オバケの能力

文字数 5,285文字

 しばらく休んでいたお姉ちゃんは、授業についていくのが、なかなかたいへんなようだった。
 先生に指されたときなんて、この世の終わりみたいに青い顔をして、立ち上がったまましばらく言葉を失っている。

「……わかりません」

 ようやくそれだけ言うのがやっとっていう感じだった。



 中休みにはあたしのクラスメイトがお姉ちゃんのクラスへやってきた。
 仲良しだった女の子が三人、もぞもぞしながらお互いに肘を突っつき合っている。
 お姉ちゃんは「どうしたの?」と首を傾げた。
 さらさらと、セミロングの黒髪が揺れた。
 あたしは猫っ毛なんだけど、お姉ちゃんはストレートなんだ。天使の輪ができるような髪の毛。
 きれいだなあ。
 あたしがお姉ちゃんの髪の毛に見とれている間に、他の二人に押し出されるようにして、一人の女の子がお姉ちゃんの前に立った。

「あの、これ、明日香に返してなかったから……」

 そう言って紙袋を差し出す。

「ありがとう。持ってきてくれたんだ」

 袋の中身を確認しようとしたお姉ちゃんに、お友達は「あ、漫画だから、学校であけちゃダメですよ!」と、慌てる。

「わかった。内緒ね?」

 お姉ちゃんはあたりを見回すような仕草をしてから、そっと唇に人差し指を当てた。
 帰っていくあたしの友達にお姉ちゃんは手を振りながら声をかけた。

「家にも、遊びに来てね! 読みたい漫画があったら、借りてっていいよ!」

 三人の元気のいい返事が聞こえて、少しだけあたしの胸がチクリと痛んだ。 



 それから、今日は体育の時間もあった。
 卓球の授業だった。
 いつもはなかなかペアの相手を見つけられないお姉ちゃんだけど、今日は美羽ちゃんが声をかけてくれた。

「ありがとう!」

 お姉ちゃんはほっとしたような笑顔になる。
 運動神経のあまりいいお姉ちゃんではないけど、今日はかなりラリーが続いていた。

「ねえねえ、わたしも鷲尾さんとやってみたい!」って、べつな子にも声をかけられている。

「あの、鷲尾さんじゃなくて……史香でいいよ」
「本当? わあ、うれしい。わたし史香……と話してみたいって思ってたんだ」
「え? 本当?」
「本当だよー。でもさ、史香ってばいつも本を読んでるし、ちょっと声をかけづらかったってゆーか……」
「……そうよね。確かにあたし、話しかけづらかったよね」

 ってお姉ちゃん。自分のことですよ。

「やだあ、史香ってば!」

 ほら、クラスメイトにも言われてる。

「ほらそこ! 話してないで動け!」

 先生の檄が飛んで、女の子の塊は散っていった。



 美羽ちゃんとは給食の班も一緒だった。
 お姉ちゃんの顔には、まだ多少の緊張を見て取ることができたけれども、笑顔が増えてる。
 うん、いい感じ。
 これならあたしもはやくあの世とやらに行くことができそう。
 でも、あの世に行くにはどうしたらいいんだろう?
 その時が来たら、空からはしごでも降りてくるのかな?

「おーい、はやくはしご降りてこーい」

 教室の後ろで膝を抱えながら上を向いて声に出してみた。
 誰にも聞こえない……って思ってたんだけど、視線を感じてあたりを見回す。

 ――影山那緒!

 影山くんがこっちを見てる! びっくりしたあたしは、壁を通り抜け教室の外へ飛び出した。そしてふと気がついたら、三階の窓の外に浮かんでいた。
 地面が、ない!

「ひゃああ!」

 思わずギュッと目をつぶった……けど……あれ? 待てよ?
 そうだった。あたし幽霊なんだった。
 あたしはふわふわと空中を漂ってみる。あ、思った方向に動くよ! これ、ちょっと怖くて、かなり楽しい。
 天気がよかったら最高かもしれない!
 しとしと雨の中、しばらく空中散歩を楽しんでいたけど、お姉ちゃんの様子が気になって、校舎の方へと目を向けた。
 そうしたらなんと、今度は壁を通り越し、教室を覗くことができてしまった。
 幽霊ってこんな事もできるんだ!
 あ! 大変! 
 給食を食べ終わった影山くんがお姉ちゃんの隣に立って、なにか話しかけてる。
 なに話してるの!?
 すごく気になるのに、影山くんが怖くて近寄れない。
 二言、三言会話をした後、影山くんはお姉ちゃんの隣から離れていった。
 あたしはそうっと壁を通り抜け、またお姉ちゃんのそばに舞い戻る。

