第9話 決着
文字数 2,005文字
ところで、アヤ両親とヤスのこの話し合いは唐突だった。
話し合いの前に、まず家を出て行けという私の手紙とともに、各種書類を送りつけていたのだ。
その書簡のやり取りをどれぐらい続けようかなぁと漠然と考えているところへ、ある日の夕方、アヤから突然メッセージが入り、今、両親がヤスと話し合いするために出かけたと言ったのだ。それで前述の話し合いにもつれ込んだ。
「へえ、ずいぶん急だねえ。どうしたの?」
「昼間、お母さんたち、警察巻き込んだDV騒ぎ起こした」
「え、ヤス来たの!?」
「いや、お母さんと義父がDV騒ぎ起こした」
予想の斜め上の展開である。
この日の昼間、些細なことで口論になったアヤ両親は、ブチ切れた義父が思いっきり家の中で暴れまわったというのだ。それはもう激しいもので、家の中をめちゃくちゃにした。挙げ句の果てに、飼い犬のリードを持ってベランダの外側に吊り下げ、「出て行けるものなら行ってみろ!」と脅すものだから、母親が「それ以上やったら警察呼ぶわよ!」と言った。やれるものならやってみろと、売り言葉に買い言葉だ。
犬が殺されると思った母親は、迷わずスマホをタップした。娘にもこのぐらい迅速に対応しろよと思わなくもない。
アヤのことであらかじめ最寄りの警察署に相談していた夫妻のところに、通常以上の警官がワラワラと押し寄せることになった。
そこでやっと正気を取り戻した二人は、ご近所や警察の手前バツが悪くなって、ヤスのところに今夜話し合いに行くと急遽決めたのだそうだ。
この騒動は、娘のせいだとでも言いたかったのだろうか。
そんな大人たちの大騒動の中、アヤが仕事から帰ってくると、ぐしゃぐしゃの服が散らかる廊下の真ん中で、学校から帰ってきたユイが、正座で服を畳みながら「もー、ジィジ最低!」と愚痴をこぼしていたらしい。
笑ってしまった。
閑話休題。
さて、いよいよ追い詰められたヤスは、自分の書類は全部会社の顧問弁護士に預けてあると言った。
そいつはいい。それなら話は一番早い。ラッキーだと思った。
ヤスとアヤ両親という、この3バカトリオに話し合いという名目の茶番を演じさせておいて、私がその弁護士と話そうと思った。
アヤに弁護士の連絡先を聞けと言った。早速アヤがヤスにメッセージを送ったが、既読はつくものの返事がこない。これはもう、茶番劇の真っ最中なのだろうかと思ったので、弁護士の名刺の写メでもいいとアヤに言ってもらった。
それでも返事がこなかった。
——あれ?
あ、そうか。これはハッタリなのだ。弁護士といえば私がビビると思ったらしい。
バカなやつだ。自分が恐れるものを他人も恐れると思ったのだろうか。
『あなたの相談に乗った弁護士というのは、ちゃんと実在しますかぁ?笑』
アヤにこれをヤスに送れと言った。
「マジで?」
アヤが言った。
「なんで? マジだよ。ちゃんと『笑』まで入れてね」
「煽るの?」
「そうだよ」
「わかった」
アヤがスマホをタップした。
そしてヤスはとうとう、「最初から弁護士は断るつもりだった」と言った。
断るも何も、ヤスが弁護士を頼むにしても、慰謝料・養育費はなるべく安く決着をつけましょうという話にしかならないわけで、頼まれた弁護士も、最初からゼロ円とは思ってもいないだろう。つまり、ヤスの非常識に付き合う弁護士などいるわけがなく、一瞬でもヤスの言葉を信じた私はまだまだだと思った。
結局、ヤスの抵抗はこの程度だった。
電気の止まったオール電化のアヤのマンションも、電気代が払えす早々に打ち捨てたらしい。ヤスは最低限の荷物と二人の息子を伴い、署名捺印の済ませた離婚届と家や車の鍵をアヤ両親に渡すと、アヤの前から姿を消した。
もう少し頑張るかと思ったが、あっけないものだった。なんとなく物足りなく感じるのは、過去の自分の離婚調停が、さすがにこの数十倍も厄介だったからだ。
アヤは母親の自宅近くに、ユイと母娘二人で住むための小さな部屋を借りて暮らし始めた。
そのユイも、今でははや、中学受験を控えている。アヤはこのコロナ渦の中、登録者販売の資格を取って、今働いている薬局の医療事務を続けるか、ドラッグストアで働くかを考えている。
誰かの食い物にされ続けたアヤの生き方も、これで少しは変わるはずだ。
昔、アヤと何度も話し合いを重ねている時、アヤが珍しく怒ったように「幸せって何?」と私にぶつけて来たことがある。
「安心で安全で快適な状態を、無理なく自然に維持できている状態だと思う」と答えた。
つましすぎるだろうか。でも、たったこれだけのことが、なかなかうまくいかないのも人生だ。
結局私は、一人の女の子を真っ当な道に戻すのに10年もかかってしまった。
でも、アヤを見ていて思うのだ。
自分のために一生懸命生きることが、誰かを生かすことでもあるのだと。
