第10話 プロポーズ?

文字数 5,100文字

 私たちに続いてメンズチームも露天風呂に入り、その間に風呂上がりのメークもばっちり終わったので、飲み会が始まった。温泉の後のビールは格別だ。
 夕食が運ばれてくる六時まで、後三十分ぐらいあるので、柴田さんが持参した乾きもの系をおつまみにする。もちろん夕食が控えているから、あまり食べないようにセーブする。

「凄い豪華だね。富豪たちはこういうところで休日を過ごすんだ」
 マリエさんが上気した顔で、宿を褒める。
「あっ、うん。こういうのもいいよな」
 柴田の物言いがどうにも歯切れが悪い。普段ならここで得意のうんちくの一つや二つが飛び出すものだが。
――もしかして、プロポーズするの?
 急に私もソワソワしてきた。何しろ自分にしろ、他人(ひと)にしろ、プロポーズ成るものの現場に出くわすのは初めてだ。私の好奇心はMAXに達した。

「あのさ、マリエは今の仕事いつまで続けようと思ってる?」
――始まったか?
「そうねぇ。考えたことない、こともないか。でも次にどうしようとか、分からないんだよね」
 マリエの言葉が妙に胸に突き刺さる。それは私も同じだ。人生の目標とか、やりがいとかを求めているわけではないし、生活の不安を感じているわけでもない。
 ただ、私の場合コロナで世の中が変わる中で、ずっとモヤモヤした気持ちが続いている。その原因も分からなくて余計モヤモヤが止まらない。

「俺と結婚しないか? いやして欲しい」
「うぐっ」
 呑気にビールを飲んでいた東山が急に苦しみだす。びっくりしてビールが鼻に入ったみたいだ。騒々しくして欲しくないので、ティッシュを箱ごと渡す。
 マリエさんは何も言わず、柴田をじっと見ている。お風呂で前振りしておいたから、こんな唐突なプロポーズにも、ちゃんと反応して考えている。私は思わず唾を飲んだ。

 ピンポーン!
 タイミング悪く夕食が運ばれてきた。私はドアを開けに玄関に行く。なんか今日の柴田は性急だ。それともプロポーズなんてこんなものなのか……
 ドアを開けると、そこにはなんと、夕食を運んできた仲居さんと一緒に、柴田の両親がいた。
「せっかくなんで、この辺の地酒を持ってきました。少しだけお邪魔してもいいですか?」
 お父さんは、一升瓶を前に出し遠慮がちに訊いてきた。もちろん否はない。
「どうぞ、入ってください」
 私が二人を招き入れると、柴田は少しだけ複雑な表情をした。
 仲居さんたちが客室のテーブルに次々と料理をセッティングする。和食を中心にした豪華なメニューだ。野菜のお浸しのにんじんがハート型に成っている。桜肉のたたきのピンクと白の色合いが、和菓子のようだ。豪華な中にも面白みが溢れていた。
 お父さんが持参してくれたお酒は寫楽(しゃらく)という銘柄で、有名な飛露喜と並んで、福島の名酒らしい。口に含むとフルーティでワインを思わせる。料理との相性も抜群で、食べることが疎かに成らないから悪酔いの心配はなかった。

 和やかな雰囲気が漂い、私たちはリラックスしていた。自然に近況の話が口に出る。東山の口からボストン行きの話が出て来た。もちろん私を誘った話はしなかったが、新しい地で長年夢見たことへ挑む気持ちが赤裸々に語られる。
 柴田の両親はそんな東山を眩しそうに見ていた。
 お父さんが口を開く。
「誠一はどうなんだ。東山さんのように、お前自身やってみたいと思う夢はないのか?」
「俺は雪華荘を継いで、盛り立てていきたいと思っている」
 柴田はかっと目を見開いてお父さんの目を見て、きっぱりと言い切った。
「それは私たちに気を使ってじゃないのか?」
 お父さんは柴田の鋭い眼光をものともせず、淡々と聞き直した。
 なんだか、二人の様子が変だと思った。マリエさんと東山も緊張した顔をしている。ただ、お母さんはまったく動ぜず、笑みを浮かべながら二人を見ていた。
「気にしない方がおかしいだろう。親子なんだから」
「お前の人生なんだから、好きなことをやればいいんだよ」
 お父さんは、そうかで終わらす気はなさそうだ。

