05

文字数 1,169文字

 *

「……愛してた?」
 特に怪訝な顔をするわけでもなく、ただ純粋にその意味が分からないといった様子で、リツは鸚鵡返しに呟いた。その瞬間、さっきまで晴れていた空には急速に黒く厚い雲が立ち込めてきた。嗚呼、ダメだったか。やっぱり、ダメなのか。
 死ぬ間際の記憶とそれに付随する感情までは取り戻せても、本来の感情までは取り戻せないのか。
「……リツ」
「はい」
「俺の名前は、分かるか」
「分かりますよ、式部(しきべ)織空(りく)さん」
「じゃあ、君の名前は?」
「私は、合沢(あいざわ)璃津(りつ)です」
 リツは、死んだ――いや、正確には、俺が“殺した”アイさんのガイノイドだった。

 *

 そもそも、俺たちはとある研究所に勤めていた研究員とアシスタントだった。そこでは特殊能力を持つ人間を扱う研究をしていて、その特殊能力者――つまりは被験者の逃亡を防ぐために、研究者サイドは彼らに記憶操作をかけていた。
 記憶操作というのは文字通り人の記憶を操作出来る技術なのだが、記憶消去とはまた違うものだ。消去だと記憶全てを完全に消してしまうが、あくまでも操作だから、都合の悪いものだけ消すことが出来る。研究所とその記憶操作技術の生みの親、高野(たかの)源太郎(げんたろう)によれば、それによってこの数十年、研究は順調に進んでいたという。
 しかし三年前、その記憶操作が上手く効かない被験者が出てきた。被験者は皆番号で呼ばれていて、その彼はNo.34と呼ばれていた。彼はある機会で接触した外部の女性によって、研究所の平穏にヒビを入れることに成功した。その影響で研究所は結果的には爆発を起こし、所長の高野は行方不明となった。
 俺と彼女は爆破する前になんとか逃げ出し、都心から少し離れた場所へ移動して、記憶操作の研究を続けることにした。研究所にいた時から、記憶操作のシステムが甘いのではないかという疑問をずっと抱いていたからだった。研究を重ねていき、案の定そうだということが分かったのは本当につい最近のことだった。
 その間、彼女はずっと隣で、研究に協力してくれていた。

『式部さん』
『ん?』
『もう二人しかいないですし、堅苦しく名字で呼び合うのやめませんか?』
『……じゃあ下の名前か?』
『式部さんの下の名前何でしたっけ?』
『リク。空を織るって書いて、織空』
『へぇ、素敵な名前ですね。……あ、でもこれ下の名前アウトですね』
『え? 合沢さん何だっけ』
『リツです。因みに教えてくれたので私も言うと、瑠璃の璃に、三重県の津市の津で璃津です。思い切り名前似てますね』
『……そりゃダメだ。噛みそう』
『あはは、噛むって! あ、それなら名字から呼び名決めたらどうでしょう? 式部さんはシキさん、私は合沢なのでアイさん、とか』
『あ、それ名案だわ。そうしよう』
『採用ありがとうございまーす! 嬉しいです』

 そんなどこか穏やかで、幸せな日々を過ごしていたはずだった。
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