おじいさん猫2

文字数 2,292文字

 実はぼくは、そのときまで首輪というものを知らなかった。
 ぼくが初めて首輪を着けられたのは、それからしばらく過ぎたある日のことだった。
 その日、後に友達になるあの人間が、突然ぼくに首輪を着けたんだ。
 
 ぼくは驚いて首をぷるぷると振り、そして後ずさりした。
 首に何かが引っかかると、首をぷるぷると振ればたいてい外れるし、垣根をくぐり抜けるときに、首に木の枝なんかがからみついたときは、後ずさりすれば簡単に外れる。
 だからぼくが初めて首輪を着けられたとき、首をぷるぷると振り、それでも外れないので今度は後ずさりした。

 だけどいくらぷるぷるしても、いくら後ずさりしても、首輪は外れなかった。
 とにかくぼくはその日、一日中そういう事をやったんだ。

 だけど結局、首輪はどうしても外れなかった。
 不思議だった。

 それでぼくは、首輪を外す事を豪快にあきらめた。
 それに考えてみると、ぼく生活に何の支障もない。
 だからその首輪は、それからずっとぼくの首に付いていた。

「どうじゃ。しゃれた首輪じゃろう」
「ぼくにはよくわらないけれど、でもよく似合っていますよ」
「そうじゃろう」
「ところで首輪って、いったい何のためにあるのでしょう?」
「わしにもようわからん」
「そういえば、人間と暮らしている犬も、そういうものを付けていますよね」
「あれは人間が犬を動けぬように縛り付けるための物じゃ。じゃが猫の首輪が何のためにあるのか、わしにもようわからんのじゃ」
「そうなんですか」
「じゃが、この首輪のおかげで、わしは命を救われた」
「命を?」
「そうじゃ」
「誰に?」
「人間じゃ。お前さんに、時々『こんにちは』と話しかけるじゃろう」
「あの変な人間…、ですか?」
「そうじゃ。じゃがわしは、実は昔、ほかの人間に飼われておったのじゃ」
「ほかの人間? あの変な人間ではなくて?」
「そうじゃ。じゃがどういういきさつでその人間にわしが飼われるようになったのかは、わしもよう覚えておらん。それはあまりにも遠い昔の話じゃ。おそらくわしが仔猫のころのことじゃろう。まあそれは良いのじゃが、人間というのは時々引っ越しをするのじゃ」
「引っ越しって、何ですか?」
「ある日突然、人間は家の中のいろいろな物を自動車という大きな動く箱につめて、どこかへ行ってしまう」
「どうして?」
「狩りが出来なくなり、縄張りを変える為なのかも知れんが…、しかしその理由はわしにもようわからん。ただ、その時わしの飼い主が引っ越したのは、たしか真夜中の事じゃった」
「真夜中?」
「そうじゃ」
「でもどうして?」
「それもわしにはわからん」
「真夜中というのは、もしかして引っ越すところを他の人間に見られたくなかったからではないでしょうか?」
 
 ぼくはゴミ置き場で食べ物を探すのは、真夜中と決めていた。それは人間に見付からないためだ。人間はぼくらみたいに夜行性じゃないから、夜はたいてい家で寝ている。
 だから人間が夜中にその「引っ越し」などという大それた行動を起こすはずがない。
 それは他の人間に見られたくなかったからではないのか…
 何となくぼくはそう直感したのだ。

「しかしまあ、何のために夜中に引っ越しをしたのか、などという事は、今さらどうでもよいことなのじゃな」
「まあ、そうですよね」
「それでじゃ。わしは目がよう見えんから、音とか雰囲気で人間の様子を感じておった。最初のうち、わしは人間が何をしておるかわらんもんで、それでわしは、おろおろしておった。そしたら人間はいろんな物を自動車の中に入れ、そしてわしはいつの間にやら家の外に出され、やがて自動車がバタンと音をたてて、ブーと走って行きおった」
「それから?」
「それからどういうわけか、わしは家に入れんようになった。それでわしは庭で途方にくれたのじゃ」
「そうだったのですか…」
「ところが家の縁側には、いつもより大きな器にたくさんのキャットフードが山盛りに入れてあり、水も大きな器に入れてあった」
「キャットフードって何ですか?」
「よう分らんが、とにかくものすごくおいしい食べ物じゃ」
「ぼくは野良だから、そんなもの食べたことないです。いつも虫とかネズミとか、ごみ置き場にあるものとか…」
「そうじゃろうな。まあとにかく、キャットフードとは、とてもおいしいものなのじゃ。しかし、実はわしはキャットフードという物は、人間が自動車というあの大きな動く箱を使って、どこかで狩りをして捕まえてくるものだろうと思うておる。どこで狩りをするのかは、わしにも分らんが」
「狩りを?」
「というのは、人間がキャットフードを連れて帰るときは、必ず自動車で帰って来るからじゃ。まあそれはいい。とにかくその夜、いつもよりたくさんのキャットフードが置いてあったのじゃ。それでわしは大喜びでそれを食べた。とても全部は食べきれんので明日また食べようと思い、その夜は縁側で寝た。じゃが次の日、人間は帰って来んかった。次の日も、その次の日も…」
「どうして?」
「わしにも分からんが、まあそれもよい。で、そのキャットフードはどんどん減るし、あげくには、アリがうじゃうじゃたかってきた。それはまあ、そのまま食べればいいから問題ないが、それよりも問題は水じゃ。だんだん古くなり不味くなったのじゃ。それでわしは、おいしい水を求めて旅に出た」
「え! 目が不自由なのに?」



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