「急にどうしたんだよ。誰かに何か言われたのか?」
 柴田が怪訝な顔をする。
「別に誰かに何か言われたわけじゃない。ただ、こういう時代に成って、自分たちの仕事を振り返ってみると、業界全体を通じて経営がたいへんになっている。本当にこの先があるのか、少々迷っているのは事実だ」
「だから今年中に戻って来て、俺も頑張ると言っているだろう。ウィルスの一つぐらいで、雪華荘を終わらせて堪るか」
「気持ちだけで何とかなるもんじゃないんだよ。この難局を乗り切るために、うちも大きな借金を負うことに成る。わざわざお前がそれを背負うことはないだろう。それだったら今の仕事を続けていた方がいいんじゃないか?」
 お父さんは淡々と現状を説明する。説得するわけではないその語り口調は、それが当たり前だと言わんばかりに見えた。
「うちがピンチな今こそ、自分の力で立て直したいと思うんだ。別に義務感で思うわけじゃないし、やりたいから戻るんだよ」
 柴田の顔は真剣だった。その顔つきを見て、お父さんは小さく頷いた。
「それでも厳しい状況だぞ。挫けそうになることは必ずある。こんな田舎だ。今日一緒に来てもらったお嬢さんたちのような垢ぬけた女性(ひと)はいないぞ。憂さ晴らしに遊ぶところだってほとんどない。それは覚悟しときなさい」
 お父さんの言葉に柴田は分かっているという風に大きく何度も頷いた。

 それまで黙っていたお母さんが堪えきれないというように、笑いながら口を挟んだ。
「だから、今日は思い出作りに来たんだよね。お父さんがそんな話をしては台無しじゃない。すいませんね。皆さんにせっかく来てもらったのに」
 さすがに場の取り繕い方にも如才がない。どうなるんだろうとドキドキしていた私たちは、お母さんの言葉に思わず笑みが漏れた。同時に旅館の女将のスキルに感心した。こんな風にタイミングよく場を取り繕うなんて、なかなかできるもんじゃない。ましてや自分の息子が進路を巡って父親と話してるんだ。

「お母様は、どうして旅館に嫁がれたのですか?」
 マリエさんが唐突にお母さんに質問した。きっと柴田のプロポーズが頭の中にあるんだろう。
「あら、興味あるの?」
 お母さんが嬉しそうにマリエさんの顔を見る。
「はい、ぜひ聞きたいです」
 お母さんはちらっとお父さんを見てから話し始めた。
「私ほんとうはこんな田舎嫌だったのよ」
――ええー
 まさに老舗旅館の女将さんといった風情のお母さんの口から、意外な言葉が飛び出した。
「あれは私が大学三年のときだったわ。就職前に両親と話すために東京からこっちに戻って来たの。そしたら、高校の同級生だったこの人と偶然出会って、飲みに誘われたの。高校のときはほとんど話したことなかったからびっくりしたわ」
「凄い、偶然ですね。それで運命を感じたんですか?」
 グイと身を乗り出したマリエさんに、お母さんはまた笑いながら答えた。
「ううん、ぜんぜん。あまり話したこともなかったし、いきなりだったからちょっと引いたわ」
 お父さんの表情は変わらない。本当は照れ臭いのだろうけど、お客であるマリエさんの頼みだから我慢してるんだろう。さすがに接客のプロだ。
「行かなかったんですか?」
「断ろうとしたら、この人が実は私が出てくるのをずっと待ってたって言うの。どうして帰って来たことを知ってたのって聞いたら、私の父に聞いてたみたいなのね。私の実家はクリーニング店をしていて、雪華荘のシーツや浴衣とかも契約してたの。この人、私が大学に入ってから、汚れ物を取りに来る私の父とよく話してたみたいなのね」
 お父さんは見ためと違って、なかなか情熱的だ。その辺は柴田も似ているかもしれない。
「そのときの顔がちょっと怖かったから断ったんだけど、それでもと粘られて行くことになったの。そしたら、いきなり卒業したら結婚してくれって言われて、すぐ断ったわ。だって、就職して働いてみたかったし、旅館の仕事ってなんか大変そうでしょう」
 マリエさんは分かりますという顔で、うんうんと頷いている。柴田は気が気じゃないって顔でお母さんの話を聞いていた。

