第3話 二◯◯九年のヤンキース①

文字数 3,916文字

「いやあ、困るよ」
 刑事部のオフィスに隣接する作戦室で、元広域対応局長で現刑事部長兼刑事隊長のバーナード・ベイカーが薄くなった頭を掻きむしっていた。
 広域対応局長であったスティーブ・スミスが市警副本部長へ昇進、スミスに代わり局長に就いたベイカーは、なるべくトラブルを起こさずに次のポストへの昇進を第一に考える保守的な人物であった。そのため、スミスから引き継いだドリームダイバーも、唯一それを扱うことのできるミカも彼にとっては悩みの種であった。
 ネット上にドリームダイバーの存在を公表され、その騒動に追われたときに彼は保身のため知らぬ存ぜぬを通し、それが対応の遅れに繋がり混乱を助長させた。その責を問われた結果、ベイカーは降格となり、刑事部長へと追われ、その折に急遽、刑事隊長から退いたハロルド・ヘイル警部の穴を埋めるべく、刑事隊長を兼任させられることとなってしまった。
「困ってるのはこっちなんですけど」
 元々事務方で責任から逃げだす癖のあるベイカーを良く思っていなかったミカは冷たく言い放つ。その場にいるジーンとエリオットも同様にひとり狼狽するベイカーを冷たい目で見ていた。
「警部、君はもう刑事部の人間じゃない、こんな混乱を招かれても私にはどうしたらいいものか」
 ベイカーは上役への気配りで昇進を掴んでいたが、元来、弁の立つ方ではなかった。ストレートな物言いは、簡潔な報告を求める上役にこそ重宝されたが、部下からは無神経であると滅法嫌われていた。
「あんまりじゃないですか! 警部は殺人鬼たちから狙われてるんですよ! 今すぐに警護をつけてください」
 ミカを見捨てるような発言に、ジーンが勢いよく噛みつく。
「刑事部は君らも知ってのとおり、いつもギリギリの人員で回してる、警部の警護に人員を割く余裕なんて……」
「だったら、私たちに警部を警護させてください」
 いかにも管理職というようなベイカーの言い訳にジーンは食い下がった。
「君たちはアレの関係で、今は広域対応局の特命を受けて刑事部にいるという立場なわけだから、私の一存ではどうにも……」
 ドリームダイバーの所管は広域対応局にあったため、その任にない現在のベイカーには決定権はない。しかし、トラブルを避けたいベイカーが広域対応局にかけ合うつもりもないことに気づいたエリオットがベイカーに詰め寄る。
「パットはどうです。今は分署だし、元々はチームの一員だった」
 以前、ミカの刑事分隊にいて、エリオットの先輩刑事、海兵隊出身の猛者であるパトリック・ポーターの名前をあげた。
「パトリック・ポーター警部補? いやいや、彼はニューヨークシティマラソンの警備主任だからとても……」
「しっかりしてくださいよ!」
 のらりくらりと返事を濁すベイカーにジーンは我慢の限界を迎えた。
「巡査部長、そんないきり立たず、穏やかに話し合おう、穏やかに」
「そんな悠長にしてる場合ですか! 市警本部(ここ)に攻め込まれてるんですよ!」
 ジーンの追撃を苦しそうに顔を歪めて耐えるベイカーにエリオットが続いた。
「まさか、いっそのこと警部がやられちまった方が良いとでも?」
 その言葉にベイカーは慌てて降伏するように両手を身体の前に挙げる。
「滅相もない! そんなことがあったら私のキャリアが……!」
 ふたりの波状攻撃にベイカーはたまらず口から本音がこぼれ出てしまう。それを聞いたふたりは呆れるように顔を歪めた。
「いや、そんなものはどうだっていいんだが。今やマイヤーズ警部はニューヨーク市警の広告塔だ。それをみすみす殺人鬼の好きにさせたとあっては、市民の信頼は失墜する。そんなこと決してあってはならない」
 ミカは「狂った医者(マッド・ドクター)」ことギルバート・ギャレットとの対決に勝利し、それまで行方不明とされていたすべての犠牲者を遺族のもとへ帰した。それにより、「ニューヨークの守護天使」という二つ名とともにミカはさらに有名になっていた。それまで謎であったミカの捜査方法もドリームダイバーの存在が明るみにされたことで、夢に潜入する守護天使という神秘性までも獲得し、かえって市民からの人気は高まった。
 有名になり過ぎたミカを現場に置いておくこともできず、ニューヨーク市警はミカの人気にあやかり、広報担当として総務部へ異動させることにした。
「だが、どうしたらいいものか……」
 ベイカーはジーンとエリオットの鋭い視線をチラチラと伺いながら頭を悩ませていると、何かを閃いたようにはっと顔を上げた。
「そうだ! 名案がある。少し待ってもらえないだろうか」
 ベイカーはふたりの視線をかいくぐるように作戦室のドアへと急いだ。扉を開けて今一度ミカたちの方を向いて何かを口にしようとするが、催促するような目つきのジーンとエリオットを見て、すぐに作戦室をあとにした。