だからみんな、幸せになろうね。
<了>
話し合いの前に、まず家を出て行けという私の手紙とともに、各種書類を送りつけていたのだ。
その書簡のやり取りをどれぐらい続けようかなぁと漠然と考えているところへ、ある日の夕方、アヤから突然メッセージが入り、今、両親がヤスと話し合いするために出かけたと言ったのだ。それで前述の話し合いにもつれ込んだ。
「へえ、ずいぶん急だねえ。どうしたの?」
「昼間、お母さんたち、警察巻き込んだDV騒ぎ起こした」
「え、ヤス来たの!?」
「いや、お母さんと義父がDV騒ぎ起こした」
予想の斜め上の展開である。
この日の昼間、些細なことで口論になったアヤ両親は、ブチ切れた義父が思いっきり家の中で暴れまわったというのだ。それはもう激しいもので、家の中をめちゃくちゃにした。挙げ句の果てに、飼い犬のリードを持ってベランダの外側に吊り下げ、「出て行けるものなら行ってみろ!」と脅すものだから、母親が「それ以上やったら警察呼ぶわよ!」と言った。やれるものならやってみろと、売り言葉に買い言葉だ。
犬が殺されると思った母親は、迷わずスマホをタップした。娘にもこのぐらい迅速に対応しろよと思わなくもない。
アヤのことであらかじめ最寄りの警察署に相談していた夫妻のところに、通常以上の警官がワラワラと押し寄せることになった。
そこでやっと正気を取り戻した二人は、ご近所や警察の手前バツが悪くなって、ヤスのところに今夜話し合いに行くと急遽決めたのだそうだ。
この騒動は、娘のせいだとでも言いたかったのだろうか。
そんな大人たちの大騒動の中、アヤが仕事から帰ってくると、ぐしゃぐしゃの服が散らかる廊下の真ん中で、学校から帰ってきたユイが、正座で服を畳みながら「もー、ジィジ最低!」と愚痴をこぼしていたらしい。
笑ってしまった。
閑話休題。
さて、いよいよ追い詰められたヤスは、自分の書類は全部会社の顧問弁護士に預けてあると言った。
そいつはいい。それなら話は一番早い。ラッキーだと思った。
ヤスとアヤ両親という、この3バカトリオに話し合いという名目の茶番を演じさせておいて、私がその弁護士と話そうと思った。
アヤに弁護士の連絡先を聞けと言った。早速アヤがヤスにメッセージを送ったが、既読はつくものの返事がこない。これはもう、茶番劇の真っ最中なのだろうかと思ったので、弁護士の名刺の写メでもいいとアヤに言ってもらった。
それでも返事がこなかった。
——あれ?
あ、そうか。これはハッタリなのだ。弁護士といえば私がビビると思ったらしい。
バカなやつだ。自分が恐れるものを他人も恐れると思ったのだろうか。
『あなたの相談に乗った弁護士というのは、ちゃんと実在しますかぁ?笑』
アヤにこれをヤスに送れと言った。
「マジで?」
アヤが言った。
「なんで? マジだよ。ちゃんと『笑』まで入れてね」
「煽るの?」
「そうだよ」
「わかった」
アヤがスマホをタップした。
そしてヤスはとうとう、「最初から弁護士は断るつもりだった」と言った。
断るも何も、ヤスが弁護士を頼むにしても、慰謝料・養育費はなるべく安く決着をつけましょうという話にしかならないわけで、頼まれた弁護士も、最初からゼロ円とは思ってもいないだろう。つまり、ヤスの非常識に付き合う弁護士などいるわけがなく、一瞬でもヤスの言葉を信じた私はまだまだだと思った。
結局、ヤスの抵抗はこの程度だった。
電気の止まったオール電化のアヤのマンションも、電気代が払えす早々に打ち捨てたらしい。ヤスは最低限の荷物と二人の息子を伴い、署名捺印の済ませた離婚届と家や車の鍵をアヤ両親に渡すと、アヤの前から姿を消した。
もう少し頑張るかと思ったが、あっけないものだった。なんとなく物足りなく感じるのは、過去の自分の離婚調停が、さすがにこの数十倍も厄介だったからだ。
アヤは母親の自宅近くに、ユイと母娘二人で住むための小さな部屋を借りて暮らし始めた。
そのユイも、今でははや、中学受験を控えている。アヤはこのコロナ渦の中、登録者販売の資格を取って、今働いている薬局の医療事務を続けるか、ドラッグストアで働くかを考えている。
誰かの食い物にされ続けたアヤの生き方も、これで少しは変わるはずだ。
昔、アヤと何度も話し合いを重ねている時、アヤが珍しく怒ったように「幸せって何?」と私にぶつけて来たことがある。
「安心で安全で快適な状態を、無理なく自然に維持できている状態だと思う」と答えた。
つましすぎるだろうか。でも、たったこれだけのことが、なかなかうまくいかないのも人生だ。
結局私は、一人の女の子を真っ当な道に戻すのに10年もかかってしまった。
でも、アヤを見ていて思うのだ。
自分のために一生懸命生きることが、誰かを生かすことでもあるのだと。
だからみんな、幸せになろうね。
<了>