第2話

文字数 1,475文字

 年々村に降る雨は強くなっていった。ニビたちとの関係は悪化の一途をたどり、不作が続いたせいで村は貧しくなっていた。
 そして俺が十一になった頃、未曾有(みぞう)の大豪雨が村を襲った。
 降っても降っても降り止まない。無数の水の筋に空は覆われ、光が射さなくなった。絶え間なく打ちつける雨音が、耳の奥にこびりついた。
 何日も続く雨に、とうとう家の中の食べ物が尽き、両親は蔵に出かけると言った。蔵には村の食料が備蓄してあるが、坂の上に建っている。降りしきる雨の中、ぐちゃぐちゃにぬかるんだ斜面を進んでいくのは危険があった。
 俺も行こうとしたが、許してはくれない。傷んだ編笠(あみがさ)を被って二人は出ていった。すでに浸水しつつある戸口に目をやり、不安にまみれたまま、今か今かと両親の帰りを待った。
 いきなり、遠くで大きな物音がした。この雨の中で聞こえるのは只事じゃない。狭い家の中をうろうろしていた俺は、咄嗟(とっさ)に外へ出た。
 その瞬間俺の目に飛び込んできたのは、押し寄せる大量の水だった。
 わけもわからず俺は流された。枝だか木くずだかと一緒に、激しく身を揉まれた。自分が上下左右どこを向いているかもわからない。体の自由が利かない。息ができない。まともにもがくこともできなかった。
 背中に強い衝撃があり、俺の動きは止まった。どこかの家にでもぶつかったのかと思ったが、なおも水の塊は通り抜けていく。その中で一呼吸できたのは運がよかった。
 少ししてようやく解放された俺は、地面に転がってむせ返った。どうやら牛小屋に引っかかっていたらしい。全身に力が入らず、そのまま俺は気を失った。

 どれぐらい経った頃か、朦朧(もうろう)とした意識の中で、母さんに呼ばれた気がした。目を覚ますと雨脚(あまあし)は弱まっていて、体のあちこちに痛みが走った。
 なんとか起き上がり、家の方へ向かう。すさまじい水流の後の道は、ぽっかり穴が空いたように何もなくなっていた。柵や看板があった気がするが、元々どうなっていたか思い出せない。
 家の近くには、数人の大人とその傍らに子供がいて、何かを話していた。
「川が氾濫(はんらん)して……」
「鉄砲水が……」
「畑はもう駄目だ」
 断片的に聞こえてくる声は、いずれも深い絶望と悲しみに暮れていた。両親の行方など誰も知っていそうにない。
 蔵へと行こうとした時、俺は目を疑った。土砂で道が塞がっていたのだ。道の上の崖が崩れていて、その近くには編笠が落ちていた。
「母さんっ」
 しかし駆け寄ろうとした俺を、ぐっと引き止める奴がいた。振り向きざまに殴られ、俺は後ろ手に倒れた。
「お前なんてことしてくれんだよ!」
 殴ったのはニビだった。強い怒りと憎しみが宿るその目に、俺は動揺した。
「何を、俺は、早く助けないと」
 土砂の方を見たニビは、なおも激昂した。
「もう死んでるよ、あれじゃ助からねえ」
「ま、だわからない、今すぐどかせばまだ」
 弱々しい俺の声をさえぎってニビが言った。
「うるせえ疫病神(やくびょうがみ)が」
 はっとして俺は周りを見渡した。気がつけば誰も彼も、(さげす)みの視線を俺に注いでいる。子供を自分の後ろに隠して、見せないようにしている親もいた。
 ああ、まただ。
「お前のせいで雨が降った」
「ちがう」
「何人も死んだ。畑も死んだ。何もかもお前のせいだ」
「俺、は」
「出ていけ、この村から出ていけよ」
 喉を枯らしてニビが叫んだ。俺をかばう奴は誰もいない。何も言わず遠巻きに、俺が動くのをただ待っている。
 俺は意思なく立ち上がると、村から離れだした。何度も素足が泥に沈んで、その歩みは重かった。
 ふいに母さんの顔が浮かび、おれは寄る辺を失ったのだと知った。
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