第4話 ゾンビアプリ

文字数 3,871文字

「は、離せっ! 離せよ人殺し!!」

 リリムに掴まれた腕を振りほどこうと暴れるが、どんなに暴れても振りほどけなかった。

「落ち着くのじゃ、常彦よ」
「落ち着けるわけないだろ! 君は人を殺したんだぞ! 何の罪もない赤屍さんを殺したんだぞ! どうして彼女を殺したんだ!!」

 涙を浮かべて問い詰めると、リリムは不思議そうな表情を浮かべた。

「貴様、此奴にいじめられておったんじゃろ? それなのになぜ悲しむのじゃ?」
「人が目の前で殺されたんだぞ!」
「それがなんじゃという? 貴様には関係のないことであろう?」

 僕は彼女の言葉に愕然としていた。
 異世界からやって来た彼女の感覚は、この世界の僕たちとは大きく異なっていた。そもそも彼女は人間ではない。彼女にとって人を殺すことは、僕たちが蚊を殺すことと同じようなものだったのだ。つまり、何も感じない。

「だからって……殺すことないじゃないか」

 確かに、赤屍さんは後藤たちと一緒に僕をいじめていた。しかし、後藤たちがいないときには優しかったんだ。

『いつもごめんね。何度かあんたのいじめをやめるように言ったんだけどさ……あいつ切れたらすぐに暴力振るってくるから――』

 彼女が僕を助けようとしてくれていたことを知っていた。しかし、後藤は恋人の赤屍さんにも容赦がなかった。時々、彼女の顔や身体に痣ができていたことも僕は知っていた。

 何より、僕は彼女のことが好きだったんだ。

「自分をいじめていた相手が好きとか、常彦は本当におかしな奴じゃな」
「あっ! また人の心を読んだな!」
「まー、そう怒るでない。それに、赤屍玲奈じゃったな。此奴もすぐに元に戻すつもりじゃ」
「元に戻す……?」

 言葉の意味が理解できず、僕はリリムに尋ねた。すると、リリムは彼女を配下に加えるためだと言った。

「今の我では貴様が満足するような相手を召喚することは不可能なんじゃ。であるなら、こちらの世界で配下を作る必要がある。しかし、無闇に配下を作ったところで、貴様の好みに合わなければ結局同じことじゃろ? またやりたくないだのと、駄々をこねられても困る。だから、こうしてわざわざ貴様が納得する相手を選んだというわけじゃ」
「いや、でも……赤屍さん死んじゃってるけど?」

 リリムがどうやって赤屍さんを配下にするのかは分からないが、殺してしまっては配下にすることなど不可能だと指摘した。

「問題ない。我はネクロマンサーじゃからな」
「ネクロマンサー!?」

 ネクロマンサーは屍術師のことだ。分類的には黒魔術師の一種として扱われ、ゲームや漫画などでは死体をアンデッドやスケルトンに変えて操ることで知られている。

「いくら赤屍さんの骨でも、僕、屍姦なんてしないからね。リリムのいた世界ではどうかしらないけど、こっちの世界では、そういう行為を鬼畜の所業っていうんだ。僕は非人道的な行いをするつもりはないから!」
「なぜ鬼族が畜生なのじゃ? さっぱり理解できん」
「こっちの世界ではそう言うんだよ!」
「まあ、とにかく黙って見ておれ」

 リリムが手を横に振ると、赤屍さんの死体が黒い輝きに包まれた。床には幾何学模様の魔法陣が浮かび上がっていた。

「امنح هذا الشيء شرارة جديدة للحياة.」

 手をかざしたリリムが何かを唱えると、床に飛び散っていた血液が赤屍さんの体に返っていく。僕の衣服に付いていた血液も、まるで逆再生したかのように赤屍さんの体に吸い込まれた。それと同時に切り離された頭部も、本来のあるべき場所に戻っていた。

「すごい!」

 僕の目の前には、まるで何事もなかったかのように、美しい赤屍さんが横たわっていた。

「うぅ……っん」
「赤屍さん!」

 僕は急いで彼女へと駆け寄った。

「神々廻……? あれ……あたし、なんで……」

 記憶が混乱しているのか、赤屍さんはこめかみを押さえていた。しかし、リリムの姿を目にした瞬間、恐怖が彼女の顔を歪ませた。

「いやあああああああああああっ!?」

 恐怖に顔をゆがめた赤屍さんは、リリムから逃れるように後ずさり、すぐに立ち上がってコンビニから逃げ出そうとしたのだが、

「止まるのじゃ!」

 リリムの大声に驚いたのか、その場でピタリと立ち止まってしまった。まるで金縛りにでも遭ったかのように、彼女は一切動かない。

「こちらに向くのじゃ」
「えっ……何よ、これ!?」

 リリムの指示に素直に従っているように見えた赤屍さんだったが、どこか様子がおかしかった。彼女の表情からは困惑が伺え、自分の意志とは別に体が動いていることに戸惑っていた。

