第8話 対決

文字数 2,817文字

 そしていよいよ、ヤスとの対決だ。
 弁護士のB先生のからのアドバイスもあり、アヤは一切ヤスと絡ませない方がいいとのことだったが、言われるまでもない。
 10年だ。私は10年、このときを待った。
 ただ、アヤとユイのこれからのことを思うと、アヤ母夫妻を無下に扱うこともできない。ヤスとの直接の話し合いはこの夫婦に任せるしかない。だが、埒があかなければ私がいけばいいし、それでもダメならB先生がいる。B先生でもダメな場合は、おそらくなんらかの事件として警察が扱うことになるだろう。そこまでいけば、無条件で晴れて離婚成立だ。
 自分で言うのもなんだが、私は非常にタチが悪い。
 ヤスにとって、私は獲物の前で檻の中からグルグルと唸るどう猛な獣のようなものだ。怒りも十分熟成されている。アヤ両親というまだ邪魔な立て板があるが、ヤスを想うアヤの恋心という面倒な檻はようやく消えた。晴れ晴れとした気分だ。
 目標は、ヤスをいかに速やかにアヤのマンションから追い出し、署名捺印を済ませた離婚証書をもぎ取るかということだ。ついでに言えば、アヤ名義で買わせた奴には分不相応なプリウスも返してもらう。
 そのための役場と警察への通報と協力要請だ。内実はどうであれ、この実績がヤスには脅威になるはずだ。
 そして警察に、異常なつきまといは止めるようにと、ヤスに直接連絡を入れてもらった。案の定、これは劇的に効いた。
 その直後、ヤスがアヤのSNSアプリに次のメッセージをよこした。

『アヤ
 警察から 連絡きたよ。アヤのこと好きすぎてアヤには重かったんですね。
 わかったよ。別れるからさ。昨日がユイと最後とわからなかったし、最後ぐらいちゃんとお別れしたいよ。第三者とかじゃなくて、お義父さんとか交えても構わないから、家族で最後は終わろうよ。
 別れる覚悟や、息子たち二人にも色々話したので、安心してください』
(※名前以外原文まま)

 一見、穏やかに終焉を迎えようとしているように見えるかもしれないがそうではない。
 これを紐解くと、家族の最後のお別れを口実に、ちょろいアヤを自分の前に引きずり出そうという魂胆だ。モラハラDV男がよく使う手だ。そして弁護士(第三者)は厄介だが、あわよくば、自尊心をうまくくすぐれば、操作しやすいアヤ両親を味方につけられると考えている。
 そして、「ママはお前たちを捨てる気なんだ。そんなの嫌だろう? だから、お前たちもママに戻ってくるようにお願いしよう」と言い聞かせた息子たちに、自分の代わりにアヤの足にしがみつかせる準備も万端だと言っているのだ。
 ふん、バカめ。お前の相手は、アヤでもアヤ両親でもなくこの私だ。
 アヤのアプリから私が書いたメッセージで返信した。

『お前の魂胆は分かっている。本当に離婚する気があるなら、離婚証書に判をついてさっさとこちらに渡せ。お前たちはすでに、アヤの中で家族ではない。厄介極まりないお荷物である。甘い期待は捨てるように。 第三者より』

 以来ピタリとヤスからの連絡が途絶えた。
 自分のアプリが第三者に晒されていることに気づいたのだろう。
 この話し合いの数日後、こちらの署名捺印の済んだ離婚届や各種書類を送りつけてやった。その中に、私の書いた手紙を添付するのも忘れなかった。

『猶予は一週間。それまでに送り返されなければ、再び同じ書類が送られることになる。これは、そちらからの返信がない限り繰り返されるだろう。それでも応じなければ家裁で会うことになる。
 マンションを出て行くにはもう少し猶予を与えてもいい。ただし、居座るようなら強制退去を視野に入れている。 第三者より』

 名前を伏せたのに大した意味はないのだが、『第三者』が不気味でいい味を醸し出しているではないか。 そして私は、弁護士でも親でもなく、文字通り第三者だった。
 ちなみに、家裁での申し立ては2千円程度で済むが、強制退去となると数十万かかるらしい。できれば自主的に出て行かせたいものだ。
 ヤスにとって、アヤはまともな社会生活を営むための命綱だ。奴は自分名義のものを何も持っていない。家も車も携帯すら、元の姓では何も持てないのだ。二人の息子は自分の子だと言えるが、手のかかる子どもは、家や車のようなわけには行かない。だからこの戦いは、相当てこずるのを覚悟していた。
 案の定、ヤスはごねた。
 ヤス曰く、第三者とかいう、男か女かもよくわからない怪しい人物の言われるままに、署名捺印するわけにいかない。後から慰謝料・養育費、面会などの条件をごねられても困るというのである。笑止千万。ツッコミ処満載だ。
 それなのに、ヤスのこの言い分を聞いて、アヤの母親はこう言った。

「そりゃそうよねえ。これじゃ、金額の書いてない小切手渡すようなものじゃない?」

 バカはどこまで行ってもバカだ。
 それにしても、ヤスはアヤとの関係が壊れたのは、アヤに新しい男ができたからだという考えがどうしても捨てきれないらしい。だからあれほど執拗にアヤの行動を監視したのだろう。
 自分がこれまでやってきたことを思えば、理由は明白だと思うのだが、自分が嫌われたというより、自分よりより好きな相手ができたとしか思いつかない感じなのだ。私にはこれが不思議でならなかった。男女の違いだろうか。

 話を戻そう。
 慰謝料・養育費は離婚が成立したあとでも、そのことについて話し合うことは可能だ。
 特に、養育費に関しては、親の権利ではなく子どもの権利だ。たとえ裁判で一旦金額が決定したとしても、場合によってはいつでも請求額の増額は可能なのである。まぁ、手間を惜しまなければという話ではあるが。
 つまり、一旦決着した金額以上、払いたくないとヤスは言っているわけで、その時点で子どものことを考えた上での発言とは思えない。そんな男が子どもとの面会権を請求するなど、ちゃんちゃらおかしいにもほどがあるというものだ。
 よって、アヤの母親が言う、金額の書いていない小切手云々は、全くトンチンカンということになる。
 そもそも、最初にこちらが要求したのは、ヤスの署名捺印が入った離婚届けであって、その中に慰謝料・養育費は一切含まれていない。不良債権が服を着て歩いているようなあの男に、そんなものは端から期待していないのだ。
 これほどの好条件で別れてやると言っているのに、何をごねる必要がある——。
 というような内容で、アヤにもう一度私のメッセージを送らせた。その際、正体をすっかり明かした。男の影があると思うと意固地になるようだったからだ。
 そして、ヤスとの話し合いに向かうアヤ両親に、同じメッセージを送ってもらった。これでヤスのバカな口車には乗るまいと思ってのことだ。
 私のそのメッセージを読んで、アヤの母親は再びこう言った。

「あんまり追い詰めちゃかわいそうじゃない?」

 この女は、ヤスに向けるこの同情を、なぜ我が子に向けられないのだろう?

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