第2話

文字数 4,779文字

 第二話『虚空(こくう)の太陽』
 二〇〇六年、八月。
 お盆が過ぎ、八月、最後の祭が終わると秋の足音がする。
 朝夕の風の薫りが変わり、せっかちな虫の()が聞こえたりする。
 空には、まだ夏の太陽があったが僕は三日前に昔のバイト仲間から聞いた店に行ってみる事にした。

 三日前。
「あっ、そう。木村君も会っていないんだぁ。だって木村君と英美、幼馴染でしょう。お正月とかに会わないのぉ」
「ぜんぜん。実家も帰ってないんじゃないの」
「あぁ。看護学校、途中で辞めちゃったしねぇ。今、エステで独立開業してるっていったって大変じゃないのぉ。何かぁ、噂によると英美、変な店に出入りしてるらしいのぉ」
「何ぃ。それっ」
「知らないけどぉ。占い師がやってるスナックみたいでオッサン連中に女性を紹介したりするらしいのよぉ」
「んえぇ。何だ、それっ。まさか、売春かよぉ」
「知らないわよぉ」

 目的の駅に着くと太陽は姿を消し、すっかり暗くなっていた。
 区役所通りの裏路地はネオンに()が、(とも)りはじめ、賑わっている。

 雑居ビルの中にある店の名は『テンテル』。店主の名前は『天海テル』。
 僕は、そっと扉を開いてみた。人の居る気配がする。暗い店内を覗くと店の中央にあるコの字型のカウンターの中には黒いドレスを着た、長い髪の女性が一人いる。カウンターの奥の席には小男のオッサンと派手な化粧の女性客がいた。入り口付近のカウンター席には若い男性客が一人いる。僕は店の奥に入っていった。
「ここのテーブル、いいですか。一人ですけど」
「どうぞ。セルフサービスなので御自由に」
 カウンターの中の女性がビールストッカーを指さした。きっと、あの女性が天海テルだ。
「ビール、一本、もらいますよ」
 僕はビールストッカーから中瓶のビール瓶一本とグラスを取ってテーブル席に着いた。天海テルはカウンターの中で立ったまま微動だにしない。
 本当に英美がこんな店に出入りしているのだろうか。殺風景で陰気臭い店。聞こえてくるのは柱時計の振り子の音ぐらいだ。
 僕がビールを一本、飲み終えた頃にカウンターの奥の席に居た小男と派手な化粧の女性客が席を立った。
 小男が勘定を支払っている。女性客が店の扉付近で立ち止まり横を向く。店の薄暗い灯かりに照らされた女性の表情が一瞬、英美に見えた。
「えっ。まさかぁ」
 小男と女性客は出て行った。
 僕は独り取り残された気分になり、落ち着かなかった。
 あの女性は、英美なのだろうか。考えてみると、もう九年は英美に会っていない。僕の記憶の中の英美と言えば、中学時代に雪の日の通学の時は制服の下にモンペをはいていたような御洒落とは程遠い姿しかない。
 さすがに英美も二十九歳になり、東京でエステティシャンとして独立しているんだ。御洒落な女になっているんだろうなぁ。
 しかし、さっきのけばけばしい女が英美とは思えない。思いたくないのかな。

 僕は空のビール瓶とグラスを持ってカウンター席に移動した。思い切って天海テルに聞いてみた。
「あのぉ。さっき、ここに居た、御客さん、、、」
「大丈夫。まず、貴方は御自分の明日を信じて」
 何を言っているのだろう。
 その時、僕は不思議な空気に包まれて思わず、「はいっ」と、返事をしてしまった。
 何事も無かったかのように店内は静まりかえった。
 僕は勘定を支払って店を出た。
 確かにそうだ。役者を目指して東京に出て来て十年。フリーターまがいの二十九歳の男。まずは自分の道を見付けないと。今の僕が英美に会ったって気後れしてしまうだろう。なんだかんだと言ったって英美は、この大都会で経営者として生活しているんだから。僕と会っても話す事なんかないだろう。
 でも、その時の僕は何故か、英美に会わなければいけないと言われている気がした。

