それぞれの生きた道
文字数 1,385文字
そうして、罪人の体は
柔らかく栄養の豊富な部分
から食い千切られた。食べにくく栄養価の低い部分は、時間を掛けて様々な生物の食べ物となった。そうして、罪人の体の一部が白骨化した頃、その色が落ち葉の色とは異なっていたお陰か、紅葉を見に来た登山者の一人によって遺体は発見された。遺体は、通報後も直ぐには回収されなかった。遺体のある場所は人の立ち入らないエリアであり、確認するだけでも危険が伴う為だった。この為、山に慣れた人の準備が整わねば、確認に向かった者が怪我を負う可能性があった。
それが遺体と確認されてからも、直ぐに運び出されることはない。遺体の有った場所が登山道の近くであり、その登山道は比較的滑落しやすい場所でもあった為に、事故である可能性が高いとはされていた。それでも、事件性がゼロとまでは言い切れなかった為、遺留品が近くに有るかどうかも含めて、遺体周辺の調査は行われた。
一通りの調査が行われた後、身元不明の遺体の死因は滑落事故によるものとして処理された。しかし、登山に出た者に対する捜索願いは出ていなかった為に、その遺体の身元を特定するまでには時間が掛かった。遺体の周辺には、電池の切れたスマートフォンも落ちていたが、それは色とりどりの落ち葉で埋もれ気付く者は居なかった。また、その手掛かりを得る為に、危険を冒してまで遺体の有った場所へ向かう者は居なかった。
ただでさえ野生動物による被害が増えている中、必要もないのに山を歩く。ましてや、登山用に整備されていないエリアにまで入る。それは、あまりにも無謀で、山や野生動物に遭った際の対応方法を知らない者がそれをするとなれば、自ら死に向かって行くようなものであった。
身元不明の遺体は、骨格からおおよその年齢や性別までは判別出来た。しかし、その遺体が何処の誰であるかまでは判らなかった。遺体の発見されたエリアのニュースでは、その遺体が着ていた服や身長等の特長が知らされた。それでも、何ら情報は集まらなかった。
情報を一般市民から得られなかった警察は、別の方面から遺体の身元を判別しようとした。それは難航することになるが、調査の末にそれが誰たったかは判明する。
一方、病院から退院した少年は、体調を担任教師等に見守られながら今までの生活に戻っていった。それはつまり、殆どの生活を子供だけで行うことを意味していた。それも、給食と子供食堂以外では、何も食べ物は得られない環境で。
担任教師が証拠を提示して掛け合っても、養護施設に空きが出ない限り、少年が保護されることはなかった。既に保護されている子供を親元に戻してまで、その枠を作ることは出来なかった。地域差はあれど、養護施設の空きは少なく、職員のなり手も少ない。それ以上に、本来であれば動かねばならない公的な福祉関係者の手は少なかった。そして、その部署に人が留まらないせいか、専門知識だけでなく良心までもが欠落した職員も多かった。
そうこうしている内に、少年が退院してから一ヶ月程の時が流れた。