第2話 アヤ

文字数 3,634文字

 アヤはひとことで言って居場所のない子だった。
 とっくに離婚している両親は、互いの新しいパートナーとの間に、アヤを挟むことを嫌がった。実家にいられない未成年のアヤが、家を出てキャバクラで生計を立てるようになったのは自然な成り行きだったと思う。駅前に行けばスカウトはいくらでもいる。
 最初に勤めたキャバクラで、安アパートの一室が寮としてあてがわれた。
 ところが、そこは半ば軟禁状態で、コンビニでも行こうと部屋を出ただけで、「どこ行くの?」と見張りから速攻で電話がかかってくるような状態だった。
 店とアパートを往復するだけの毎日だ。
 それに嫌気がさして、ケイと二人でそのアパートを飛び出したアヤは、稼いだ金で住まいを別に移し、また別のキャバクラ店で働き始めた。若くて可愛いアヤは、働く店には困らなかった。
 そんな時に、たまたま遊びに行ったホストクラブにいたのがアヤより14も年上のヤスだった。
 ここまでくると、アヤは相当頭の弱い子に見えるかもしれない。でも実際は、娘より成績はよほど良かったし、飲み込みが悪いわけでもない。このひどい生活の中で、フリースクールの課題をコツコツこなしていたぐらいだ。
 ただ、生真面目で、極端に押しに弱い。そして、”良い子”であろうとする。それは半ば自分でも説明のつかない強迫観念で縛られていて、誰に対しても強く断れず、”良い子”ではない自分ではいられなかったのだ。
 それを象徴するエピソードはいくつもあるが、中でも印象的だったのは『おじいちゃんの仏壇』だ。
 一瞬、何を言われているのかわからなくて聞き返した。

「は? 空き家になってるじいちゃんの家の仏壇がなんだって?」
「色々バタバタしてて、私も全然行けなかったから、お線香あげにいかないと……」
「なんで?」
「え、だって、お父さんもお母さんも誰も行かないし……」
「頼まれたの?」
「そうじゃないけど……」

 アヤが言うには、生前かわいがってくれた父方の祖父が、毎日お線香をあげ、(カセットテープで)お経をあげていた仏壇が気になると言うのである。おじいちゃんが生前あれほど大切にしていたのに、と。
 実家の仏壇の心配を一度もしたことがない私は、感心するよりもまず呆れた。
 そもそもアヤは、誰が見ても絵に描いたような立派(?)なボロボロだ。居場所がなく金もない。掴んだカレシはドクズで、そいつに散々稼ぎを吸い上げられた挙句、行方を眩まされた。
 それどころじゃないだろうと、そこら中からツッコミが入りそうだが、なんというか、アヤはそういう子だった。
 だからこそ、自己中心的で想像力のない、自分こそがいつでも最大の被害者だと喚く恥知らずは、彼女を見つけたら逃さない。アヤの不幸は、そんな加害意識のまるでない無自覚・無敵のバケモノに、生命力の最後の一滴を、今まさに吸い尽くされようとしていることに、まるで無自覚だと言うことだ。