「史香って、影山と仲良かったっけ? 昼休みに理科準備室に呼び出すなんてさ」

 そう言ったのは美羽ちゃんだ。

 え? 影山くんが、お姉ちゃんを呼び出したの?
 あたしのなかに、黒いものがじわじわと広がっていく。
 不安。
 なんだかよくわからないけど、影山那緒は危険。そんな気がするの。
 だけど……怖いけど……影山くんがお姉ちゃんに何を話すつもりなのか、ちゃんと確認しなくちゃ。
 あたしは勇気を振り絞り、理科準備室へと向かうお姉ちゃんの後を追った。
 普通、男子が女子を昼休みに呼び出したりしたら、大変な騒ぎになるところだけど、影山くんに関しては絶対にそんな事にはならない。
 だって影山くんって、あまりにも現実離れしてるんだもん。
 いろんな噂があって、お願いしたら除霊をしてもらえるとか、あの長い前髪は、いろんな物(者)が見えすぎてしまうのを防ぐためだとか。それから、式神を操れるなんていう、嘘くさい噂まである。 
 トントン!
 軽くノックをしてお姉ちゃんは理科準備室へと入っていった。
 私はその後を追って、扉を通り抜けようとした。
 だけど……。
 ボワン!
 音がしたわけじゃないんだけど、言葉で言い表すならボワン! という衝撃があって、あたしは弾き飛ばされ、しりもちをついてしまった。
 大きくて、空気のパンパンに詰まったビニールのボールにでも体当りしたような感じだ。

「うそ……」

 今度はそうっと手を伸ばしてみた。やっぱり、跳ね返されるような感覚が手のひらに伝わって、あたしは部屋の中に入ることができない。
 だったら中の様子を見ることは出来ないだろうか?
 目に神経を集中させる。
 とたんに、真っ白な霧の中に迷い込んでしまったような感覚に陥り「きゃ!」と思わず声を上げた。
 これ、もしかして「結界」?
 漫画とかでよくある、結界の中には幽霊や妖怪は入ることができないってやつ!? 
 不安がじわじわと広がっていったけど、あたしにできることといったら、呆然と「理科準備室」と書かれたプレートを見上げることだけだった。
 しりもちをついたまま呆然としていたら「史香ってさあ……」という女の子の声が、どこからか聞こえてきた。
 きょろきょろと見回したけど、周囲に人影はない。
 誰かがどこかで、お姉ちゃんのうわさ話をしてるみたい。
 なんの話をしているんだろう?
 そう思ったとたん、あたしは言葉を発した女の子の元へと、瞬間移動していた。
 そこは、二年三組から一番近い女子トイレの中だった。
 お姉ちゃんと同じクラスの三人組が、鏡を見ながらまつげをカールさせたり髪の毛をとかしたりしている。

「史香って、あんなに運動神経よかったっけぇ?」
「それにさ、もっと根暗くなかった?」
「あれじゃない? 可愛い妹の影でさ、日が当たらなかったじゃない?」
「ああ、明日香ちゃんね。あの子可愛かったよね。愛想も良かったしさ」
「ねえー。史香とは違ってさ。でも確かにあの妹がいたら姉としてはねー」
「比べられなくなって、ほっと一安心って感じ?」
「お葬式でも泣いてなかったって聞いたんだけどぉ」

 意味深な笑いとともに吐き出される言葉。あたしは目の前が真っ赤になったような気がした。
 それってどういうこと? あたしがいたからお姉ちゃんが不幸だったってこと? それに、お姉ちゃんがあたしが死んで、ホッとしてるって? なにそれ!?

