第17話悪鬼の巣

文字数 12,130文字

「ごめんください」
ナタール州屈指の規模と格式を誇るケルト神殿。その大理石の堂宇の玄関にて、女性の声が訪問を告げる。つつましい身なりの若い女は、ナタールの田舎にあるにしては立派過ぎるような白亜の神殿を、さもありがたいもののように見上げるのであった。
 ドアが開いて修道士が顔を出した。
「どなたですかな」
「プレル村から来たメアリーです」
「ようこそ、お待ちしておりました」
 修道士は大きくドアを開いて招き入れた。
 奥にエウレカ神像を安置した聖堂のおごそかな雰囲気に、女は姿勢を正されるかの様子で、
「心が洗われるようですわ」
「そうですかね」
 修道士の冷淡口調に、女は聖職者らしからぬ振る舞いを見たかのように眉をひそめた。
「まあ、我らは常に恩恵に浴しているわけで、そのような感慨も今さらなのです」
 曖昧な笑みに、言い訳めいた口調だった。
「司祭様がご病気とか」
「ええ、まあ、しばらくふせっておられます」
「お風邪でも召されたので」
「いえ、実は病気ではなく、ケガをなされたのです」
「まあ、おケガを」
「それも浅からぬケガです。しかし、ご自分の不注意によるもので、それを恥じて内緒にしておられたのです」
「それで、御容態は」
「だいぶ良くなっておられますが、まだ多少不自由なところもあり、介助が必要なのです。しかし、我ら男では気の利かぬこともあるやもしれず、それに、私どもには修道士の勤めもあります。それで、司祭様の身の回りのお世話をしていただける方を探していたのです」
「司祭様のお世話でしたら、喜んでさせていただきます」
「あなたなら、きっと司祭様も気に入られるでしょう。善良で、しかもお綺麗だ」
「まあ」
 女は顔を赤らめた。
「おっと、これは神の御やしろで不謹慎でしたかな。では、司祭様のお部屋に案内いたします」
 神殿から渡り廊下を通り、司祭の居住する別棟へと向かう。歩くにつれて空気がよどむようで風通しが悪いのかしらと女は思った。
「こちらです」
 渡り廊下の先の建物の、司祭の部屋に案内されえた。
「どうぞお入りください。司祭様は中でおやすみです」
 修道士はノックもせずにドアを開けた。女が中を覗こうとすると、さあさあと押し込むように部屋に入れてドアを閉めた。
 女はちょっと面食らった表情で部屋を見た。窓はカーテンが引かれて薄暗く、家具などもない殺風景室内は、これだけ大きな神殿の、長たる人の部屋とも思えぬ。宗教者らしい清貧の住まいともいえるが、なぜかここには、そんな言葉を想起させるすがすがしさはなく、空気は生臭く家畜小柳のような雰囲気だった。壁際の寝台に膨らんだ毛布のあって、
「司祭様」
 女が呼びかけると、毛布は身じろぎした。
「起きておるよ。あんたのいい匂いで目が覚めたのさ」
 毛布をはねのけ起き上がったのは、ロープをまとった小柄な老人だった。
「おかげんはいかがですか」
「だいぶ良くなった。あとは腹を満たせば元通りだ」
「では、なにかお作りしてきます」
「まあ、待ちなさい」
司祭は女を呼び止め、寝台から降りて立った。
「なんの手間も要らよ。ここで、すぐに食べるのだからな」
「なにを、ですか!」
 女は目を瞠った。司祭のまとうローブが奇妙に波打っているのだ。まるでその下でなにかがうごめいているかのように。
「あの、司祭様、それは・・・」
「はしゃいでいるのだよ。久しぶりのごちそうだからね」
 司祭の顔は、もはや女の知っているソレではなかった。好々爺の温厚さは失せ、目は人ならざるもののソレとなり、貪婪な光をたぎらせている。そしてローブの衿元よりスルリと黒い綱状のものが現れて、くねくねと宙に泳ぎながら、赤い舌をチロチロ震わせる。そう、雑木林でエレナを襲い、駆けつけたマユラに撃退されたあの怪物の正体こそが、ケルト神殿のマウリ司祭だったのである。あの時は野外であり、誰かに目撃される恐れもあって、煙幕魔道で姿を隠していたが、ここではその用心はいらぬ。