 翌日。晩夏の太陽が輝く、蒼い空を観ながら僕は考えていた。僕は、もう自分が東京に居る理由が無い事を知っている。でも、実家の米屋を継いでも、将来の見通しは明るくない。親の事を考えると実家に戻る時期かな。そうだよ。片親の英美だって御母さんの事、心配だろうな。だから、英美は必死で頑張って、、、。強いんだな英美は。でも、夕べのテンテルって店は、どうも胡散臭(うさんくさ)い。絶対、インチキだ。きっと悪い新興宗教に違いない。やっぱり、英美を救わなきゃ。あの天海テルの化けの皮を剥がしてやろう。
 僕は以前にテレビ番組の制作会社でアルバイトをしていた時の先輩に会って事情を説明した。
「でもなぁ。木村。そのテンテルって店は正規の飲食代金しか請求していないんだろう。何も法的には問題ないんだよな」
「あっ、はいっ。んっ。でも」
「ただなぁ。天海テルって名前。どっかで聞いた気がするんだよねぇ。今、うちのチームもネタ不足だし、契約している調査会社に頼んでやるよ」
「有難う御座います」
 
 三日も経たずに調査結果を貰った。その内容は意外なものだった。
 まず、一番、調査し易い筈のスナック・テンテルの営業実態が不明瞭でハッキリしないのだ。正規の届け出をしていない闇商売なのかも知れない。それから、天海テルという人物は実在した。しかし、記録によると大正十五年生まれで生きていれば八十歳くらいだろうという。僕が会った女性はどう見ても二十歳代。しかも、天海テルは一部のオカルト・マニアにとっては伝説の女性らしい。
 昭和初期に呪術で病気を癒し、神の言葉を伝える少女がいた。その呪術というのは、どうやら石上鎮魂法(いそのかみちんこんほう)というものの流れを受けているらしい。
 また、天海テルの父親である天海三代吉が当時の宗教界の重鎮、川面凡児と親交があり、古典考究会という所に出入りをしていた。その関係なのか、昭和初期の一時期に天海テルという少女の言葉が政界、財界、フィクサー達に影響を与えていたらしい。
 その後の天海テルの消息は不明だが、半世紀以上も伝説となっている理由は十種神宝(とくさのかんだから)と、いう神器の存在がある為らしい。
 日本各地にある神器の中でも最強の霊力を持つものが十種神宝だというのだ。
 沖津鏡(おきつかがみ)辺津鏡(へつかがみ)八握剣(やつかのつるぎ)蛇比礼(おろちのひれ)蜂比礼(はちのひれ)品物之比礼(くさぐさのもののひれ)足玉(たるたま)生玉(いくたま)死返玉(まかるかゑしのたま)道返玉(ちかへしのたま)。と、いうものらしい。離れていく魂を呼び戻す事も出来るというのだ。
 実物を見た人間は一人もいない。それどころか、何処にあるかもハッキリせず、まるで御伽噺(おとぎばなし)みたいな世界だ。それだけに日本各地に十種神宝らしき逸話が幾つも存在する。
 そんな中で冗談みたいな話が伝わっている。楯原神社という所の御宮に十種神宝があるというのだ。それは幕末の混乱期に十種神宝が街の中へと持ち出され古道具屋に流れ着き、神社が買い戻したという。そして、その古道具屋で店主をしていた男の曾孫だという人物が天海テルらしい。
 実際、天海テルは奇妙な石や鏡などを呪術に使うらしい。それだけではない。天海テルの母方の先祖は物部一族の末裔らしいのだ。オカルトや宗教に興味のない僕でさえ気になってしまう。熱心な信者がいても不思議ではない筈だ。