『あなたたちなんかにっ……』

 にぎりしめた拳が震える。あたしに肉体はないけれど、そう感じる。

『お姉ちゃんのことがわかってたまるもんですか!』

 真っ赤な感情がとぐろを巻いて、怒りが唇から溢れ出た。
 三人のうちの一人が、きょろきょろとあたりを見回す。

「ねえ、今なんか聞こえた?」
「え? 別に」
「あ、わたしも、なにか聞こえたような……」

 一人の女の子の目が、あたしのいる方向に向けられて、またすぐにそれていった。

「やだ、変なこと言わないでよ」
「誰もいないじゃん」
「な、なんか寒くなったような気がしない?」

 そう言いながら三人は身を寄せあう。
 と、トイレのドアがキィィィィィィー、と音を立てて開いていく。

「きゃああああ!」
『ひゃああぁ!』

 三人が手を取り合いながら大げさな悲鳴をあげる。
 あたしもびっくりして悲鳴をあげちゃった。

「どうしたの?」

 ドアの向こうには、目を丸くしたお姉ちゃんがいた。

『お姉ちゃん! 影山くんとの話は終わったの?』

 思わずお姉ちゃんの隣に飛んでいったけど、肝心のお姉ちゃんにはまったっくあたしの声は聞こえないみたい。

「な、なんでもないよ。授業始まっちゃうよ。史香もはやくしなよ!」

 派手な三人組はそそくさとトイレを出ていった。

「うん……ありがと……って、もう行っちゃった……」

 しきりに首をひねりながらお姉ちゃんは個室に入った。
 しばらくして個室から出てきたお姉ちゃんは、手を洗う。
 鏡の中に映るのはお姉ちゃんだけ。あたしの姿は映らない。
 お姉ちゃんは手を洗い終えると顔を上げ、鏡の中自分自身をじいっとしばらく見つめていた。

「待っててね××××××」

 一言つぶやいて、トイレを出ていく。
 あたしはまるで金縛りにあったように、そこから動くことが出来ないでいた。
 お姉ちゃんの言葉の一部分だけが、聞こえなかった。
 なんて言ったの?
 気になって仕方がない。けれどどこかで、それは思い出しちゃいけない言葉だと思う。
 どうしてだろう?

『そうやって、現実から目をそらすのね』

 だれ?
 見回すけど、トイレには誰もいない。
 妙にくぐもった声だった。
 その声はあたしの中から聞こえてきたみたいで、なんだか怖くてたまらなかった。



 あたしの幽霊としての能力は、どんどん強くなっているみたいで、お姉ちゃんと離れていても様子を感じ取ることができた。
 教室に戻って影山くんと顔を合わせるのも怖いし、午後の授業の間は学校をうろつくことにした。
 しとしと雨の中、屋上や中庭を散策するのも悪くない。
 校舎の廊下はしんとしている。
 ふらふらと漂っていたら、いつの間にやら理科準備室の前に来ていた。
 あたしはそこで立ち止まり、入口に向かってそうっと一歩踏み出してみる。
 またあの、ボワンという衝撃が来るのではないかと身構えたけど、拍子抜けするくらいあっさりと部屋の中に入ることができた。
 つんのめるように扉をすり抜ける。

『ひゃ!』

 思わず声を上げそうになって、あわてて口元を抑えた。
 影山くん! なんで授業中なのにこんなところにいるのよ!
 机に突っ伏したまま寝てるみたい。
 まったく。あたしが影山くんに会わないようにしてたっていうのに、なんでこんなとこで寝てんのよ?
 ふと気がつくと、影山くんはメガネを外している上に前髪も横に流れているて、目元があらわになっていた。
 めずらしい!
 あたしは興味津々で、影山くんに近づいてみた。
 へえ、けっこうまつげが長いんだ。
 なんて、見つめていたら、影山くんのまぶたがピクリと動いた。
 すうっとまぶたが開いて、黒い瞳が……。
 ばち!
 目があって、あたしは固まってしまった。
 影山くんも、机に突っ伏した姿勢のまま、瞬きもしない。
 たっぷり五秒は至近距離で見つめ合ってたんじゃないかと思う。
 影山くんはおもむろに体を起こし、メガネを掛けると、ブリッジをくいっと押し上げながら「いい加減にしないと戻れなくなるぞ」と言った。

『えと……影山くん……あたしが見えるの?』
「朝からずっと見えてるけど」

 やっぱり! あたしは立ち上がると、一歩後ろに下がった。

『戻れなくなるって、なに?』
「だから、自分の体に戻れなくなる」
『何言ってるの? あたしの身体はもう、燃えちゃったでしょ?』

 あたしの方を向いた影山くんの口がぽかんと開いていた。 

「おまえ、まさか……記憶が混濁してるのか?」

 とっさにあたしは瞬間移動していた。聞いちゃダメだ! そんな気がしたからだ。
 その時またもう一人の自分の声が頭の中に響いてきたのだ。

『逃げるの? 逃げてどこに行くの? 自分自身からは逃げられないのよ!』

 やめて!

 あたしは両手で耳をふさぎ、雨の降る校庭でしゃがみこんだ。
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