 女は逃げようとしたがドアには鍵がかかっている。
「助けて、お願い開けて」
 ドアを叩くがなんの反応もない。怪物の背後に迫る気配に振り向き、恐怖に悲鳴をあげようとしたそのとき、シュルッ、黒蛇は鞭のようにしなって女の口に飛び込んだ。瞬時に女は麻痺したように棒立ちとなり,ズズズズッ、蛇は体内深く入り込んでゆく。蛇は女の体内で貪欲に食らい、血肉、骨さえもかみ砕き、ゴゴゴゴッ、その管のような胴体がバキュームホースのごとく吸い上げてゆく。そして、司祭の顔には歓喜の満ちてゆくのだった。
 すっかり平らげ、蛇のローブの下に戻った司祭の顔は、生色に満ちたものとなっていた。
 ドアがノックされ、
「お食事はお済でしょうか」
「終わった」
 ドアを開けて修道士が入って来た。
「ベイロード隊長とハリド様がお見えです」
「ハリド、あやつ」
 司祭は舌打ちしたげな顔となり、
「残飯を片付けておけ」
 ズタ袋のようになったソレを顎でさし示し、部屋を出たのであった。
 今はケルト神殿のマウリ司祭になりすましているこのバケモノこそが、界隈で凶名をほしいままにしているグルザム一味の首領グルザムであったのだ。ケルト神殿がグルザム一味に乗っ取られたのは三年前のことである。山中のアジトとは別に、もっと人里近くに隠れ蓑になるような場所を探して、目を付けたのがケルト神殿だった。一味の首領グルザムは変容の術が使える。顔を変える術で、誰かに化ける場合など変装などよもずっと完璧に化けおおせる。とはいえ、誰にでも化けられるものではなく、本来の自分にある程度近い容姿の者に限られるのだが、老齢で小柄なケルト神殿の司祭はその範囲の中にあった。本物を平らげてうまく化けおおせると、修道士たちも一人ずつ食べて配下の者に替えていった。神殿を完全に乗っ取るのに一ヶ月もかからなかった。そして化けてみると、宗教者というのは案外都合がいいことに気づいた。それらしく振る舞っていれば大概やり過ごせるし、特別な技能も要らない。ケルト神殿の司祭のように、生涯を信仰に捧げて独身の者は、家族もいなくてこれも好都合。なにより由緒ある神殿の司祭が、名にしおう兇賊一味の首領とは、市井の善男善女なるうつけどもには思いつくまいと、グルザムはほくそ笑む。外部で正体を知っているのは、ベイロードとハリドだけだ。
 来客用の部屋に入ると、テーブルに二人が待っていた。ベイロードは相変わらず不遜げで、椅子の背もたれに背中を預け、ハリドは少し前かがみに、ふてくされた態度をつくろっているが、内心の不安は明らかだった。
「大したへまをしてくれたものだ」
 椅子に着くなり、マウリ司祭、いや、グルザムの辛辣な一言。
「そちらの手下どもの働きが、イマイチだったのだ」
 言い返したハリドだったが、
「なんと、おのれの不手際を他人のせいにするつもりか」
 グルザムの剣幕に萎縮して、
「そうではないが、ジカルをよこしてくれていたら、ああはならなかったかと・・」
「ジカルをやるまでもない。あれで十分な相手だったはずだ」
「それはそうだが、クリオ砦のサムライが、まったくの想定外だったのだ」
「ライゼンが雇った、アイツか」
 グルザムも志摩は、クリオ砦での宴席に招かれたおりに見ている。
「ジカルもやられたのであろう、大した使い手だ」
「不利な状況で、いったん退いただけだ。次は仕留める」
 陣営のエースが尻尾を巻いたとあっては、沽券に関わるかのグルザムだった。
