1話 黒煙

文字数 4,009文字

 満秀(みつほ)は様子を見るために、拓深(たくみ)たちよりも先に進んでいた。警戒していた狼の遠吠えはいつの間にか聞こえなくなった。
 さっきまでは穏やかだった雪がどんどん強くなってくる。足の踏み場を探しながら山を登っていると、白い息が目の前を踊った。

 木や繁みの間を、守夜(もりや)と共に登っていくうちに、ささやかな違和感がある。獣が踏み分けたのとは違う、何か覚えのある感覚だった。
 先へ進もうと木に手をついて、気がついた。木の根元、丸い麻縄と、小さな落とし穴が雪に埋もれている。

「罠か」
 守夜が呼ぶ声がして、そちらに向かうと、肉を巻き付けた短刀が雪の上に置かれている。
 肉を食う獣向けの罠だ。肉はすっかり凍っているが。
「危ないから、食べるなよ」
 守夜の頭を撫でてから、満秀は元来た道を駆けだした。木々の間を軽々と走り、馬を連れた拓深のもとに戻る。

「動物を狩る罠があった、きっとそろそろだ」
「本当に垣離が近くにあるのか」
 拓深は、馬上の鋼牙を見上げる。
 都波が見つけた馬を回収して、結局また鋼牙を連れて、雪の中を歩いている。

「都波が離れると、天候が悪くなるな」
 拓深が思わずのようにつぶやいた。
 満秀は彼らに背を向けて、再び山を登り始める。

 少し進んだ山の尾根の向こう、雪の降る白い景色の中に、黒煙が見えた。
 こんな天候で、山火事とも思えない。誰かが火を焚いている。

 山の中腹、小高く切り立った斜面に、大きな穴があった。
 人が何人か通り抜けられるような大きさだ。崩れないように、木枠が門のように支えている。
 垣離の里だ。本当に――ほんとうに、あったのか。

 満秀は駆け寄り、垣離の里の人たちに危険を告げようとした。ここは神喰に知られている、危険だ、と。
 けれど、何か様子がおかしい。
 人の声が少しも聞こえない。穴は暗いだろうに、明かりの一つも見えない。
 黒煙が上がっているのは、入り口とは別のところだ。排気のための穴があるのか。もしかしたら、皆奥にいるのかもしれないが。

 入り口の前は木々が伐られ、少し開けている。そこに飛び出す前に、満秀は足を止める。問うように守夜が見上げてくる。
 満秀は唇をゆがめ、踵を返した。



 拓深たちのところに戻ると、鋼牙は馬を降りて、木の枝で作った杖をついていた。
 満秀が睨みつけると、鋼牙は眉をしかめる。
「言っただろう、俺は垣離に行かない」
 満秀が戻る前に去るつもりだったに違いない。

「入り口らしきところはあったが、様子がおかしい」
 満秀が拓深に告げると、拓深は唇を釣り上げて笑った。
「勝手に中に入らず戻ってきたのか、短気なお前にしては懸命だ」
 うるさい、と言い捨てる。
「人の姿がない。声も物音も聞こえない」
 満秀は大股で近寄って、鋼牙を睨み付けた。

「お前、何か知ってるんじゃないのか」
「俺は王たちと離れて随分たってる。何も知らない」
 ――王。
 その呼び名に、満秀は歯を噛みしめる。

「どうして垣離の場所を知っていたんだ」
「俺たちも意味なく雪を移動しているわけじゃない。狙うべき場所はいくつも把握している」
「お前……!」
 満秀が少年に手を伸ばすと、拓深が満秀の腕を掴んで止めた。

「本当に、何も知らないんだな」
「今まで黙ってくせに、急に教えるなんておかしいだろう!」
 詰め寄る満秀に、鋼牙は眉をしかめた。
「どうしてお前らのためになることを教えないといけない」
 それなら急に気が変わったのはどういうわけか。やはり罠なのか。
 鋼牙は顔をゆがめたまま、雪の降りつもる地面を見て言った。

「二度命を助けられたのは事実だ」
「二度目にしてようやく恩を返そうっていうのか?」
 拓深がおもしろがって言うと、ますます不機嫌になった。
「恩など感じていない」
「だろうな」

「俺たちには使命がある。神の残滓を排除して、国を人の手に取り戻す。そのために戦で死ぬ。つまらないことで命を落とすのは無駄だ」
 鋼牙は頑なに言った。
 池野辺で都波を襲ったとき、神喰を雪の中で拾ったとき、その目は奇妙なほど真っ直ぐに、殺意すらなく真っ直ぐに、同じことを言っていた。
 けれど今鋼牙は唇をゆがめて拓深をにらみつけている。

 弓に手が伸びた満秀を抑えて、拓深はやれやれという調子で言った。
「手のかかる都波がいなくなるとこればっかりだな、お前らは。ここで言い争っていても埒が明かないし、雪をどこかでやりすごしたい。とにかく行ってみるしかないだろう」
 鋼牙は唇をゆがめていた。
 苛立っているような、悔しそうな、どこかつらそうな表情だった。すぐに、表情ごと顔の文様を頭巾で隠し、二人の後に続く。



 垣離の人々は、山の中へ穴を掘り、そこに暮らしていたようだった。
 満秀はさっき見落としていたことに気づいた。入り口を支える木の門が、黒く焦げ付いている。
 嫌な予感がする。
 うずく心臓にせかされるように、満秀は駆けだした。守夜が先を行き、中に吠えかかる。
 入り口には、男たちの死体が転がっている。

 その奥に、柵で囲われた場所がいくつかあったようだった。動物らしき死骸がある。何かを飼っていたのか。焼け落ちていて、想像することしかできない。
 天井にいくつか穴を開けてあって、そこから薄い明かりがさしこんでいた。黒煙はここから外へ流れていたようだった。