 僕はもう一度、テンテルに行ってみる事にした。
 閉店間際の深夜零時に扉を開いた。
 ボォーン。
 丁度、店の柱時計が午前零時を知らせた時だった。
 店の入り口に天海テルが立っていた。
「貴方。早く、こっちへ」
 まるで、待っていたかのように僕に声をかけると西の出窓の方へ歩いて行った。僕が茫然と突っ立っていると天海テルが強めの口調で言った。
「早く」
「はいっ」
 僕は操り人形のように天海テルの後について行った。
 西の出窓には奇妙な石らしきものがあった。それは真ん丸の小さな黒い石が三個、変な形で繋がれている。
 窓から差し込む月の明かりが石を照らしている。僕は妙な気分で石を眺めていた。
 いきなり、天海テルが僕の右手をつかみ、石の上に引き寄せた。
「いいですか。魂を込めて、私の言うとおりに繰り返してください」
 そして、天海テルは目を閉じて、能面のような無表情になり澄んだ声で言った。
「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、ふるへ、ゆらゆらと、ふるへ。言ってみて」
 天海テルが僕の右手から手を離した。僕の心は不思議に穏やかだった。黒い石に手をかざしながら、天海テルに言われた通りに言ってみる。
「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、ふるへ、ゆらゆらと、ふるへ」
 静寂した店内に生暖かい空気が流れ、表通りの賑やかな音が入って来た。
 店の入り口に立っていたのは英美だった。
「英美っ」
「えっ。康茂君。康茂君なの。何で、ここに」
「英美に会えるかと思って」
「えっ」
 英美が小さく驚いたような表情の後、哀しい眼をした。
「あたし。ママに御礼を言いたくて。本当に。お世話になって。ママに出逢わなかったら、もっと、前に酷い事になっていたかも。でも結局、駄目だった。ありがとう」
 そう言うと、英美は振り返り、外に出て行ってしまった。
「えっ」
 僕は立ち尽くしたまま動けなかった。天海テルが大きな声で叫んだ。
「早く。向かいのビルの屋上よ。急いで」
「えっ。あっ。はい」
 僕は訳が分からなかったが走った。英美の姿は見えない。言われるままに向かいのビルに入る。エレベーターは屋上で止まっている。僕は階段で七階建てのビルの屋上へ走った。
 屋上に出ると英美の後ろ姿が見えた。
「英美ぃ」
 後姿の英美が固まった。そして、ゆっくりと振り向いた。泣いているようだ。
「ごめんね。久しぶりに会ったのに、こんなんで。あたしね。御母さんに楽して欲しかったの。いつの間にか周りばかりを気にして、店を大きくする事ばかり考えて。借金して」
「立派だよ。英美は」
「ううんっ。嘘なのよ。見失ったの。馬鹿でしょう」
 英美の泣き顔は子供のようだった。
一昨日(おととい)、御母さん、亡くなって。癌だって。馬鹿でしょう。あたしだけが何も知らないで。馬鹿みたいに必死になって。もう、お店だって倒産しているのに。もっと、御母さんの傍に居れば良かったのに」
 英美は振り返ると月を見上げた。
「死んだら、意味、無いんだからな」
 気づいたら叫んでいた僕。英美が黙ったままなのが恐ろしい。笑ってほしかった。何で死ぬ訳ないじゃんと笑ってくれないんだ。
「俺、実家に帰ろうと思うんだ。英美も一緒に帰ろう」
 返事がない。聞こえてくるのは夜の街を走る車の音だけだ。一秒が一時間に感じる。
 沈黙を破る英美の笑い声が月の明かりに照らされた。
「はぁっ、はぁっ、はぁ、はぁ。それってプロポーズ。はぁ。ふぅ」
「あっ。いゃぁ」
「うそ。うそ。冗談でしょう。あたしじゃ、嫌よね」
「んっ。いゃぁ。そんな事無いよ」
「ありがとうね。だいたい勘違いしないでよ。あたしは月を見ていただけなんだから」
 振り向いた英美の笑顔は十五歳の夏に故郷の津軽で見た笑顔と同じだった。

 僕は一週間ぶりにテンテルに行ってみた。
 テンテルがあった場所は建物が取り壊され空き地になっていた。ほんの数日で、こんな空き地になるのだろうか。
 空き地で近所の子供が手を繋ぎ輪になって遊んでいる。まるで呪文のような歌を唄っている。
「アーラヤ。アーマラ。アーナンダ。パンニャージャーナ。アミターユス。アミタ―バ」
 西の空へ一羽の黒い烏が帰っていく。子供達が走り去っていく。子供達が居た場所に老人が佇んでいる。老人は御経の様なものを呟いていた。
「しきそくぜくう。くうそくぜしき。ぎゃていぎゃてい。はらぎゃてい。はらそうぎゃてい 。ぼじそわか」
 やがて、老人は消えた。まるで最初から何も無かったかのように空き地を風が通り過ぎた。

 翌日、帝都の空に輝く太陽の光が陽炎(かげろう)のように揺らめいていた。

 三か月後、田舎に帰った英美から写真が届いた。故郷の霊山、御岩木様をバックにした笑顔が眩しい。
 僕は、その年の暮れ、東京のアパートを引き払い故郷の津軽に戻った。
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  •  第二部  黄泉国の太陽《よもつくにのたいよう》編  第一章 魂のゆくえ

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