第15話 ダンジョンでトイレに行ってはいけない

文字数 3,049文字

 中は薄暗かった。かつてのホテルの面影はたしかに残ってはいたが、その色合いはホテルではない。油断ならない緊張感を感じさせていた。スモークがかったフロアは視界を曖昧にしていた。かつてのフロントには誰も立っていない。誰も歓迎していないし、誰も拒絶していない。
 「死んだら城」は考えようによっては、名前のとおりかもしれない。かつてこの町を支えていた象徴的なホテルだった。そのホテルが死んで、城になったのだ。

 3人はそれまでの旅の過程から完全に隔離されたこの異様な空間に飛び込んでから、話すことを忘れてしまったように、周囲に目だけを動かしていた。

 方向を示す案内板とか標識などはなかった。
 エレベーターは使えないようだった。
 開けっ放しのドアには骸骨が外に逃れるような姿で倒れていた。
 階段のところどころには魔物の死骸が転がっていた。

「どこに行けばいいんだろうね」
 場の雰囲気に少し慣れてきて、Mは口を開いた。
「やっぱり迷路みたいになってるのかね」
「途中で魔物とか出るかもね」
「魔物じたいはいいけどさ、なんかウンコしたくなってきた」
 Kはそう言うと、バツの悪そうな笑顔で言った。
「ダンジョンでウンコはないだろう…」
 Sはため息まじりで苦笑いした。
「行きたいものは行きたいよ。なんで本当のロープレにはトイレというものがないんだ?」
「世界観がぶっ壊れるだろうが」
「あそこにトイレあるよ」と、Mは言った。
 Kは男性用トイレに入ったが、
「なんか使用中止の張り紙がしてあった」
「じゃあ女性用のところに行けよ」
「やだよ。通報されたらどうするんだよ」
「誰が通報するんだよ」
「そうだけどさ…」
 Kはしぶしぶ女性用トイレに入った。

 MとSはしゃがみ込んだ。
「『死んだら城』には時間制限はあったっけ?」
「ないな。聞いてないな」
「今、6時過ぎてるじゃない。魔物たちからすると、いつまでも僕らがここにいたらまずくない?」
「まずい? ああ魔物業的にまずいってことか…」
「ということはさ、僕らがダラダラやってたら、彼らはサービス残業になるんだよ」
「でも『ラジオたいそうおじいさん』の奥さん、ここで働いてるって言ってたよな。ほとんど帰らないとか」
「…やっぱりホテル業の延長か。交代制なのかもね」
「それにしてもヒントがないのはしんどいよな」
「そうだね」
 二人はしばらく、今までの旅について語っていたが、最後はお金の話に行き着いた。
「これさ、クリアしたら1億2000万円だろ。簡単にはいかないと思うな」
「僕もそう思う。今までとは桁違いに難易度が違うと思う」
「すごい大仕掛で絶対クリアできないようにさせるんじゃないかな」
「そうなったら500万円痛いよ。返済計画って考えてる?」
「ないよ。何が、ご利用は計画的に、だよ。あの手この手で使わせようとしてるしな。ほんとここで賞金取れなかったら後がやばい。でも取れたらめちゃくちゃハッピーだ」
「税金ってどうなんだろうね。一人4000万円だとして半分はもってかれるから、手取りで2000万円くらい。そこから今回の費用を差し引くと1850万円くらい」
「そう考えるとびっくりするくらい少ないな」
「あの賭博場は痛かったね」
「あのままやってたら初日でゲームオーバーだったよ」

