おバケになったアタシ
文字数 2,709文字
雨が降っていた。
雲の上からは、陽の光がほんわりと透けて見えている。
あたしは優しい雨に打たれながら、斎場へと吸い込まれていく人たちを、ただぼんやりと眺めていた。
傘をさしていないのに、あたしの肩が濡れることはない。
頭をかしげると、髪の毛がさらさらと音をたてた。
斎場の入り口には『故・
あたしは斎場の中入っていった。
なんの荷物も持たずにふらふら入っていくあたしを、だれも見咎めたりはしなかった。
静かな読経の流れる中、室内は、椅子に座ることができずに立っている人までいるほどだった。
チェックのプリーツスカート姿の中学生が、涙を流しながらありこちに固まっている。同じチェック柄のズボンとネクタイを締めた男子生徒の姿もある。
あたしは彼らをちらりと確認してから、奥へ奥へと向かった。
祭壇のすぐ前の席にはあたしのお父さんとお母さん、それに姉の史香が並んで座っていた。
ハンカチを口に当て、嗚咽をこらえるお母さん。お母さんの肩を抱くお父さん。そのお父さんの鼻の頭も眼鏡の奥の目も、真っ赤になっている。
二人の隣りに座っているのはお姉ちゃんの史香だ。
あたしは中学一年で、お姉ちゃんは中学二年生。
お姉ちゃんは不安そうな表情で、時々周囲を見回している。
祭壇には、あふれんばかりの花に囲まれて、笑顔の女の子の写真があった。
あの写真、ピアノの発表会の時の写真だわ。
ふわふわの生地。白に赤い花模様のドレスはとても可愛い。でも、ピアノの腕前はとてもとてもドレスに釣り合うものじゃなかった。
ね? 明日香。
あたしは、写真の中の自分自身に声をかける。
次第に意識がはっきりとしてくる。
どうやら、あたしは死んだらしい。そして、これはあたしのお葬式なのだろう。
ただわからないのは、どうしてあたしが死んでしまったのかだ。
あたしはお坊さんの唱えるお経を聞きながら、死んでしまった理由を考えていた。
記憶を手繰り寄せようとしていると、お姉ちゃんと二人で並んで歩いている場面が頭に浮かんだ。
踏切を渡り、駅前商店街を抜けて中学校へと向かう通学路。
ああ、そういえば車が後ろからあたしたちに向かって突進してきたんだ。
あの車に轢かれたのだろうか。
あれ? でもちょっと待って。
車は車道側にいたお姉ちゃんに向かって突っ込んできたはずだ。
車の気配に気がついて後ろを振り返ったあたしは……。
……どうしたんだっけ?
ダメだ。
そこまでしか憶えてない。
なんで、あたしが死んでお姉ちゃんが生き残ってるんだろう?
あのままだったら確実にお姉ちゃんが車にはねられたはずなんだけど。
あたしはお焼香をしている、お姉ちゃんの後ろ姿を眺めた。
紺のブレザーに茶系のチェックのスカート。膝小僧に大きなガーゼを当てているけど、足を引くほどの怪我ではないみたい。手のひらに絆創膏が一つ貼ってある。
でも、いくら考えても、あたしが死んだ瞬間を思い出すことはできなかった。
ま、いいか。
お姉ちゃんはちゃんと生きてるんだもん。
それでいいじゃないか。
もし二人とも死んじゃったりしたら、お父さんとお母さんは立ち直れなかったかも知れないしさ。
あたしは、そんなふうに思った。
死んじゃうと、あんまり生きることに執着(?)とかいうものが、なくなるのかもしれない。
ただ、困ったことが一つある。
お葬式が終わっても、あの世行くには、どうしたらいいのかわからないのだ。
行き場のないあたしは、家族にくっついて自分の家へと帰ることにした。
あたしの家は、駅の北側の住宅街に建つ小さな一軒家だ。小学四年生の時にお父さんが建ててくれた、小さいけどかわいいお家だ。
緑色のラグの上、木目調のダイニングテーブルに座り、お父さんとお母さんは、ずずずっとお茶をすすっていた。
「今日はたくさんお友だちが来てくれたわねえ」
「明日香はお友だちが多かったからなあ」
「そうねえ、明日香がいなくなって……家の中、ものすごく静かになっちゃったわね……」
悪かったわね……。どうせあたしはやかましい子でしたよ、と、お父さんとお母さんつっこみを入れる。
というか、お姉ちゃんが静かすぎるのよ。
お姉ちゃんは、他人に話しかけるのがとっても苦手だ。
落とし物を拾っても「これ落としましたよ」って声をかける事ができない。忘れ物をしても友だちに貸してもらうことができない。
声をかけるのが、こわいんだって。
あたしには信じられないよ。忘れ物を取りに家に帰るくらいなら「貸して」って声をかけたほうが楽に決まってる。
お姉ちゃんは、休み時間にはたいてい本を読んでいる。本を読んでれば声をかけられたりすることもないかららしい。
運動も苦手だし、まあ、不器用だ。
あ、でも、ピアノの腕前だけはお姉ちゃんにかなわなかった。
だって、ピアノって毎日コツコツ練習しないといけないでしょう?
「おやすみなさい」
お姉ちゃんの声が聞こえて、はっとする。
お風呂からあがったお姉ちゃんは、もうパジャマになって二階に上がっていくところだった。
あたしはお姉ちゃんの後を追った。
お姉ちゃんはさっさと自分の部屋に入ってしまい、部屋のドアは閉じていた。
あたしは意を決してその扉に向かって一歩踏み出してみた。
すうーーーっ。
うひゃああ!
通り抜けたっ!
あたし、今、お姉ちゃんの部屋の扉を、通り抜けたよ!
確かに通り抜けたのに、感覚が
でもこれって、すごくお化けっぽい。
あたしがそんなことでハイになっていたら、お姉ちゃんは何やら落ち込んでいるようだった。
姿見の前に座り込んで、がっくりとうつむいている。
そして……
はぁぁぁああぁぁ、と、特大のため息を吐いた。
『お姉ちゃん、大丈夫?』
声が届くわけもないのに、あたしはお姉ちゃんの肩に手を伸ばす。
「あたし……」
まるで返事をしてくれるかのようにお姉ちゃんは顔を上げた。
『お姉ちゃん?』
「あたし、このまま生きていくことなんてできないよ……。どうしたらいいの?」
お姉ちゃんは眉をハの字にして、今にも泣きそうな顔だった。
お姉ちゃん、それって、どういう意味?
ポロリと、ついにお姉ちゃんお瞳から涙が溢れる。
あたしはそんなお姉ちゃんを前に、途方にくれていたのだった。