「とにかく、ジカルも勝てなかったのだ。想定外にそんな奴に出くわしたのだから、私の不手際ではなく、運が悪かったのである」
「だが、おぬしの指揮のつたなさも、相当のものだったと聞いている」
「そのへんにしておけ」
ベイロードが仲裁に入る。
「仲間内で揉めている場合ではない。ミュキレックのもとに郷士たちが集まっている。クリオ砦と組まれたら、グルザム一味は壊滅、我らのビジネスも泡と消える」
「そういう時にこそおぬしの、いや、ジェリコ砦の出番であろう」
 人にツケを回すようなハリドの口ぶりに、ベイロードは苦笑して席を立った。
「手は考えてある。それより、おぬしに一つ聞きたいのだが」
「なんだから」
「プレルの末裔は生かして捕えるように言っておいたはずだが、君は殺そうとしたそうだね。なぜだ」
「そのほうが、スッキリとあとくされがないからさ。プギルの末裔などを生かしておいたら、ミュキレックなどが時代錯誤の忠義心を煽り立てて、何かと面倒なのだ。まあ、奴にしたところで、プギル王家の再興など夢想だにしておるまいし、そんな者を生かそうと殺そうと、おぬしらに、さしたる障りもあるまい」
「君は命令というものを理解していない。命令その通りに遂行されねばならず、下の者がその内容に判断を加えることは許されぬのだ」
「だからなんだというのだ。俺はおまえの部下ではないし、要請は聞くが、命令される筋合いではない」
「やれやれ」
 ベイロードは肩をすくめるしぐさをして、
「つくづく使えん奴だ」
 瞬間、椅子に座ったままのハリドの頭が、後ろに大きくのけ反った。抜く手も見せぬ手練の剣。その切っ先が、ハリドの額を突き後頭部より出ている。ハリドは、自分の身になにが起きたのかもわからぬうちに息絶えた。秒余もかけぬ瞬殺を、ベイロードは、ブレイヴ体になる手間もかけずにしてのけた。
「殺すために連れてきたのか」
「死体の処理は慣れているのであろう」
 ベイロードは剣を引き抜き、ハリドの身体は椅子より崩れた。
「殺すなら、食わせろ」
「こんな男が、美味いのかね」
「こういう腹の腐った男には、独特のコクがあるのだ。だが、そんなことはともかく、ハリドを殺して、手下どもは大丈夫なのか」
「心配ない」
 ベイロードは剣に一振りくれて血を払うと、鞘に納めた。
「ハリドの部下どもは、今さらミュキレック側に行くわけにもゆかず、金と将来を手に入れるには、こちら側で頑張るしかない。適当に後がまを立てれば、その下にまとまるさ」
「それもそうか。しかし、ライゼンは我らを潰してどうするつもりだ。我らの供給分がなくなれば、影響は小さくない。ライゼンはその分どうするつもりだ」
「ウワサではムラサメとビジネスするつもりらしい。ムラサメはおぬしらと違って紳士的なのだそうだ。純粋にウィズメタルの取引のみ行い、無辜の人々に危害を加えることはないそうだ」
「馬鹿な」
 グルザムは吐き捨てる。
「ライゼン。うつけだとは思っていたが、そんな与太を真に受けるほどの阿呆とはな」
「おぬしらよりは、多少マシかもしれんぞ」
「そんなわけあるか。ムラサメといえばカーラ・リジェだぞ。あの地獄の娼婦を女王と戴く連中が紳士なわけあるまい。黒蛇を白蛇に替えたところで、ヒヨコは食われるのだ」
「だが、おとなしく替えられるつもりはなかろう」
「娼婦のパシリどもに、席を譲ってやる理由もない。来れば潰すまでよ。だが、ハリドを替えても郷士どもがあのていたらくでは心もとない」
 ウィズメタルビジネスは、グルザム一味が仕入れ、ハリドが流通を請け負い、ベイロードのジェリコ砦が全体を管理するという形で運営されている。
「うまく使えばそれなりに役に立つが、しょせんは雑用係と割り切るしかないな。だが、いざとなればこちらも兵を出すし、あちら側に二三百集まったとしても、それぐらいは戦い方でどうにでもなる。ただ、例のサムライは厄介そうだな」