「嘘でしょ」
 目の前に現れたスーツを着たアジア系男性の登場に、ミカは明らかに不服そうな声を上げた。その男性はミカの反応に、顔を背けて小さくため息を吐いた。
 ケン・カミジョウ警部補。ミカと同じ三五歳で、日本の警視庁から異例の編入をした刑事だった。刑事部の刑事分隊長のひとりで、ミカが刑事分隊長の頃、ふたりは折り合いが悪く、ふたりがいがみ合っているのは刑事部にとって日常の風景であった。
「よりによって、なんでミフネなんですか!」
 ミカがケン本人がいるのもお構いなしに、苛立ちをベイカーにぶつける。
「ミフネ」とはケンのあだ名であり、世界で一番有名なサムライ、三船敏郎からきていた。
「警部、いくら命を狙われているからといって、刑事部からぞろぞろと警護をつけるわけにもいかない。それを見る市民も不安を感じるだろうし、第一、君がそれを望まないだろう」
 ベイカーを責任から逃げまわる臆病者と思っていたミカだったが、さすが上級幹部だけあって、なかなか鋭い洞察力だと閉口してしまう。
「カミジョー警部補は刑事部では一番の刑事だ。もちろん、君が抜けてからという意味だが。今は間違いなくカミジョー警部補が一番だ」
 ベイカーはミカとケンの間で忖度を繰り返し右往左往している。
 ミカが刑事分隊長時代、ミカとケンは検挙率ナンバーワンを競うチームのリーダー同士だった。ふたりはそういった地位に興味はなかったが、まわりはふたりについ期待を重ねてしまう。そのせいか、個人の思いとは裏腹に、ふたりはどうしてもお互いの存在を意識しあってしまう。ことあるごとにぶつかるのもそれが原因であった。
「それには、警部も異論はあるまい」
 ミカは観念したように目を硬く閉じた。取り乱すミカと違い、ジーンとエリオットはミカの反応こそ理解できるが、それほど悪くないのではと納得するような顔つきでやり取りを眺めていた。
「警部補、やってくれるかな」
 ベイカーはしかめ面のケンに訊ねる。
任務(タスク)とあれば」
 ケンは自分にも言い聞かせるようにつぶやいた。
「決まりだ!」
 ベイカーは笑顔になると、並んで立つふたりの肩を両手で叩いた。ふたりは高身長であったので、その姿はやや不恰好に見える。ミカとケンはまだ納得がいかないように顔をしかめていた。
「では、日中は常に警部補は警部の警護にあたるように」
「はあ? 冗談でしょ!」
 広報担当であったミカは市警本部の外に出る機会もあり、そういった場面だけの警護だけだと思っていたが、四六時中ケンと一緒に行動しなければならないということに驚きを隠しきれない。ケンも同様に目を丸くしていた。
「巡査部長も言うように、敵は市警本部(ここ)まで攻めてきている。いつ誰に狙われるかわからない以上、常に警護が必要だ。それに、警部補は君の監視役でもある。勝手な行動は謹んでもらうよう、逐一行動は報告してもらう」
 ベイカーは笑顔で穏やかに話していたが、その言葉には若干の鋭さがあった。ミカとケンは唖然とその顔を眺めていた。
「おふたりとも、これは命令だよ」
 ベイカーは変わらず笑顔であったが、目だけは笑っていなかった。するとすぐに「強制はできないんだかね」とハラスメントを恐れ笑顔で取り繕うようにつけ加える。
 突然の成り行きで決まったことに、ミカとケンは困惑しながら顔を見合わせる。ふたりの立ち姿にエリオットが興奮するようにひとつ手を叩いた。
「ニューヨーク市警最強の二人組(バディ)だ! これじゃあまるで、二◯◯九年、ワールドシリーズのジーターとマツイじゃないか!」
 エリオットは二◯◯九年にプロ野球、ワールドシリーズを制したニューヨーク・ヤンキースの「ザ・キャプテン」ことデレク・ジーターと日本から鳴り物入りで入団したワールドシリーズMVP、松井秀喜にふたりを例えた。ジーンもそれに賛同するようにわずかに興奮していた。
「一体、いつの話してるのよ」
 ミカはつい笑顔になり、エリオットに言った。
「マツイ?」
 ケンの一言に、穏やかになりかけた部屋の空気が一気に張りつめる。
「あんた、まさか、日本人のくせに『ゴジラ』を知らないの」
 ミカが恐る恐るケンに訊ねる。ケンは同様に自分を見つめるジーンたちを見回した。
「あの、怪獣の?」
 ケンの言葉にミカとジーン、エリオットは明らかにがっかりした様子でため息をついた。
「呆れた。あんたとうまくやる自信ないわ」
 ミカはそう言い残すと作戦室をあとにする。ジーンも軽蔑するようにケンを見てからミカのあとに続いた。
「小さい頃は勉強漬けだったんだ!」
 ケンは恥ずかしさもあり、慌てて言い訳する。その様子にエリオットがなだめるように笑顔で相槌をうつ。
「本当だ! 今季のヤンキースならベンチだってソラで言える!」
 動揺するケンをエリオットが「まあまあ」と肩をさすった。
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