「私は卒業したら、小さな出版社に就職したの。忙しかったけど仕事は面白かったわ。三年目にカルチャー誌の編集をするようになって、いろいろな取材に行ったわ。ある日温泉特集をするから、有名な温泉地に取材に行くことに成ったの」
「ここに取材に来たんですか?」
 マリエさんがワクワクしながら先取りする。
「そうなの。ここなら一応知り合いだし、有名な旅館だと言うことは知っていたから。いい記事書こうと張り切って来たら、インタビューに出て来たのがこの人だったの」
「気まずくなかったですか?」
「初めはね。でもこの人はこんな性格でさっぱりしてたし、すごく熱心に温泉の効能や、磐梯熱海の歴史を話してくれて、なんだかああ誇りを持ってるんだなぁって見直した」
「また結婚を申し込まれなかったんですか?」
「そのときはされなかった。逆にいい記事書いてくださいねって、励まされて。もうてっきり結婚してるのかと思った」
「そうなんですね。意外です」

「それからまた二年間仕事を続けたの」
「誰かとお付き合いとかされなかったんですか?」
 言われてみれば、お母さんは綺麗な顔をしている。
「ううん。つき合おうって言われたことは何度かあったけど、仕事が面白かったし、夢中だったから。でもね、五年目が終わろうとしたときに、この人がまたいきなり出版社の前に現れたの」
「キャー」
 私は思わず叫んでしまった。何かテレビドラマみたいだ。
「そんなにロマンチックな感じじゃないわよ。夏だったからこの人汗まみれで」
 お母さんは思い出したのか、クスリと笑った。

「それでどうしたんですか?」
「この人の第一声はお疲れ様で、次の言葉は暑いからビール飲みに行きませんかだったの」
 東山が隣でぷっと噴き出す。いやお前も似たようなもんだろうと思った。
「おかしいでしょう。私はそのときなぜか、いいよって答えて二人で飲みに言ったのね。そしたらこの人が言うの。私が取材に行ってから二年間ずっと、カルチャー誌を読んだって。人の気持ちを汲み取れたいい記事だって褒めてくれたの」
「それは嬉しいですね」
「ええ、嬉しかったわ。それで私もつい、もう結婚はされたのって訊いたの」
 マリエさんはなぜか緊張して顔が強張っている。
「そしたら、まだだって言うの。どうしてって訊いたら、いくつか見合いはしていい人もいたけど、私の記事を読むと私のことが諦めきれないって言われたの。記事から人に対する考え方が滲んで来るって言うの。だからそういう人を探したけど、ぴったりする人がいないって。だから今日は会いに来たって言われた」
「感激しますね。それでまたプロポーズされたんですか?」
「ううん、そのときはされなかった。ただ、私みたいな人を探すよって言われたの」
 マリエさんと私は感動して言葉に詰まった。言われてみたいと心からそう思った。
 隣で東山がうるうるしていた。

「私は家に帰ってから考えたの。今の仕事も面白いけど、こんなに必要にはされてないって。だから今度は私の方から会いに行ったわ。それで自分から結婚しようって言ったの」
「すごい!」
 東山が思わず叫んでいた。私も感激して、同時に最近モヤモヤしていた原因も分かった。
 そう、私も必要とされたいのだ。私ことを理解してくれて、その上で必要だと誰かに行って欲しいのだ。そんな人生が送りたいのだと分かった。

「もういいだろう。帰ろう」
 お父さんがポツンと呟いた。
 二人が帰った後で、なんとなくしんみりした。決して暗いわけじゃない。でも今の気持ちのままでいたかった。何となく酒だけが進む。誰も寝ようとは言わない。人と一緒にいることが心地よく感じる夜だった。
 ホウ、ホホッホ、ホー
「何?」
 何か動物の啼き声が聞こえた。
「フクロウだよ。この辺にはフクロウがいるんだ」
「ふーん。フクロウって地味な鳥だよね」
 私の言葉に柴田は馬鹿にしてはいけないという顔で言った。
「フクロウのつがいは一生連れそうそうだ。オシドリが話と違って、繁殖のたびに相手を変えるのとは全然違うよ」
「なんか地味だけど、いいね」
 私はちらっとマリエさんを盗み見た。ご両親が帰ってからずっと黙っている。何かを胸に秘めてるような気がしたが、気のせいかもしれない。
 柴田もプロポーズの続きはしなかった。お母さんの話を聞いて待とうと思ったのかもしれない。
 あの東山まで無口になっている。
 まったりとした夜がどこまでも続いていった。
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