「それについては、私に考えがある」
「おぬしが悪知恵、いや、計略を思いついたとは心強い。だが、なにをたくらむにしても、プギルの末裔には危害を与えぬようにしてくれ」
「ご執心だな」
「命令に忠実なだけだ。プギルの末裔は少女でね、おぬしの好物ではないのか」
「私が今、食らいたいと思っている少女は他にいる。八つ裂きにしてやりたいガキもな。この二人の他は、今のところ食指は動かぬ」
グルザムはその眼には、憎悪のどす黒い炎となって燃えあがるのであった。

陽炎の揺らめきを全身より沸きたたせた二人の、大地に躍動して技を戦わす。一人は右手に竹刀、左手は木製の盾を構えたシールドソードの青年。レオンであった。レオンはスプリントタイプ。スプリントタイプはエアと呼ばれる揚力場を靴を履くように形成して、超人的な機動力を発揮する。スピードはストリームタイプと同等である。両タイプとも一長一短あり、どちらかが優れているということはないが、サーファーのようなスタンスでストリームを駆るストリームタイプに対し、スプリントタイプは歩いたり走ったりする日常の動作が、そのままブレイヴモードに移行でき、その馴染みやすさもあって、ブレイヴ能力者においては、圧倒的にスプリントタイプが多数派である。
 シールドソードのレオンに対して、竹刀を青眼にストリームを駆って襲いかかるはマユラであった。ストリームを駆ったマユラの、征矢の勢いでレオンに当たるが、打ち込む竹刀は盾に難なく弾かれる。そして鋭い反撃。とっさに受けるマユラだが、畳み掛けられるとしのぎきれない。ストリームで翔ける飛影と、エアで跳ねる俊影。ブレイヴ体での機動力を駆使しする展開に竹刀のはじける試合は、レオンが押していて、既に何本か食らっているマユラだった。
 地元の少年たちの剣術の大会に、無理を言って参加させてもらい優勝したマユラだった。その時の相手はほとんどがシールドソードだったので、それじゃあレギュラークラスにどれだけ通用するかということで、レオンとの試合となった。レオンはレベルB8のシールドソードだ。ファイターレベル(傭兵ギルドの定めるところの能力位階)は、ABCと三つのクラスに分けられる。ℂがビギナークラスで、Bから戦闘に参加できるレギュラークラス。Aがマスタークラスとなる。レベルは各クラス十段階あり。10から始まり、1が最上位である。ℂ10が最下位でℂ1の上がB10となる。ちなみに、マスタークラス最上位A1の上はA、AAとなり、これら数字のつかないレベルはナンバーレスと呼ばれている。志摩でさえA2である。ナンバーレスはまさに大陸屈指の達人中の達人である。
 レオンはレギュラーなだけに各種スペックもロイたちよりは高く、実戦を積んで来ているだけに読みも的確で盾の扱いも巧みだ。ストリームで翔けて、巻き込む動きで盾装備の死角を突く、剣術大会ではうまくいった戦法も通じず、盾の防御を壁のごとく感じる。ジョブに優劣はなく、勝敗は使い手のセンスとスペックによって決まるものだと思い知らされた。
「それまで」
 凛とした声は志摩であった。
 二人はブレイヴを消して、礼を交わす。
「レオンさんには、剣術大会でやったようなわけにはゆかないや」
「当たり前だ。こっちはプロの傭兵だぜ。そこいらのがきと一緒にされてたまるか」
 さも当然と言い返したレオンだったが、
「けれどお前も、さすが志摩さんの弟子だ。もっとボコボコにしてやるつもりだったが崩れないもんな」
 マユラの善戦を称えた。
「だったら、今度は俺が相手してやろうじゃないか」
 ファズであった。
「先日の戦いで活躍出来なかったからって、こんなところで存在感出さなくていいぜ」