 Mはトイレのドアに目をやった。
「そういえば、Kはトイレ長いね」
「ついでにシコってんじゃないか?」
「射精して死んだくせに懲りないなあ」
 Mは立ち上がって、ドアを開けた。
「おーい、まだ~?」
 返事はなかった。
「おーい、K、腹イタひどいのか?」
 返事はなかった。
 Mは中に入って、個室のドアをトントンと叩いたら、力なくドアは開いた。
 誰もいなかった。
「K、いないぞ!」
 Sも入ってきた。
「まさか警察に連行されたとか」
 二人は壁や天井を見たが、ふつうのトイレだった。
 掃除用具入れを開けたが、とくに変わったところはなかった。
「密室だよね、ここ」
「便器に流されちゃったのか?」
 二人はしばらく眺めていてたら、Sは、「あっ、俺もウンコする」と言ったので、Mは個室から外に出た。
 Sがドアをロックして、便座に座る音が聞こえてきた。
 しばらくして、トイレットペーパーを引き出す音が聞こえてきた。
 水を流す音が聞こえた。その音はだんだんと大きくなっていった。
 滝が流れるような音になっていた。しばらく続いた。
 音が止んだ。
 Sは出てこなかった。
「おい、どうした?」
 返事はなかった。

 Mはドアをノックしたら、ドアは力なく開いた。
 Sはいなかった。
「どういうことだよ…」
 Mは身震いした。
 Mは便器の中を見て床や壁、天井を見たが、変わったところはなかった。
「どうして消えた?」
 壁を触ってみたり、トントン叩いてみた。別に変わったところはなかった。
「おい、どうなってんだよ…」
 Mはトイレを出た。

 Mは薄暗い廊下をてくてくと歩きながら、自分の身に何が起こるのかを想像していた。一人で歩くのはなにげに怖い。お化け屋敷と一緒だ。分かっていても怖い。
 Mは歩きながら、一つ一つの部屋のドアを開けてみた。
 かつてのホテルの部屋は荒れていた。ベッドの上は骸骨が寝ていた。床は血糊で赤く染まった場所があって、そこに得体の知れない魔物のようなものが横たわっていた。
 こうした部屋を一つ一つ覗いてみたものの、奥まで入ってくまなく見ていくほどの勇気はなかった。
「ヒントらしいヒントがない…」
 Mはこのまま時間無制限に歩き続けるのかと思うと、はやくこの「死んだら城」を出たくなってきた。
「KとSを探さなきゃなあ」と思い直した。

 Mは階段を上がっていった。一つフロアが上がったところで、見栄えは変わらない。
きちんと整えればただの客室が並んでいるにすぎない。

 Mはふと考えた。最後の決戦があるとすれば、こんな客室ではないはずだ、どこか大きいところが選ばれるはずではないか、とすればこのフロアを歩くのは意味がないのでは…。

 彼はさっそく階段を降りていった。1階のフロントまで戻っていった。
 外が見えると、Mは息抜きをしたくなった。
 いったん「死んだら城」の外に出ることにした。

 森の向こうには町の明かりが見えた。
 「死んだら城」を見上げた。城の向こうの夜空には満月が輝いていた。
 Mは「死んだら城」をぐるりとまわった。敷地はやはりこの町一番のホテルだから確かに大きかった。昔だったらたくさんの家族連れで賑わっていたホテルだったんだろう。

 Mはホテルの裏にまわっていくと、そこに車が停まっていて二人の人がちょうど車に乗ろうとしているのが見えた。
「あ、ラジオたいそうおじいさん!」
 Mは声をかけた。
「おう、冒険者のMくんか! ここまできたんだ!」
「なんでこんなところにいるんですか?」
「女房を迎えに来たんだよ」
 横におばあさんがいた。おばあさんといっても、体の動きは若々しい。
「ここで働いているっておっしゃってましたね」
「そうそう。ところで女王と対決はしたの?」
「女王ですか?」
「大広間に行った?」
「大広間?」
 すると隣りにいたおばあちゃんが「それ、言っちゃダメだよ」とたしなめると、
「あ、今の忘れてくれ」
と、ラジオたいそうおじいさんは舌出して笑った。
「そこまでおっしゃるんだったらヒントくださいよ。友達が連れ去られちゃったし、一人で冒険してるんですから」
「とりあえず大広間に行けばいいんじゃない?」
「ありがとうございます」
 Mは少し体が軽くなってきて、入り口まで小走りで向かっていった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み