03

文字数 1,039文字

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 机上のカルテを取る時、カタリと小さく音がした。二つ折りのバインダーを開くと、紙一面に広がる表があった。リツへの質問事項だった。それと、それに対する彼女の回答を書く欄がある。紙をパラパラと数枚捲ると、過去に同じような質疑応答を行った際の用紙もそこにあった。幾つかを見返した。着々と、色んなことに対してリツが答えられるようになってきたのは事実だった。
「リツ。今日もまた質問するよ、いい?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ、前にも訊いたことから。今日は何年何月何日?」
「えっと……二〇××年の十月九日です」
「何曜日?」
「火曜日です」
「そしたら、次はリツ自身のこと。好きな色は?」
「緑です」
「好きな本は?」
「ミステリー系なら何でも好きです」
「逆に嫌いなものは?」
「んーと……雨の日は嫌いです」
 以前にも訊いた、その答えを明確に理解している質問に対する応答は完璧だった。基礎的な思考回路のプログラムにも特に問題はないようだ。空白の上を黒い線が滑らかに走ってゆく。基本的な質問の個数は少なくていい。これは単なる確認事項であって、実験の成果を表すものではなかった。
 リツは子どものような目をして、次の言葉が来るのを待っていた。まだ訊きたいことがあるのを察しているようだった。手元の紙の下半分を再度見た。まだそこは真っ白なままだ。微かな音をたてて、息が外部の空気と混ざり合っていった。
「……じゃあ、続きいくよ」
「はい」
「これまでで楽しかったことは?」
「えーと……それは何でもいいんですか?」
「うん。最近のでも昔のでも、何でも」
 そう問うと、少し悩む素振りを見せてから口を開いた。
「そうですね……あ、この前高校時代の友人と会って、久し振りに数時間話しました」
「なるほどね。じゃあ逆に辛かったことは? あ、悲しかったことでもいいけど」
「うーん……パッと思いつくものはないですね……あ、あの」
「ん?」
「さっきの楽しかったこと、もう一つありました。一緒にデパートでお買い物したことです」
 持っていたボールペンの先が余白にガッと当たり、余計な筋を一つ残した。それは線の真ん中辺りで少し曲がっていた。分かりきっていた言葉の並ぶ中で、その存在は明らかに浮いていた。動揺しているのが痛いほどに分かった。
 これは、いいのだろうか。次の言葉を、彼女に期待して投げかけても。
 体内で心音がうるさく響いていた。それを外に零さぬように、恐る恐る言葉だけを吐き出した。
「……リツ」
「はい」
「リツは、誰のことを愛してた?」
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