 ダオがからかう。剣術大会の会場が、グルザム一味まで率いたハリド男爵の手勢に襲われたとき、まず居合わせた志摩の活躍があり、そして意外なほど早くバルドス率いる部隊が駆けつけた。ダオもその中にいて、得意のアックスを大いに振るったのである。その後、ライゼン隊長率いる本隊が駆けつけたときには、敵は既に逃げ去っていて、本隊に加わっていたファズも、剣を抜く機会はなかったのである。
「そんなんじゃないぜ」
 ファズは言い返したが、
「マユラもブレイヴが心もとなかろう、ここいらで休憩にしよう」
 志摩の言葉で稽古は中断となった。
「見事な試合だったわ」
 ミラ・ルシオーネがマユラの健闘を称えた。彼女はいま、クリオ砦に身を寄せていた。
「全然イケてないよ。レオンさんには、手も足も出なかったし」
「俺も駆け出しだがレギュラーだぜ。昨日今日剣の持ち方覚えたようなひよっこに、手や足出されてたまるかよ」
「あなたも強そう、それにイケメンね」
「ケッ、ガキ相手に、なににやけてんだ」
 ファズのいちゃもんに、
「にやけてません」
 レオン
「ガキって失礼ね」
 ミラも言い返す。
「一人前のレディーってか。それじゃあそんなにやけた青二才じゃなく、大人のイケメンがいるのがわかるだろう」
 自信たっぷりのファズだったが、
「もちろんよ。でも志麻先生はヒーローよ。そりゃあルックスも素敵だけど、見てくれ以上のナイスガイよ」
 志摩は無反応に聞き流す。
「そりゃあ、リーダーはナイスガイだが、そうじゃなくて」
「ああ、インディオさん。ハイ、アナタ、ワイルドなところがちょっと素敵アル」
 片手を立てるしぐさのミラに、
「キミもとびきりキュートだぜ。インディアンうそつかない」
 ダオはハイタッチする。
「そんな山猿じゃなくて」
「もちろん、わかっているわよ」
 おおっと、期待のファズだったが、
「あなたって、他の子にない逞しさを感じるの。そこがエレナも魅力なのね」
 見つめるミラに、
「そんなことないさ」
 照れるマユラ。
「そうきたか」
 なんとも無念そうなファズだった。
「隊長が読んでおられます。執務室までお越しください」
 兵士がやって来て告げた。
「分かった」
 隊長の執務室に入ると、グレッグの姿があるのに驚いた。それともう一人、茶色のローブをまとった人物。以前見た司祭ではなく、若い修道士だった。
「なんだ、この組み合わせは。グレッグ、いよいよ傭兵稼業に見切りをつけて、修道士にでもなるつもりか」
「よしてくれ、そんなのはごめんだぜ」
 ぶっきらぼうに答えるグレッグ。
 志摩は解しかねる面持ちで隊長に目をやる。
「そちらは、ケルト神殿の修道士で、ヨーヒム殿だ」
 デスクに構えるライゼン隊長が紹介した。
「巷に剣名高き志摩様でいらっしゃいますね。お目にかかれて光栄です。私はケルト神殿にて神にお仕えしている者で、ヨーヒムと申します」
「どうも。して、神殿の方が、我らにいかなるご用ですかな」
「ヨーヒム殿は、司祭様の使いでまいられたのだ。そちらのお仲間、グレッグ君は、いささか問題を抱えておられるようだな。司祭様は、その問題の解決に役立てるかもしれぬそうだ」
はグレッグの問題」
「先ほど本人から聞いた。酒のために、ソードマスターとしての実力も、発揮し難いのだとか」
 ライゼン隊長の言葉に、志摩は怪訝な面持ちで、
「それがお祈りで治るとでも」
「お祈りの力を否定するものではありませんが」
 ヨーヒムは宗教者らしく、一言断ってから、
「お祈りにすがるのではなく、司祭様が修められた技を使うのです」
「司祭殿の技とは」
「司祭様は精神治療の術を修めておられます。酒で廃人同然となった人を治されたこともあります。もちろん、全ての人に有効とはもうしません。しかし、実際に効果のあった例も見ているのです」