 足を踏み入れると、中にはまだ火の熱がこもっているような気がした。
 穴ぐらは奥へ広がっている。いくつかの家のようになっているようだった。
 焼け落ちた木の壁や扉のようなものがあり、その奥に、黒く焼けた死体が転がされてている。大きいものも、小さいものもある。

 ここには人が住んでいたはずだ。
 これでは、逃げられなかっただろう。入り口はほかにもあったのかもしれないが。すべて塞がれて火を放たれれば、もうどうしようもない。
 胃の腑の中が煮えるようだ。こみあげてくるものがあって、懸命に飲み込む。
「勝手に先に行くなって言うのに」
 拓深が追いついてきて、口を閉ざした。さすがに拓深も表情をなくして、燃え跡を見ていた。

 薄い雪明りに照らされて、入り口に鋼牙が立っている。そこで立ち尽くして動かない。
 満秀は地面を蹴りつけ、走る。鋼牙に掴みかかった。
「お前……! お前が、この人たちを!」
「俺は知らない」
 満秀を見返す鋼牙の、顔の文様が憎い。見るたびに、満秀の里を襲った奴らを思い出して、心がざわつく。

 拓深は乱暴に満秀の腕を掴むと、鋼牙から引き離した。
「落ち着け、満秀。こいつはずっと俺たちと一緒にいた。俺も颯矢太も、妙なことをしないか見ていたし、仲間に合図を送った様子もなかった」
「こいつの仲間がここを襲ったんだ! こいつがやったのと同じだ!」
「それは横暴だ。池野辺を襲ったのはこいつの罪だが、全部一緒くたにするな」
「同じだ!」
 吐き捨て、満秀は拓深の腕を振りほどく。

 踵を返して、満秀は焼け焦げた残骸の間を、踏み鳴らして歩く。
 悔しくて悔しくて、涙がにじむ。

 垣離があると聞いて、もしかしたら、今度こそ受け入れてもらえるかもしれないと思った。罠の後を見つけて、懐かしくて、嬉しかった。
 それなのに、またこんなことに。みんなまるで、拒絶するように満秀をひとりぼっちにする。

 けれど神喰の前で泣くのが悔しくて、拳を握って、懸命にこらえた。
 守夜が心配そうに、満秀の脚に頬を摺り寄せた。満秀はその頭を撫でてから、気持ちを鎮めるために、大きく息を吐いた。

「弔ってやりたい」
「みんな外に運び出さないと。この中では無理だ」

 国が雪に覆われる前は、遺体を壺や棺に入れ、殯宮(もがりのみや)におさめ、埋葬して奥都城(はか)を建てたという。
 だが神垣は狭く、凍土に生きる垣離も人を埋めることは厳しい。いつしか、また新たな体を得て国へ戻ることを願い、遺体を焼くのが倣いになった。

 トリが旅の間で死ねば、神垣の駅舎へと遺体を連れ帰ることも難しい。
 トリは旅に生きて旅に死ぬ。その言葉通りに、同行していたトリが、死んだ者を称える(しのびごと)をたてまつり、遺体はその場に残して去るのだという。
 その魂が鳥となって旅立ち、彼らのもとへ戻ってくるのを祈って。遺体はそのままいずれ凍って雪の下に沈むか、獣の餌になる。
 そうしてこの国に還る。

 拓深が鋼牙を振り返る。手を貸せと拓深が言い出しそうで、満秀は叫んだ。
「お前は、中に入るな」
 声が穴ぐらの中を反響した。
「お前は、触るな。皆を苦しめた手で、それ以上あたしたちに触れるな」
 鋼牙は何も言わなかった。身動きもしなかった。

 拓深は入り口に鋼牙を残して、焼け落ちた柵や木の黒い煤の間を歩いてくる。
「神喰は、襲ったところに戻ったりしないのか?」
「俺たちは掌握した里を拠点にすることが多い。戻ってくるかもしれない」
 だろうな、と拓深はため息をついた。
 満秀の後ろに立って、満秀の頭巾の上から、頭をくしゃくしゃに撫でる。落ち着け、とは言わなかった。

「弔ってやりたいのは分かるが、今は危ない。少し様子を見よう」
「でも」
「生きてる者の命を危険にさらしてまですることじゃないだろう。様子を見て、また戻ってきたらいい」

 満秀は歯を食いしばって、穴ぐらの中に倒れた人たちを見た。
 黒く焼け焦げて、老人なのか若者かもわからない。もう焼けてわからなくなった遺体でも、このままではあんまりだ。

 拓深は、満秀の頭をポンポンと軽く叩くと、歩き出した。
「颯矢太たちが来たらやっかいだな。とりあえず、今日は近くで休もう」
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登場人物紹介

都波(とわ)

椿が咲き乱れた日に見つけられた。里の外に憧れを抱いていて、幼馴染みの颯矢太になついている。

颯矢太(はやた)

雪に強い体質の雪人(ゆきひと)。里と里を繋ぐトリとして数年前から旅をしている。

拓深(たくみ)

トリで颯矢太の先輩。顔立ちが良くもてるため軽薄だと思われがちだが、トリの役割には真面目。


満秀(みつほ)

里を神喰に滅ぼされて、雪の中をさまよい、都波のいる里にやってくる。守夜という犬を連れている。


鋼牙(こうが)

神々の残り香を壊していく盗賊集団・神喰(かみくら)の少年。都波たちに敵対心を持つ。


咲織(さおり)の姫

桜の里、珠纒(たまき)の神垣の巫女姫。里の皆に慕われている。

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