 さて、少し話が脱線する。
 あなたは不思議に思ったことはないだろうか。
 誰もが口を揃えるダメ男から、なぜか離れられない女たちの存在を。
 殴る男から離れられない女、アル中夫に尽くす妻、その他、ギャンブル・借金・女癖とダメ男は枚挙にいとまがない。男女が逆の場合ももちろんあるが、なぜわかっていて離れないのだ? 
 私は不思議だった。DV男にしがみつく女は、やっと別れたと思うと、ほとぼりが冷めるとすぐに元サヤに収まってしまう。あるいはまた別のDV男と付き合い始めるのだ。もう全く意味不明だ。
 あるとき、そんな私の疑問を解決してくれたのがメンタルヘルスだった。『依存症』あるいは『共依存』という概念で、そのメカニズムをわかりやすく説明してくれた。
 それをきっかけに、私はメンタルヘルスにはまった。素人でも読みやすい本をいくつか手に取った。目からウロコがボロボロ落ちた。不思議で理不尽で、やるせなく、憤りを抑えるのが難しい人間関係のいくつかが、明快・明瞭に見えてきた。
 それによると、みんなが大好きな「守るオレと守られるアタシ」や「救うアタシと救われるオレ」物語は一気に瓦解する。メカニズムがわかると、残念ながらこの手の恋愛モノにはもう二度と酔えない。
 簡単に言えば、誰が見てもビョーキなカップルの特徴は、二人のこの役割に『嗜癖(しへき)(アディクション)』する。
 要は、相手の個性やパーソナリティではなく、この関係性に執着するというのだ。ビョーキな二人はこの執着の仕方が極端だ。決して互いの役割を譲らない。
 人は誰もが、ただ守られるだけの存在ではないし、守るだけの存在でもない。なのに頑なにその役割に固執する。だから二人はゆがんでゆくのだ。
 この概念は、私のその後の価値観や考え方を大きく変えてしまうほどの衝撃だった。
 アヤの場合、生活状況の極端な不安定さから、反射的にすがりついたのがたまたまそばにいたヤスだった。しかもヤスは典型的なDV男だ。その独特の嗅覚から、アヤを嗅ぎ出し、いつもの慣れた手口で操作した。まだ幼い”お利口アヤ”は、容易くヤスの手口にはまった。
 こうなると、第三者の手が必要だということを、その頃の私は学んでいた。
 親があてにならないことは前述の通りだ。そして、アヤにいくら懇々と説得したところで、その性質から同じ嗜好(思考あるいは志向)の中で、また流されて行くのは火を見るより明らかだ。
 私は無駄骨を折るのはまっぴらだった。 
 そこで、東京弁護士会が主催する「子どもの人権110番」に電話した。アヤはなんといってもまだ未成年であり、アヤの置かれている状況が、親と恋人両方からの虐待だと判断したからだ。
 電話を受けた女性の弁護士さんが、すぐに会ってくれることになった。
 当時、まだ20代と思しき若手女性弁護士は、いっそ清々しいほど頼りなく見えた。でもこの際贅沢は言っていられない。危ういアヤの状態をなんとかしなければならない。
 私はアヤに、誰かの懐から財布をかすめとろうが、身体を売ろうが、何をしてもいいから生きていて欲しかった。アヤに集る寄生虫から逃げて欲しかった。
 安心して眠れる場所があり、お金の心配をしなくてもご飯が出てくる。アヤに必要なのはたったそれだけのことなのだ。子どもなら誰もが当たり前に与えられる、当たり前の暮らしが欲しかっただけなのだ。
 私はアヤを取り巻く様々な理不尽に、心底激怒していた。
 可愛い弁護士先生の計らいで、カリヨンという民間シェルターに世話になることになった。児童の自立を援助する施設だ。先生の若さとみずみずしい情熱が、逆にアヤを大いに救ってくれた。頼りないなんてとんでもなかった。
 ちなみに、これ以前にすでに、私は地元役場の児童福祉課に何度か足を運んでいる。
 結果、シェルターでアヤを引き受けるのは難しいと言われた。驚いたことに、大人でも子どもでもない17歳という年齢がネックになったのだ。

「ですからアヤさんの場合、未成年ですから保護されるとしたら、まずは親御さんに連絡をする必要が……」
「は? 私の話聞いてました? 親が当てにならないからここに来たんですけど?」
「ですから、こちらの方で親御さんにはよく言い聞かせて……」
「お説教するってことですか? アヤの親に? あなたが?」
「ま、まぁとにかく、未成年の保護者の権限は強いんです」
「……」

 私がアヤの親なら、その場しのぎの生返事をして体裁をとりつくろうだろう。そしてたちまち元の木阿弥だ。誰かの説教一つで心を入れ替えるなんて、夢物語でしかない。
 そもそも、子供扱いは難しいと言いながら、なぜ未成年には親の権利が優先されるなどという矛盾した言い分がまかり通ると思うのだ?
 名ばかりの行政支援の中、先生とカリヨンに出会えたのは僥倖だった。カリヨンは、行政の間で浮いてしまう、まさに16歳から19歳までの女の子を積極的に受け入れてくれた。この年頃の少女だからこそ、底のない闇の中に堕ちてゆくのだから。
 一方で私は、キャバクラや風俗が社会の中で担う役割というのを暗澹たる思いで実感していた。清廉潔白で真っ当だとはとても言い難いが、歪な家族関係や社会の闇の中で埋もれていくしかない少女たちに、働き先を提供し、曲がりなりにも生きていけるようにしていることも事実なのだ。
 トラブルを回避し、あるいはその解決法を見出すのに必要なのは、人脈でも財力でもなく、圧倒的に情報量だ。そして、その情報をうまく取捨選択して利用できる知性が必要なのである。大人が子どもに教えなければならないのは、まずはそこなのだということを、この出来事は私に痛感させた。
 アヤは弁護士に連れられて、カリヨンに向かった。場所は私にも明かされない。
 ありがとうと、弱々しい笑顔で手を振るアヤを見送りながら、これでアヤは救われると思った。
 
 ………が、私はまだまだ甘かった。

 アヤはその後まもなく、カリヨンを飛び出し、私の前から姿を消した——。



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