「どうだね。ダメもとで、一つ司祭殿の力を試してみては」
 ライゼン隊長の勧めに、
「グレッグ、おまえ次第だ」
 志摩は当人に話を振る。
「いいぜ。期待なんてしていないが、それでアンタたちの気が済むのなら、厄介者の身の上だ、なんだってやってやるよ」
 捨て鉢な口ぶりのグレッグに、ライゼン隊長はちょっとあきれた表情となり、
「そうか」
 志摩は鷹のソレの如き双眸に瞬きも無かった。

「水を持って来たわ」
 マユラが練兵場の隅のベンチに休んでいると、隣に腰かけたミラが、水筒の水をキャップに注ぐ。
「ありがとう」
 マユラは、コップの代わりの水筒のキャップを受け取り、満たされた水を喉を鳴らして飲み干した。 
「もう一杯どお」
「頼むよ」
 マユラは二杯めも飲み干してすっかり潤った心地。ミラはキャップを回して水筒に戻した。
「優勝するだけあって、試合をしているときのあなたって、カッコよかったわ。エレナが好きになるのも納得ね」
「レオンさんには全然敵わなかったし、今日のザマを見たら彼女も幻滅さ」
 レオンにまったく歯が立たなかったことに、忸怩たる気持ちの拭いきれぬマユラだった。
「相手は一人前の剣士だもの、気にすることないわよ。それに私たちの剣術大会ってけっこうレベル高いのよ。優勝者の中には、もっと大きな大きな、州の剣術大会でベスト8やベスト4に残った人だっているのよ」
「それじゃあオレって、もしかしたらこの州じゃ同年代トップかもしれないってこと」
「そうよ、だから焦って背伸びすることないの。センスは十分なんだから、じっくり腰を据えて鍛えていったら」
「だけどオレは大会で優勝するために腕を磨いてるんじゃないんだぜ。もっと強くなっておかないおと、もしまたあの怪物が襲ってきて、そのときエレナを守れなかったらとか、考えるんだ」
「その時は、力一杯戦って死ぬだけよ」
 ミラはあっさり割り切る。
「いつ、どんな残酷な目に遭うかわからない世の中だもの。でも、だれかのために命を賭けて戦ったのなら、結果はどうあれ、その勇気は尊いわ。魂の勲章は、悪魔にだって剝ぎ取れないの」
 女の子の口から、こんな言葉を聞くとは思わず、
「肝が据わっているね」
 感心したようなマユラ。
「これでも、いろいろあったのよ」
 笑顔で流すミラに、プギルの末裔と聞いたのを、マユラは思い出した。
「そういえば、魔道を使うんだって」
「見ていなかったの」
「真っ暗な宝物庫の中を、ウロウロしてたんだよ」
「そっかぁ。大したことないわよ」
「なんの、きっと侮り難い使い手であろうよ」
 振り向くとカムラン、そしてフェアリーのウィルも、そのかたわらに舞う。
「カムランさん、でも、あの場にはいなかったんじゃないですか」
「ミラくんがクリオ砦に来たときに、志摩君とライゼン隊長が事情を聞いたことがあって、その場に私も、魔道師としての知見を買われて同席したのだ」
 カムランは、ベンチの、マユラの横に腰をおろす。
「いや、驚いたよ。ミラくんは、ヨシフ・ヘブライ師の弟子なのだ」
「誰ですか、そのヘブライ師って」
「ヘブライ家は、何人もの、何百年もの間に、何人もの大魔道と呼ぶにふさわしい超一流の術者を輩出している、魔道界の名門だよ。そしてヨシフ・ヘブライ師も、また、当代一流の術師だ」
「先生は偉い人ですが、私は数年お側にいさせてもらっただけ、弟子と呼べる者ではありません」
「でも、魔道の術を使ってんでしょう」
 ウィルがただす。
「あれは・・」
「何年側にいようと、魔道だけは指導を受けねば習得できるものではない。指導を受けたのなら弟子であろう。ヘブライ師は、その眼鏡にかなった者でなければ弟子にすることは無く、私の知る限りでは、ヘブライ師がこれまでにとった弟子は、キミを含めて五名。キミ以外は、いずれも一流の魔道師として知られている」
