第15話 時の極律

文字数 3,674文字

 京子は、仕事をさせるとなかなかのやり手だった。花江も協力してくれたことで百人力となって、ラゴスの船出は順調に進んだ。
 まだ、所属タレントはいないが、イベントは高辻家の力で切れ目なく入ってきた。照明音響そして人の手配など、京子と花江は上手にこなしてくれた。吾朗は、ほとんど決まっている契約をまとめるくらいの仕事でよかった。この毎日が、このまま続いていくものだと吾朗は思い込むようになった。
 半年が過ぎようとしていた。
 京子が急に高辻邸を出て事務所を構えましょうと言い出した。
「急にどうしたの」
「吾朗も、そろそろ自立した方がいいと思うの」
 この頃になると、京子は吾朗を呼び捨てで呼ぶようになっていた。それだけ気を許しているということかと吾朗は感じていた。もっとも、吾朗の方はといえば、まだ「京子さん」だった。別に気を許していないわけではない。何となく、癖のようなものだ。
「じゃあ、事務所を探さないとね。どこがいい?」
 返事はなく、笑って誤魔化された。
 更に、何日か経って、今度は、
「吾朗は、常巖大学の先生を知ってるって言ってたよね」
と、聞いてきた。
「知ってるよ」
 吾朗は道成のことだと思った。
「会ってみたい」
「いいけど、もう定年じゃなかったかな」
「お願い」
 京子は強引だった。吾朗は仕方なく道成の名刺を探した。名刺はすぐに見つかった。しかし、名刺の番号は大学だったので、なかなか道成には辿り着けなかった。まだ大学にいて、名誉教授になっているという。しかし、いつ大学に来るかは本人次第との話で、事務員に伝言し、折り返しをお願いしてもなかなか返信がなかった。
 もう直接出向くしかないかと半ば諦めていた矢先、出先の食堂で昼飯を食べているときに、不意に吾朗の携帯が鳴った。相手も携帯で、登録がなかったため、吾朗は最初警戒しながら、電話に出た。
「羅村さん、お久しぶりです」
 道成の声は意外に若く、元気がよかった。吾朗は簡単に自分の現在の仕事の話をして、三沢春子が道成に会いたがっていることを伝えた。
「今、ここにいるのかね」
 道成が押し殺したような声で聞いてきた。
「いる。一緒に仕事をしてる」
「それは、すごい。聞きたいことは山のようにあるんだ。いつ会える」
 話は早かった。吾朗は週末に常巖大学に出向くことで、道成の了承をとった。週末なら、学生も少ないだろうし、京子が過去に引き戻されるリスクも回避できると考えたのだ。道成も、吾朗の考えに同意した。あとは、京子だけだ。
「いいわよ」
 京子も、あっさり同意した。
 週末に吾朗は京子とともに、常巖大学に出かけた。
 道成の研究室は、前に来た時と同じところだった。社会事象学のフロアには最早教授室はなく、名誉教授室となっていた。
 道成は待っていた。ドアをノックすると、すぐに扉を開けたので、そうだと分かった。その上、お茶と茶菓子まで用意していた。
「三沢春子さんです」
と、吾朗は京子のことを紹介した。
 京子が小声で「どうしたの」と聞いてきたので、「その方が通りがいいんだ」とだけ答えておいた。
 テーブルが挟んで、道成は興味津々に京子のことを見ている。でも、自分から話しかけようとはしない。
 京子はといえば、自分から常巖大学に行きたいと言った割には、黙っている。吾朗は、どうしたものかと思案した。
「京子さんとは、神田明神で会った」と吾朗が言うと、道成は堪えていたものがほとばしるように喋り出した。
「三沢春子さん、いや春子さんとお呼びしていいですか。僕は、まだ学生時代にあなたのような時をスライドする現象の話を聞いて、それからずっとその現象を研究しているんです。この羅村吾朗君に聞くところによると、あなたは何度も時をスライドしている。それは、わたしの研究によると、前々世紀から起きている異常現象が影響している」
 話は終わりそうにない。
「ご存知か。一度新しい現状が起きると、同様の現象が続けて起きる。どこかで戦争が始まると、まるで伝染病のように別の場所でも別の戦争が起き、さらに別の場所で・・・と広がっていく。やがては世界大戦だ。流行も同じ。世界各地に伝播し、繰り返される」
「それが、私とどう関係があるの」
 京子がしびれを切らしたかのように尋ねた。
「あなたは時間をスライドして、羅村君に会った。羅村君はあなたの引き起こした現象に引きずられたと言える。羅村君の時空スライドは、あなたをまた異なる時空にスライドさせ、羅村君に引き合わせた。時系列は異なるが、あなた方は何度も出くわしているし、今もこうして会っている」
 道成は自信満々だ。
「仏教でいうところの縁というものかもしれないし、何か深いメカニズムがあるのかもしれない。今はまだ分からない。お二人は互いに引き合うように、時空をスライドしている」
「スライドって何。時間って遡ったり、未来に下ったりするものじゃないの」
「お二人の場合、確かに羅村さんは時間を遡っています。春子さん・・・いや、京子さんは下っている。時間軸の方向が異なります。これは、時間軸の接合による時空スライドといった方がいいのではないかと私は考えています」
「元に戻ることはないの」と京子。
「元というのは?」
「わたしがここにくる前の時代・・・つまり、戦時中のことよ」
「そうですね・・・あまり事例がないので、断定はできませんが、あなたは二度自分の時代に戻っている。今回、それが起きないという保証はないと思います」
「じゃあ、あそこに戻るかもしれないのね」
 京子は諦めたかのように呟いた。
「何か、方法はないのか」
 吾朗は道成に聞いた。道成はすまなそうに、
「行った先の時空にずっとい続けたという事例がないんです」と答えた。
「いずれ元の時代に戻るってことか」
「・・・その可能性の方が高い」
 京子はじっと自分の手を見ていた。そこで初めて吾朗は気づいたのだが、京子は両手に薄手の手袋をしていた。手だけではなく、肘の上までかかっていて、袖の長い服を着ている所為もあって、ほとんど肌の露出はない。日焼けを気にする人が着るような格好だった。
「大丈夫。元の時代に戻ることはないよ」
 吾朗の言葉に、京子は寂しそうに微笑んだ。心なしか、その顔の化粧も以前よりは濃いように思われた。
 吾朗と京子が研究室を出ようとした時、道成が追いかけるようにこう付け加えた。
「子供の頃の記憶にある場所にはいかないこと。そして、懐かしいと感じるものから離れていること・・・それを守ってください」
「そうすれば、ここに居られるのか」と吾朗が問うた。
 道成は、力なく笑って見せた。

