2 内向の世代?

文字数 2,542文字

2 内向の世代?
 小田切秀雄は、1971年3月23日付の『東京新聞夕刊』の文芸欄において、同時代の文学傾向について、「自我と個人的な状況のなかにだけ自己の作品の真実の手ごたえを求めようとしており、脱イデオロギーの内向的な文学世代として一つの現代的な時流を形成している」と書き、彼らを「内向の世代」と命名する。この「内向の世代」のカテゴリーには、論者によって多少の違いはあるものの、古井由吉、小川国夫、阿部昭、黒井千次、高井有一、後藤明生、坂上弘、辻邦生、田久保英夫、柏原兵三、加賀乙彦、三木卓、宮原昭夫、岡松和夫、古山高麗雄、野呂邦暢、日野啓三、大庭みな子、富岡多恵子、上田三四二、饗庭孝男、秋山駿、川村二郎、森川達也、柄谷行人などが含まれる。

 ほとんどが昭和10年代に生まれ、幼い頃に戦争を体験し、60年安保の頃に学生生活を送り、社会人になった後に、70年前後に作家生活に入っている。彼らは、共通して、方法論的志向が強い書き手である。阿部昭のように、理論的方法を意識していない書き手もいたが、彼の場合、理論を反動的に斥けること自体が方法論的とも言える。

 「『内向の世代』に、政治的なラディカリズムとは違った一種のラディカリズムを見ていたが、結局それは物足りなかった」と振り返っている柄谷行人は、『漠たる哀愁』において、「内向の世代」について次のように説明している。

「内向の世代」は、小田切秀雄が命名したものだが、それ以後彼がどう命名しようとそんなふうに「──世代」として定着したことがなかったところからみれば、これはたぶん最後の「文学世代」だったのだろう。日本の近代文学史は、新人が出て来るとき、前世代を否定すべき新しい主張を共同的に掲げて登場することを示している。あとでバラバラになるとしても。この現象が終ったということは、いわば「近代文学」が終ったということである。
 もっとも「内向の世代」に新しいスローガンなどなかったし、積極的に結集したのでもない。ただ、それはある否定性においてのみ、共通していた。その点では、「戦後文学派」に対して「第三の新人」と呼ばれた人たちの登場の仕方と似ている。「内向の世代」の前にいたのは、大江健三郎だといっても過言ではない。大江健三郎が戦後文学派の課題を吸収してしまっていたとしたら、同世代の作家が位相的に安岡章太郎や遠藤周作といった「第三の新人」に似てくるのは当然であろう。彼らはほぼ大江と同世代であった。そして、同世代に大江がいたために、その文学的出発を遅らされ、一旦作家になることを諦めた人たちであった。彼らはそれぞれ非文学的な勤め人の生活を経験していた。
 彼らは、主観性やアクチュアリティを拒否するところから始めた。その意味で、政治的現実から背を向けて「内向」する作家たちとして否定的に位置づけられたのである。私はそういう評価に反対だった。古井由吉や後藤明生は、「第三の新人」とはちがって、内向しうるような自己や内面をまったく信じていなかった。自己そのものが「関係」でしかないという視点を、これほど明確に方法的にもっていた作家たちはかつていなかった。中上健次もまたここから出発したのである。これに比べれば、「全共闘」の物書きの方がはるかに内面的だったし、今なおそうである。

 「内向の世代」の姿勢は内面の芳純さを欠いているがゆえに内向し、空虚を言葉の綾で埋めていくマニエリズムというわけだ。彼らは近代文学や小説を可能たらしめるものを意識している。そうした考えを持った彼らに「内向の世代」という呼称を用いることには問題があると多くの批評家から指摘されているし、そのカテゴリーに括られることを拒絶している作家も少なくない。

 いずれにせよ、内向の世代の作品の文体はそれぞれに個性的であることは、次の例からも、確かである。

 三月の或る夕暮れに、私は公園の枯芝の上で十人ほどの若い娘たちが奇妙な円陣を組んで息をこらしているのを見た。
 物の影が淫らな生きもののように伸び出す春先の日だった。ちょうど一時間ほど前に地下鉄にちょっとした事故があって、まだどの駅でも乗車制限がおこなわれており、私もいましがたまで地下道の牛歩についていたが、列からまだ離れられるか離れられないかの境い目でこれ以上の混乱がふと嫌になり、最寄りの国電の駅に向かって一人で歩き出したところだった。
(古井由吉『円陣を組む女たち』)

 ある日のことである。わたしはとつぜん一羽の鳥を思い出した。しかし、鳥とはいっても早起き鳥のことである。ジ・アーリィ・バード・キャッチズ・ア・ウォーム。早起き鳥は虫をつかまえる。早起きは三文の得、わたしは、お茶の水の橋の上に立っていた。夕方だった。たぶん六時ちょっと前だろう。
(後藤明生『挟み撃ち』)

 木のドアから漏れていた月の光は、朝の光に変って行った。浩はそれをずっと見ていたが、それでもドアを開けてバルコンに出た時、明るさは意外だった。空は真白い壁の綾で切り取られていて、すぐ蕎麦の天井のようにも、遥かにも感じられた。壁はこの人が空を見る時の額縁だった。
(小川国夫『アポロンの島』)

 いくら彼がこのいとこが好きでも、二人がいつまでもこんなふうに小間物を並べて遊んでいるわけにはいかないことぐらいは、わかっていた。これは大したことではなかったろうか? 子供が、自分たちの感情生活が大人たちに一瞥もされない幼年時代の早い時期に、もうこの人生の漠たる哀愁だけは知ってしまうというのは。もしそうだとしたら、あとわれわれが学ぶべきどんな重大な事柄が残されているというのか?
(阿部昭『千年』)

 これらはほんの一例である。近代的自我が内属していた線的な時空間の認識はここには見られない。彼ら以前の作品では、文章の順序と時間の順序が一致し、空間は近代的な遠近法に従っている。ところが、彼らはそれに従っていない。最もオーソドックスな阿部昭の場合でも、子どもは大人へと線的に成長していくという近代的な発達の常識、すなわち教養小説の前提に異議を唱えている。彼らの作品の中では近代的な時空間の知覚が解体・再構成され、「知覚の冒険」とも言うべきユニークな文体に覆われている。
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