「私は例外です」
「そうかな」
 カムランのまなざしに、ミラはさも自信に欠ける、消極的な表情を見せた。
「けど、アイツと話が合いそうな子だね」
 ウィルの言葉に、
「そうじゃのう」
 カムランもうなずく。
「アイツって」
「じいさんの弟子さ。ここの出来は・・」
 ウィルは頭を指さし、
「おまえとは正反対。超がつく秀才だぜ」
「あのねえ、僕は勉強ができないのじゃなくて、やらなかっただけ。おふくろはよく、あんたは・・」
「やればできるだろ。前に聞いたよ。だけどそもそも、出来ないからやらないのじゃないのかよ」
 辛辣なフェアリーに、言葉に詰まるマユラだった。
「志摩さんがいないからって、サボってんじゃないぜ」
 ファズだった。厨房にでも顔を出して、一杯きこしめして来た様子だ。
「休憩ですよ」
「女の子とイチャついて、休憩かよ」
「イチャついてません」
「エレナだったか、あの子はどうした」
「どうもしてません」
「そうかい。それはともかく、お嬢さん」
 ミラに顔を向け、
「知り合いに、キミより五つや十年上のお姉さんたちいないかな」
「何人かいますけど」
「だったらそのお姉さんたちにだ、腕も見た目も言うことなしの、このファズさんが、いささか寂しくしていると伝えちゃくれないか」
「そんなに自信がおありなら、黙っていても、いずれ誰か言い寄ってくるのでは」
「俺も十何年、そう思ってきたんだが、どうも女性というやつは、世間一般に言われているよりおくゆかしくて、気持ちを口に出すのも恥ずかしいようだ。まったく、世の中の女性全般、少しはサブリナみたいにずけずけしたところがあってもいいのによ。おっと、もちろんアイツみたいになれって言ってるんじゃないぜ。あんな性悪は論外よ。ただ、もう少し積極的になってくれたら、こちとらも想いを受け止めてやるのだが、こうも引っ込み思案とあっては、こちらからアピールするよりあるまい」
「はあ」
 ただあきれて、二の句が継げぬミラ。マユラはなにか痛そうな顔で、カムランとウィルはやれやれといったあんばいだ。
「そういえばサブリナさん、最近見ないね」
「単独行動の任務に就いているようだ。砦にもしばらく帰っていないようだし、いささか心配だ」
 サブリナの身を案じるカムラン。
「へっ、年寄りは心配性なんだよ。煮ても焼いても食えないアバズレだぜ。そのうち帰ってきて、憎まれ口をたたくさ」
 とファズ。
「ニンジャコマンドの本領発揮してるのさ。すのうち、買い物にでも行ってきたような顔で帰ってくるさ」
 ウィルもサブリナに関しては、心配無用の様子。
「サブリナさんって」
「チームのメンバーでニンジャのお姉さん。僕らと五つも違わないけど、凄く強いんだぜ」
「カッコいいわね」
 憧れるようなミラであった。
「あれ、グレッグさんだ」
 マユラは褐色のローブをまとった修道士姿の人物と、連れ立って歩くグレッグを見つけた。向こうもこちらに気づいて、渋るグレッグを修道士が促すようにして、こちらに来た。
「やあ」
 グレッグはお義理ていどに声をかけた。
「皆さまごきげんよう。私はケルト神殿のヨーヒムです」
 ヨーヒム修道士は、グレッグとは反対に、声も大きく、ほがらかにあいさつした。
「私は、グレッグ君と同じ傭兵チームのカムランです。ケルト神殿の方がいかなる用件でお越しですかな」
「我が神殿の司祭様がグレッグ殿の問題の解決に役立てるのではないかと申されて、お迎えにあがったのです」
「グレッグ君の問題とは」
「酒のせいで、あたら才能を潰してしまわれたとか。司祭様なれば、それを治せるかもしれません」
