第15話:諏訪でのコンピュータ研究会2

文字数 1,752文字

 8月14日も15日も夜19時半、コンピュータ研究会を開始予定ですと、池辺さんが、みなさんに連絡して、それ以外は、自由時間ですと宣言した。池辺さんは、愛媛の先生2人を観光に連れて行く計画を持っていた。若手は、山梨大学の若い先生と一緒に出かけると話していた。

 そんな時、富士川先生が、常本に一緒に私の車で観光しませんかと言われ松本市内観光しましょうと誘ってくれた。11時過ぎ、池辺さんに予定を話して、出かけてきますと富士川先生が言うと、気をつけてねと言ってくれた。富士川先生は古いベンツで、後部座席にどうぞと常本を座らせて、出かけた。

 諏訪から岡谷を抜けると、まがりくねった峠道に坂道を登ると、ここは塩嶺峠と言って、塩尻と岡谷の間の峠ですと説明した。中腹当たりで急に、右側に入り、病院の近くの丘に車を止めた。そして、そこから、眼下に諏訪湖を見渡せる場所に連れて行き、そこの病院は岡谷塩嶺病院と言って、以前は、結核病院だったと話した。

 昔の話ですがねと前置きして、平尾昌晃さんが1970年代始め、あの有名な作曲家、平尾昌晃さんが、結核を患って、この病院に長期入院。その時、病室から見える景色を眺めて、有名な「瀬戸の花嫁」を作曲したんですよと説明してくれた。何か、わかる気がしませんかというと、そうですかと常本が感心した。

 すると富士川先生が、これから自分の話をしますが恐縮ですが、聞いて下さいますかと言うので、もちろんですと答えた。あれは20年以上前、橫浜に両親と住んでいて高校時代、たまたま成績が良くて、先生方から神童とか天才とか言われて有頂天になっていた。その後、東大工学部に合格して新しい技術で世界をリードしてやると青雲の志だった。

 そのまま、トントン拍子で大学院まで言ったのだが、教授達の陰湿な、いじめにあって苦労した。新参者の自分達の地位を脅かされて貯まるものかと言う意地があったのでしょうね。提出論文を見て、こけ下ろしたり、間違ってるとか調子に乗っているとか、徹底的に弾圧された。彼らには、自分達を追い越されたらたまらないという気持ちがあったのでしょう。

 2年我慢しましたが耐えきれず大学院を中退した。そんな時、声を掛けてくれたのが、今の信州大学病院のT先生だった。彼も同じ様な境遇で、北海道大学出身と言うことで、馬鹿にされていて、東京の名門大学教授になれず、信州大学病院に来て、研究を続けて、素晴らしい業績を残した。

 ただ東京にいなかったので、変な邪魔が入らず自由に競争でき講師、助教所と出世し次期教授の呼び声が高かった。教授になる少し前にT教授が、私の片腕になって研究を手伝ってくれと言われ、信州大学医学部の客員講師と呼んでくれた。それからは、生体工学やT教授に指示された領域の勉強を続けた。

 現在、カルテの電子化という問題を与えられて、コンピュータ研究会の会長に任命されたと打ち明けた。T教授は、噂に違わず、頭脳明晰なのはもちろん、素晴らしい性格の持ち主で、さらに度量が広く尊敬していると言った。最初、カルテの電子化と聞いて正直、何、言ってるのと思い、最初、理解できるまで、驚きの連続だった。

 しかし、最近は、きっと近い将来、コンピュータは人間の優秀なアシスタントになり、その素晴らしい能力を、T教授のような邪心のない素晴らしい先生に協力していくと、医学は画期的な進歩を遂げるだろうと考えるようになったと話した。確かに、コンピューターの能力は素晴らしい。これは誰も疑いようがない。

 しかし、それを使う人間が、その目的を人類の生命のため、社会をよくするためと言う、正義漢を持って、取り組まなくてはいけない、つまり、扱う物と心根が正しければ、人類の未来に貢献するだろう。しかし、逆に、悪意を持って利用すれば、とても危険で邪悪な怪物をつくることになり、人類を破滅の方向に導くかも知れない。

 そこに人間としての資質が問われるのだと力説した。まさに同感ですと、常本が言った。そして、さっき話した平尾昌晃さんと同じ様に、私も東京という猛獣が住むジャングルから心安まる自然豊かな信州で邪悪な勢力の影響を受けず素晴らしい自然の元で人々のために正しい心根を持ったまま、自分の与えられた仕事に没頭していきたい。
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