4 世代の消滅

文字数 2,666文字

4 世代の消滅
 世代によって文学を把握するのが近代的発想であるとすれば、文学世代が消失したのは、その意味で、必然的であろう。この内向の世代と大江健三郎を批判的に継承したのが中上健次である。『岬』(1975)により戦後生まれとして初の芥川賞を受賞しているように、彼は新しい時代の中で生まれ育ってきた作家である。

 島崎藤村の『破戒』をプロトタイプとする日本近代文学の主流である自然主義文学から派生した私小説と物語の枠組みだけを残し、自分の修辞法で描くと、風景が一変し、多様な意味が創出される。中上は被差別部落出身であり、消えゆく「路地」を通じてそれを真正面から描くとき、大江の日本近代文学の集大成という試み自体が転倒される。こうした中上の文体は審美的ではなく、土木工事の荒々しさと緻密さが見受けられる。内向の世代が日本近代文学の終焉を予告し、中上健次はそれを展開する。

 中上健次が『枯木灘』を刊行した1977年、村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎は、『保守政治のビジョン』という報告書を政府・自民党に発表する。彼らは、三木武夫内閣時代に政策提言を始めた政策構想フォーラムのメンバーである。高度経済成長は大量の「新しい中間階層」を登場させたが、これはどのようにしてそれを保守政治の支持基盤とできるかをテーマとしている。

 この報告書の議論は一九七五年版のSSM調査を根拠としている。先にも触れたが、これは社会階層や不平等、社会移動、職業、教育、社会意識などに関する社会調査であり、社会学者の手により、1955年以来、10年に一度実施されている。1975年の調査結果は、調査対象は男性のみであるが、階層構造と社会移動の変化や地位達成過程、地位の非一貫性、職業威信などに特長が見られることを明らかにしている。

 この時期は高度経済成長が終わり、一桁成長の安定成長期であるけれども、まだ高度成長期後半の特徴が依然として残っている。「中流」意識を持つ人々の比率は全体の約七五%にも及んでいる。この調査からコンピューターが採用され、詳細な分析が可能になっている。それによって、日本社会でも文化資本の蓄積が進みつつある、すなわち親の財産・地位が本人の学歴が地位達成に強い規定力を持っているとの結果が提示される。また、地位の一貫性──職業的地位の高い人は学歴・所得・権力など他の地位も高いという状態──の暗黙の了解が崩れ、地位の非一貫性という特徴が顕在化しているとしている。それは社会的アイデンティティが曖昧になってしまったとも言い換えられる。

 これを受けて、『保守政治のビジョン』は、小さな所得格差、ほぼ等しい教育水準、マスメディアの全国普及による共通の生活様式は「新しい中間階層」を生み出したと提起する。彼らは既得権益を守ろうとする保守的姿勢と政治的決定をテクノクラートに「委任」するが、その反面、社会的問題を無視し得ない「心のうずき」を抱え、社会に積極的に「関与」したいという二面性を持っている。

 「新しい中間階層」の「委任」と「関与」の拮抗を保守政治は利用して、彼らをとりこむべきだと同報告書は提案している。これは、80年代の中曽根康弘政権に生かされ、高い支持率に支えられて、サッチャリズムやレーガノミックス同様の新保守主義政策が実施されていく。

 80年代までの社会批判は反体制の意味合いがあったが、豊かさが達成されて以後は、日本人の生活している現代社会そのものに対するものへと変質している。戦後日本を考えるとき、70年代と80年代の間には断絶がある。日本は、戦後の米ソ冷戦構造に依存し、80年代には経済大国へとのしあがっていく。

 自動車・家電産業を中心にして巨額の貿易黒字を築きあげ、世界第二位の経済大国に成長し、東京は、世界で、最もファッショナブルかつハイテク化された都市を自認するようになる。日本人が国際的緊張関係を感じ始めたのは、80年代後半以後であり、それまでは外部への意識を閉ざし、内向的である。外からあらゆる情報が伝わっているにもかかわらず、日本は外部を向かない。

 鄧小平の中国は社会主義市場経済に政策を転換し、「東側陣営」などという概念を過去の遺物とする勢いを見せている。戦後の国際秩序の改変はもうそこまで来ている。「委任」と「関与」の間で揺れ動く新しい中間階層は外部に関心がないわけではないが、「心のうずき」はあっても、そこに現実感を覚えない。過剰なまでの情報によって外部を認識していながら、そこに接触することができない。知ることはしても、考えることには不熱心である。

 全共闘運動の敗北を見た新しい中間階層は現実を改革する気もないし、現実を悲観的に無視することもない。ただ彼らは傷つくことを極端に恐れる。新しい中間階層は新しい都市の住人であり、現状を否定せず、受け入れる。この豊かさを謳歌する社会的・時代的状況にふさわしい文学の登場を新しい中間階層は待ち望んでいる。それに応えるべく、日本文学は、80年代を迎えて、急速に変質する。

 村上春樹はこの新しい中間階層が求めたと言えるだろう。その愛読者同様の委任=関与の姿勢が彼には見られる。ノモンハン事件や地下鉄サリン事件などを扱いながらも、村上春樹は委任=関与の段階にとどまっている。村上春樹は新しい中間階層の文学、委任と関与の文学、「心のうずき」の文学であり、それは今も変わらず、読者も同じメンタリティを共有している。

 “My Generation”から”Generation”が消えたなら、”My”だけが残る。村上春樹は、自意識の優位を確認する小説を発表し続けている。委任=関与の弁証法は、結局、自意識の優越に帰着する。あれからさらに変化を経験したにもかかわらず、現代日本は自意識の社会から依然として抜け出せずにいる。
〈了〉
参照文献
阿部昭、『千年・あの夏』、講談社文芸文庫、1993年
天川晃他、『日本政治外交史』、放送大学教育振興会、2007年
小川国夫、『アポロンの島』、講談社文芸文庫、1998年
柄谷行人、『意味という病』、講談社文芸文庫、1989年
同、『畏怖する人間』、講談社文芸文庫、1990年
同、『終焉をめぐって』、講談社学術文庫、1995年
同、『日本近代文学の起源』、講談社文芸文庫、2009年
後藤明生、『挟み撃ち』、講談社文芸文庫、1998年
古井由吉、『円陣を組む女たち』、中公文庫、1974年
ハリー・サムラル、『ロックのパイオニア』2、深津和道訳、東亜音楽社、1996年
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