「うむ、どうやら成功のようじゃな」
「あ、あんた……あたしに何をしたのよ!」
「言ったはずじゃ、我の配下になれと」
「は? 配下……? どういう意味よ」
「一度死んだ貴様を我が配下として、ゾンビとして生き返らせてやった。つまり、貴様は我の所有物となったというわけじゃ」
「ふざけんじゃないわよ! 元に戻しなさいよ! つーかあんた何なのよ!」
「我はリリム・アスモデウス。魔王の娘じゃ!」
「……魔王?」

 彼女は口を閉ざし、眉を寄せ、まるで書き手の筆が紙上で踊るように、彼女の表情も文字通りに揺れていた。

「どうやら信じられんようじゃな。では、これならどうじゃ?」

 リリムは手のひらを上に突き出した。その瞬間、一筋の炎が生まれ出た。ファイアボールが彼女の手の中に浮かび上がり、空気が炎の熱さで躍動し、店内の明かりはその輝きに負け、周囲を赤く染め上げた。

「うそ……でしょ」

 どうやら彼女も理解したようだ。リリムがこの世界の人間ではないということを。

「理解が早くて助かるわ。貴様には2つの選択肢が与えられる」
「選択肢……?」
「我の忠実なる配下となるか、それを拒み、朽ち果てることを選ぶかじゃ」
「朽ち果てる……?」
「現在、貴様の肉体は我が魔力によって腐ることはない。ただし、それはあくまで魔力によってコーティングされておるからじゃ。魔力が尽きると肉体の崩壊が始まる」
「は? 何よそれ!」
「肉体の崩壊を防ぐためには、一定量の魔力が必要となる。つまり、消滅したくなければ魔力を補充しなければならん。だが、あいにくこの世界には魔力が存在せん。となると、貴様が魔力を補充するためには、自ら魔力を生み出すことのできる者から、魔力を分けてもらうしかない。つまり、我か、此奴じゃな」

 リリムが僕を指差した。

「えっ、僕!?」
「なんじゃ、もう忘れたか? 貴様の体には魔虫が寄生しておるじゃろ? 魔虫が魔力を生成するということは、宿主である貴様が魔力を得ているということでもある」
「それなら、神々廻から魔力を分けてもらえればいいってことじゃない」
「その通りじゃな」

 安心したのか、赤屍さんはホッと胸をなでおろした。

「ちなみに、こちらの世界に合わせて、魔力残量はスマホのゾンビアプリで見られるようになっておる」
「いつの間にこんなのインストールしたのよ」

 僕は彼女の背後に立ち、アプリを開く赤屍さんのスマホを覗き見ていた。

 魔力残量3%。

「少なっ! 魔力が全然ないじゃない!」
「貴様のスマホと同じ、充電せねば減るのは当然じゃ。ちなみに0%になってもすぐには消滅はせんから安心しろ。ただし、肉体の崩壊が始まるから要注意じゃな」

 リリムを睨みつけた赤屍が、背後に立っていた僕に視線を向けた。

「神々廻、魔力を分けてくれるわよね?」
「もちろんだよ!」
「じゃあ、早速で悪いけど、魔力ちょうだい」
「……」

 と言われても、どうやって赤屍さんに魔力を分けるのかがわからない。そこでリリムに魔力の分け方を尋ねることにした。

「魔力の受け渡し方法は簡単じゃ。魔力を有する者と濃厚接触すれば良いだけじゃからな」
「「!?」」

 ――濃厚接触だと!?

「ちょっと待ちなさいよ! それってどういう意味よ!」
「そのままの意味じや。舌を絡ませるなどの行為は微力の魔力しか得られん。より効率良く魔力を得るには、精液を摂取することじゃな」
「なっ、ななななに言ってんのよ! ふざけんじゃないわよ!」

 激怒する彼女のことなどお構いなしに、リリムは説明を続けた。

「精液は口から摂取するよりも、直接体内に注いだほうが魔力吸収の効率は良い。これは女性の魔力貯蔵が子宮にあるためと言われておる。よって、本来は男性よりも女性の方が魔力総量の絶対値が高いと言われておる。もちろん、例外もある」
「っんなことはどうでもいいのよ! それ以外の方法を教えなさいよ!」
「それ以外となると、我が直接貴様に魔力を分け与えるしかない」
「なら、あんたがあたしに魔力を注ぎなさいよ!」
「だが断る!」
「は? なんでよっ!?」
「我は、貴様と常彦が交尾するところを見たいのじゃ」
「へ、変態じゃない!?」

 赤屍さんは驚きのあまり身を退いていた。

 ――ピッ! ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ!!

「!?」

 突然けたたましい音が店内に鳴り響いた。音は赤屍さんのスマホから響いていた。

「おや? どうやら魔力残量が0%になってしまったようじゃな。個人差はあるが、あと数時間程で貴様の肉体は完全に消滅するじゃろうな」
「嘘でしょ……。――って、何よこれ!?」

 綺麗なネイルを施していたはずの赤屍さんの爪が、黒く変色し始めていた。さらにトレードマークの金髪は色褪せ、あっという間にくすんだ白髪に変わっていくのが見て取れた。

「さあ、選ぶがよい! 神々廻常彦と交尾をするか! そのまま朽ち果てるか!」

 リリムは赤屍さんにとんでもない選択を迫っていた。
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