姿は夜闇に溶けた。
 本来、吸血鬼に与えられた権能の一つだ。それは初期の第二世代に現れて、しかし二期以降は血母によって剥奪された代物である。
 おそらく、初期第二世代の二の舞いを恐れたのだろう。何故か、血母には欠片も発現しなかった権能だから。人狼のように影さえあれば潜り抜けられるわけではないが、夜闇にあればこれほど便利なものはない。
 夜の眷属の母と嘯いているが、あれには殆ど権能が与えられていないのだ。恐らく、尤も吸血鬼らしい吸血鬼は、初期第二世代の生き残りと、暗躍する者たちだけだろう。だから、あの小娘は酷く警戒している。
 月のない空の下、建物の屋根へ下り立った人影は、適当に歩いて現場から離れると、路地の暗がりへ飛び下りた。
 今回、第二世代を仕留められた。成った者は血親としての権能が与えられる。これが上手く定着してくれたら、もう少し簡単に手駒が増えるだろう。世界図書館は警戒するかもしれないが、第二の古い血を目論んだ愚か者の末路としか見えないはずだ。
 あれらは、暗躍する者たちに気付いていない。
 目隠しのための夜の住人も適度にばらまき、本命は隠している。このまま血母の眷属外の吸血鬼を増やしていけば、彼らの悲願は叶うことだろう。それを、言われるままにこなしていけばいい。
 目指すは血母の消滅と、夜の奪還。夜の眷属を統べていた真祖から全てを奪い去ったあの小娘を、断じて許すわけにはいかないと、彼らは息巻いているのだ。
 まぁ、どうでもいいんだけどね。
 ぽつりと胸中に呟いて、そのまま夜闇に紛れた。このまま国境を越えて、次の場所へ移動しなければならない。人使いの荒さには辟易するが、少しでも悲願に近付いていると思えば文句も言えない。
 こちら側にいるのは、その方が都合が良かったのだ。個人的な怨みを晴らせそうなのが、彼らの側だっただけ。その手段を教えてくれたのが、彼らだっただけだ。
 ほんのりと感じる渇望を堪えて、僅かに眉をひそめる。どうやら、少し長く浸り過ぎたようだ。移動する前に、何処かで食餌をしていかなければ。
 触れぬようにしていれば遠ざけられる渇望も、こう頻繁に接していれば難しい。溺れればあの悪夢の二の舞いだ。
 あの惨劇の被害者としては、それだけは避けねばならない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み