第1話 ニューヨークの守護天使①

文字数 2,201文字

 豪華絢爛。闇夜を照らすようにそびえ立つその金色の建物を一言で表すにはそれに尽きた。アジアのエキゾチックな様式美を持つ一方で、それに憧れる近代の権力者によって建てられたことが感じ取れる嫌味さを兼ね備えた宮殿の中では、優雅な音楽に合わせるように着飾った人々が縦横無尽に往来し、それぞれが目当てのなにかを求め彷徨っている。
 天井には煌びやかなシャンデリアがあり、足下には伝説をかたどったペルシャ絨毯が敷き詰められていた。豪華という名のもとに文化折衷されたある種のいびつさが宴に招かれた客人たちの目を彩っていた。
 その風景を満足そうに眺める男がひとり。その男はイスラム圏の男性が纏うトーブ姿で頭にはターバン巻いていた。口元には蓄えた髭は丁寧に手入れされており不潔な印象はない。ただ、男は恰幅が良く、それは肥え太っていると言っていいほどだった。質素な生き方を好む印象のイスラム教徒にあって、贅沢な暮らしをしているのが容易に想像できる風体であった。
 男の名前はハサナ・ハキーム。イスラム原理主義組織「サクル」の指導者であり、世界的に有名なテロの首謀者であった。
 彼は比較的裕福な家庭で育ち、教育も当然のように受けていた。年を重ねるにつれイスラム教に強く傾倒するようになり、危険な思想を語るモスクへも出入りするようになる。やがて組織へ加わり学歴を買われ幹部候補として扱われるようになると、彼はあることに気がついた。この活動は無駄であると。
 冷戦時代に米ソの代理戦争の駒として扱われ、911からは世界の仇敵とされた。世界をイスラムに改宗させる。それができなければ最終戦争を起こす。馬鹿げている。そんなことは到底不可能だと。
 ならば、己の立場を最大限利用する。組織を有効活用するという答えに行き着いた。彼は秘密裏に様々な国や機関に働きかけ、雇われテロを担うことになる。組織の先人たちには聞こえの良い報告を述べて欺き、組織を盲信する若者には理想論を語りテロに命を捧げさせる。それで得た報酬とその騒動で変動した株の利益は、彼とそれに付き従う一部の者だけが手にした。
 今夜の宴も自分の栄華を祝うためのもの。世界が己の一挙手一投足に従っているのだと、ハキームは静かに悦に浸った。
「おい」とハキームは知った顔の男を呼び止める。男はすぐさま彼の声の届く位置に歩み寄ると、彼の言葉に耳を傾けた。
「あの娘」
 ハキームが指挿した先には、ジャケットを脱いだタキシード姿のウエイトレスが急ぎ足でパーティーの参加者の要望に答えている。
 彼女は長い髪をうしろで束ね、そこから覗く顔は端正に整っていた。
「アメリカ人か?」
 ハキームの問いに男は「恐らく」と返した。男がそう答えたのも無理はなかった。彼女は一見して白人であるとわかるのだが、アジア人との混血を思わせる柔らかさがあった。
「彼女をここへ」
 ハキームが命令すると、男は小さく頷き、すぐにウエイトレスの元へと駆け寄った。ハキームはその様子を眺めながら髭を撫でた。
 ハキームは特に色欲が強く、アメリカ人の女性を好んだ。敵国の女性を屈服させることが目的ではなく、単に彼の好みであった。アメリカ人の女優やモデルのような顔に整ったスタイルの女性を好み、彼女はそれに合致していた。
「何か、不手際がございましたでしょうか」
 男に連れてこられたウエイトレスがハキームを前に緊張した面持ちで口を開いた。
 ハキームが彼女の声を聞きわずかに眉をひそめる。想像よりも声がボーイッシュであったが、気にするほどではないと笑顔になった。その様子にウエイトレスは緊張を深める。まあ、仕方ないとハキームは思った。なぜなら、彼は世界的に顔の知れたテロリストであったから、機嫌を損ねるようなことがあればどのような目に会わされるかと怯えているに違いないと。
「快適だよ。いやあ、君には特別に頼みたいことがあってね」
 ハキームがウエイトレスに歩み寄る。彼女はたじろぎわずかに身を後方によじるが、そこには男が彼女の退路を断つように立ち塞がり、彼女の肩を両手で支えた。
「私に……、ですか?」
 ハキームが手を伸ばせばウエイトレスに届く距離まで進むと彼女の瞳を鋭く見つめた。
「君に、モーニングコーヒーを世話してもらいたくてね」
 それは夜を共にしてほしいという誘いであった。しかし、それを受ける方からすれば、断ることでハキームを怒らせるようなことがあれば、自分はおろか、家族の命まで奪われてしまうのではないかと想像してしまう。ハキームはそんなことに労力を費やすつもりはなかったが、相手が勝手にそう思考することも、そのためにハキームの誘いが断れないということも知っていた。
「それ相応のチップは用意するつもりだよ」
 答えあぐねているウエイトレスにハキームはじりじりと間隔を詰める。
「どうだい?」
 ハキームは最後通告とばかりにウエイトレスに訊いた。彼女は防御するように身を引くが、背後では男が行手を塞いでいる。ウエイトレスはいよいよとなり顔を背けた。
マジ無理(ヘル・ノー)!」
 ウエイトレスの声が宮殿内に響いた。音楽は止み、そこにいるすべての人たちの視線が彼女に集まる。ハキームとウエイトレスのうしろに立つ男が想像もしない彼女の言葉に目を丸くしている。
 ウエイトレスはというと、言ってしまったというように苦笑いを浮かべていたが、その表情には緊張も恐怖もなかった。
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