 道成の話を聞いてからますます、京子は外出を控えるようになった。ただ、事務所の移転はやりたいらしく、しきりに吾朗をせっついてくる。その話を延彦老にすると、とても寂しそうな顔をする。吾朗はどうしたらいいか、花江に聞いた。
「大丈夫よ」と花江は笑った。
「どっちが」
「延彦爺さん」
「悲しそうだよ」
「自分の母親の希望なんだから、最後は応援するわよ」
 吾朗は仕方なく、延彦老に気づかれないように事務所を探した。しかし、京子は焦っている様子で、言葉にはしないものの態度のあちこちに苛立ちが滲み出てくるようになった。
 吾朗に話、その理由は分からなかった。自分が外に出れないのが原因かもという程度の理解だった。
 その内、花江も手伝ってくれるようになった。花江が気にいるのは、昔店を構えていた神田の周辺が多い。吾朗としては、神田明神の近くは避けたかった。
 少し離れた南神田ということで、吾朗は妥協した。旧町名は吹耐(すいたえ)という。風の強い地域だったようだ。
 小さな二階建てビル一棟を安く貸してくれた。裏で延彦が手を回してくれたようだった。
 吾朗は二階を住まいとし、一階を事務所に決めた。そのことを京子に話すと、京子は何かホッとした感じだった。
「一緒に住むかい?」と聞くと、意外にも「家から通う」と言う。そして、「事務員を雇って」とお願いしてきた。
「手伝ってくれないの」と聞くと、「手伝うわよ」と答える。
「出勤時間中に何か起きないといいけどな」
「そうね。リスクだわね。でも、あなたの為なの」
 吾朗は京子の考えが分からなかったが、従う他なかった。
 事務員を公募したが、なかなかいい人に出会えなかったので、結局、また延彦の伝手にすがった。
 旧公家の出で、昔は陰陽師もしていた家系のおばさんを雇うことになった。宮樋佳苗という。とても気のつく人で、経理や総務に明るく、経験もあった。京子の負担を減らすことができると吾朗は考えた。
 しかし、その所為か、京子は次第にラゴスの事務所に顔を出さなくなった。
 吾朗が高辻邸に顔を出すと、京子は元気そうに振る舞うのだが、自分からは事務所に来てくれない。花江さんに聞いても、微笑むばかりで何も話してはくれない。
 吾朗は京子が何かを隠していると感じていた。しかし、吾朗の方からそのことを聞くことはしなかった。いつか話してくれると信じていた。
 その時が来たのは、また三ヶ月過ぎた頃だった。
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