04

文字数 1,196文字

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「シキさん、コーヒーを持ってきましたよ」
 パソコンと格闘しているところに、あたたかい声がふわりと入ってきた。一つの機械に吸いつけられていた目と手は、その瞬間にその引力からパッと解放された。手を止めて横の方を見ると、微笑みを浮かべながら湯気の立つマグカップを机に置いたアイさんがいた。
「ありがとう、アイさん」
「どうですか、調子は」
「うーん、なんとか自分なりに改良はしたつもりだよ。これだったらあのNo.34にも確実に効いたんじゃないかな。高野(たかの)所長のはやっぱり、少し全体的に甘かったよ。当時からずっと思ってたけど」
「流石シキさん。昔から秀才と言われていただけありますね。それならあの時に所長にそれを言っておけば、あんなことにはならなかったんじゃないですか?」
「それは愚問だよ、アイさん。あの所長に反発するようなことをすれば、問答無用で殺されるさ。あの人、自分の研究に凄い自信持ってた人だったから。意見するならあの人が死ぬか脱落するかしてからだ」
「嗚呼、そういやそうでした……」
 アイさんがそう呟きながら苦笑した。それに釣られて少しだけ笑った。彼女はコーヒーを二人分持ってきていたから、自分のマグカップを持って香ばしい褐色の水分を一口飲んでいた。縁から口を離すなり「あ、そうだ」と顔を上げた。
「シキさん、買い物に行きませんか!」
「買い物?」
「いつも外に出るとしても、近場じゃないですか。たまにほ電車で少し遠くまで行きたいです」
「……アイさん、そういやもうすぐ誕生日だね」
「えっ、覚えててくれてたんですか!」
「そりゃ覚えてるよ、君は大切な助手だ。……じゃあ、アイさんの誕生日祝いで何か買ってあげよう。好きなところに俺を連れてくといい」
「いやいや、それは申し訳ないですよ!?
「これは決定事項だ。決まりと言ったら決まりだ。準備して行くぞ」
「……はい!」
 アイさんは、今まで見てきた中でも一番なくらいの嬉しそうな顔をしていた。

 彼女が向かったのは、新宿にある高島屋だった。話を聞いた限りだと、どうやら新しい服が欲しかったらしい。やっぱりその辺りは女性らしいなぁと静かに思った。遠慮しているのか、散々悩んで迷った末に、彼女は綺麗なワンピースを一つだけ選んだ。「なんだ、服くらいなら幾つでもプレゼントするのに」と言うと「いいんです、本当に一つだけで!」とピシャリと言われてしまった。更に「シキさんはもっとお金を大切に使うべきです」とも言われてしまった。嫁か君は。
 服を一つしか買えなかった代わりに、お昼とお茶代はきちんと彼女の分まで払った。お昼は時間的に食べる流れになったのだが、お茶はこれまた遠慮するアイさんを無理やり誘ってカフェに入った。普段滅多に口にしないパフェをつついているアイさんは、とても幸せそうだった。その様子は少女のようだった。とても、この瞬間が楽しかった。

 その夜に、アイさんは死んだ。
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