 グレッグは、元はソードマスターにまでなった男だが、アルコールでスキルもスペックもダメになり、かってあったAレベルは取り消されて、今はレギュラーギリギリのB10あたりか。戦闘にもほとんど参加しないチームのお荷物である。
「そのようなことができるのですか」
 半信半疑のカムランに、
「術を心得ておられます」
 修道士は自信たっぷりに答えた。
「それじゃあ問題解決のあかつきには、ソードマスターだったとかいう、かっての技の冴えを拝ませてもらおうか」
 ファズはどれほども真に受けていない口調で、
「それにしてもおたくの司祭様は、大した神通力をお持ちのようだ。いったいどんな修行をしておられるので」
「修行のことはよく存じませぬが、食事には特別なこだわりをもっておられます。といっても、神に仕える身で美食などの、贅沢にふけるのではありません。ただ、食材が変わっているのです」
「なにを食べているんだ」
「ありふれたものですよ。皆さんにもおなじみの、もっとも、ソレを食べようなどと思ったことはないでしょうが」
 含み笑いのヨーヒムに、
「・・・」
 ファズはけむに巻かれたような面持ちだった。
「お孫さんですかな」
 ミラに目を向けたヨーヒムが、カムランに問う。
「まさか、わしにこんな可愛い孫などおらぬよ」
「ミラ・ルシオーネです。訳があって、こちらにお世話になっています」
「キミは」
「マユラだよ」
 マユラはつっけんどんに答える。
「おお、キミがマユラ君か」
 ヨーヒムは大きく目を見開いた。
「オレのこと知ってんの」
「ウワサを聞いたのだ」
「どんなウワサ」
「さあ、どんなウワサだったか・・」
「おまえのウワサだぜ。ろくでもないウワサに決まっているさ」
 横からファズがくさす。
「いや、悪い評判ではなかったようだが」
 ヨーヒム修道士は、愛想笑いで持ち上げる。そういゃマユラ。おまえ、両親が亡くなってから、一度も神殿に行ってないだろ」
 ファズがふと、思いついて言った。
「そうだけど、行くものなの」
「そりゃあ、行くもんだろう」
「それはいけません。ご両親の魂をほったらかしにしているようなものです」
 ヨーヒム修道士も言葉に力を込める。
「亡くなった人が天国に行けるよう、神様にお祈りを捧げるのです。さあ、あなたもグレッグ殿と一緒に、神殿に参りましょう司祭様も、さぞや喜ばれることでしょう」
「なんで司祭様が喜ぶの」
「それは・・・司祭様が、あなたのような年少の者たちを、特に気にかけておいでだからです。さあ、一緒に参りましょう」
 急かすヨーヒム修道士に、
「今日はよしとくよ」
 マユラはきっぱり断った。
「今日はやめとくよ。父さんと母さんの供養なら、もっと改まった気持ちでお参りする」
「そうですか。ですが、きっと来なさいよ。親が亡くなってからする孝行もあるのです。では、グレッグ殿をご案内せねばなりませぬので」
 ヨーヒム修道士は、渋々のグレッグを伴って歩き出し、マユラたちもその後ろ姿を見送った。
「グレッグの奴、本当に治るのかね」
 疑うようなファズに、
「さあな」
 カムランも漠然とした面持ち。
「あの修道士、やけにおまえにしつこかったな」
 ウィルだった。
「あれ、いたの」
「いたさ。なんとなく気に食わんヤツだったから、おまえの後ろに隠れてたのさ」
「でも、神殿に参りして、ご両親にお祈りを捧げるのは、良いことよ」
 ミラの言葉に、
「それはそうだ」
 カムランもうなずく。
 マユラもその気になったのだが、ウィルと同様、あの修道士の顔を思い返すと、なぜか気が進まないのだった。
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