第3話

文字数 1,231文字

 ムラト二世が崩御されました。皇帝の子を産まなかったハレムの女たちは、故郷へ帰るか、新たな嫁ぎ先を見つけてもらうか、『嘆きの家』へ赴くならわしです。マラ・ハトゥンがどのように決められようとも、私は付いていくつもりでおりました。メフメト二世の即位に伴い、ハレムも新たな序列に基づいて、部屋の入れ替えや改築がございます。そんな時、セルビアからの使者がやってきて、ハトゥンを引き渡すよう求めたのです。ムラト二世が存命のうちは、セルビアの臣従を示す人質としてハレムに閉じ込めていた娘を、ムラト二世が崩御なされば、その必要も無くなったということなのでしょうか。老獪なトランシルバニア公とセルビア公にとって、若いメフメト二世は御し易いと判断されたのかもしれません。

 古い土地とは往々に恐ろしいものです。セルビア公位を巡る争いと、近隣諸国との相次ぐ戦争・政争が、ブランコビチ家を蝕んでおりました。弟のステファン様はオスマンへの反逆のかどで(めしい)になっていらっしゃいました。ハトゥンがお戻りになると、オスマンにおもねって甘い汁を吸ったと(なじ)られるのです。誰が望んで故郷を踏みにじった支配国に嫁ぎ、言葉も習慣も違うなか監禁同然に一人住むというのでしょうか。それを女だから受け入れなければならず、戦場へいけないからと言って、見下すとはどういうことなのでしょう。

 やがて、セルビア公がハトゥンを呼び戻した理由がしれました。今度は、ビザンツ帝国のコンスタンティノス十一世に輿入れさせようというのです。ローマ帝国の正統を受け継ぎ、正教会の総府を擁し、オスマン帝国との間で同盟と衝突を繰り返す、気高く壮麗なコンスタンティノープル。ハトゥンのお母上はビザンツ帝国の有力なギリシャ人貴族出身でいらっしゃいます。何よりも、キリスト教諸国に脅威を与え続けてきたムラト二世が亡くなられ、いまだに臣下からの支持も盤石でないメフメト二世を追い落とす機会であり、セルビアとビザンツが結びつくための格好の道具と見なされたのです。

 ハトゥンは拒絶されました。あのように激昂されたハトゥンを、私は初めて目にいたしました。そんなことになるくらいなら、修道院に入れてくれ、と病床のセルビア公に懇願されましたが聞き入れられませんでした。私はハトゥンがお気の毒でならず、こっそりとメフメト様に早馬を送りました。メフメト様はすぐに戻ってくるよう、ハトゥンに小さな領地を準備したと仰って下さいました。しかし突然、セルビア公が身罷られたので、婚儀の話は立ち消えとなりました。公位を争う兄弟たちの一人が秘密裏に手を下したのだとも、メフメト二世が耳役に命じたのだとも言われましたが、誰もしかし、彼の娘自身によるものだと考えもしなかったのは、やはり私たちが女であるからでしょうか。

 ハトゥンは、オスマンのハレムに戻ってらっしゃいました。私は、どこまでもついていくだけです。私にとっての母なるもの、神なるものは、もはやただ一人だったのです。
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